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「穏やかな死に医療はいらない」 その6 萬田 緑平

2016年01月21日 00時12分38秒 | 健康・老いについて
 「穏やかな死に医療はいらない」 その6 萬田 緑平  朝日新聞出版 2013年

 死ぬなら「老衰モード」に限る P-41

 年を取ると、若いときのようにたくさん食べられなくなるし、食べなくても平気です。むしろそのほうが、体調がよかったりします。「老化」は死へのソフトランディングです。身体から余計な荷物をおろしているのです。
「終末期モード」「老衰モード」に入ると、この「荷物」おろしが顕著になります。ほとんどの患者さんは食欲がなくなり、食べられなくなります。それは確実に死に向かっているサインであり、自然な生命の営みです。
 でも「食べなくてはならない」「食べれば元気になる」と思っている人は本当にたくさんいます。
 終末期が近づいて食欲がなくなってくると、こんなに食べなかったらもう死んでしまうのではないかと、患者さん自身やご家族は悩みます。ご家族の「がんばって食べて!」の言葉に、本当は食べたくもない食事を無理やりとる患者さんは少なくありません。

 しかし、食欲は元気な人の健康指針です。病気や加齢で弱った身体にはあまり意味がありません。日常生活の運動量が減って筋力が半分になったのならば、体重も半分にしたほうが動けます。
 食べることに躍起になるのはやめて、上手にやせていきましょう。体重なんか気にしなくてもいいのです。実際、亡くなる直前まで歩いている人は、やせてガリガリの身体になれた人たちです。反対に、点滴漬けでパンパンにむくんでしまった患者さんは、最後まで生き抜くことはできません。亡くなるのをベッドで待つだけです。食べることが苦痛だったら、それは食べないでくれという身体のサイン。上手にやせていき、そのまま「老衰モード」に持ち込めれば、なおあっぱれです。
 僕は老衰こそ、一番身体にやさしい死に方だと思っています。生物としてもっとも自然な終わり方ですから、当然です。

 後略

 萬田 緑平(まんだ りょくへい)
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなかで終末ケアに関心を持つ。2008年、医師3人、看護師7人から成る「緩和ケア診療所・いっぽ」の医師となり、「自宅で最後まで幸せに生き抜くお手伝い」を続けている。

 

「穏やかな死に医療はいらない」 その5 萬田 緑平 

2016年01月19日 00時22分26秒 | 健康・老いについて
 「穏やかな死に医療はいらない」 その5 萬田 緑平  朝日新聞出版 2013年

 目指すのは「ゆっくりコロリ」 P-38

 「ピンピンコロリ」は理想の死に方とされています。亡くなる直前まで元気に暮らし、コロリと死ぬ。病気はいやだ、寝たきりにはなりたくない、という人々の願望があらわれていると思います。
 でも僕は、ピンピンコロリは案外とつらいのではないかと思います。明日も明後日も今日と同じ日常がやって来ると思っていたのにコロリと死んでしまうのは、たとえ本人がよくても、残されるご家族や周囲の人たちがかわいそうです。
 僕が思う理想の死に方は、ピンピンコロリではなく、「ゆっくりコロリ」「じんわりコロリ」です。
 イメージとしては、飛行機がソフトランディングするような感じでしょうか。そんなふうに少しずつ死と言う終着点に向かうことができれば、身体の負担も少なく、本人や家族にも死を受け入れる時間が生まれます。
 そしてそれは、決して難かしいことではありません。身体に任せればいいだけです。余分な治療、余分な食事、余分な点滴・・・。そういったものをやめるだけで、多くの人が苦痛から解放され、ぎりぎりまで「ゆっくり」「じんわり」生き抜くことができます。

 ただし病院で終末期を迎えた場合、そのままでは「ゆっくりコロリ」「じんわりコロリ」を実現することはできません。前にお話したように、病院は戦う場所だからです。

 萬田 緑平(まんだ りょくへい)
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなかで終末ケアに関心を持つ。2008年、医師3人、看護師7人から成る「緩和ケア診療所・いっぽ」の医師となり、「自宅で最後まで幸せに生き抜くお手伝い」を続けている。

「穏やかな死に医療はいらない」 その4 萬田 緑平 

2016年01月17日 00時13分31秒 | 健康・老いについて
 「穏やかな死に医療はいらない」 その4 萬田 緑平  朝日新聞出版 2013年

 治療とは「戦争」である P-28

 前略

 どこまで戦ったほうがよいのか、どこまでが勝てる戦いで、どこからが負け戦なのか、その線引きは非常に曖昧で難かしいものです。病気の性質にもよりますし、患者さん自身の体調や性格にもよります。
 でも僕の感覚で言わせてもらうなら治療の効果より苦痛が上回ったら、撤退したほうがいい。治療を続ければ続けるほどつらくなってきたときには、病院から逃げましょう。受けている治療が身体に効果をもたらしているとき、それほど大きな苦痛は生じないものです。しかし、やがて治療の効果は少なくなり、苦痛が増えていきます。最終的にはただ苦痛をもたらすだけのものになります。

 治療をやめるのは不安かもしれません。何しろ病院医師は「戦いのプロ」。王様(患者)から「戦いをやめたい」と言われることは、彼らにとって「敗北」を意味します。だから病院医師は患者さんやご家族に「治療しないともっと苦しくなりますよ」「ここで治療をやめたら早く死にますよ」と言ったりします。それで怖くなって苦しいだけの治療を続けてしまう患者さんはたくさんいます。
 でも、ほとんどの医師は「治療をやめたらどうなるのか」なんて知らないのです。(中略)病院医師たちはその治療を受けた人がどうなったのかは知っていますが、受けなかった人ややめた人がどうなったのかは知りません。

 たしかに、治療をやめたら死んでしまうかもしれません。でも、苦しい治療を続けたところで、助かるわけではないのに、病院はなかなか治療をやめさせてくれません。だから病院を出るのです。

 萬田 緑平(まんだ りょくへい)
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなかで終末ケアに関心を持つ。2008年、医師3人、看護師7人から成る「緩和ケア診療所・いっぽ」の医師となり、「自宅で最後まで幸せに生き抜くお手伝い」を続けている。

「穏やかな死に医療はいらない」 その3-2 萬田 緑平

2016年01月15日 00時54分05秒 | 健康・老いについて
 「穏やかな死に医療はいらない」 その3-2 萬田 緑平  朝日新聞出版 2013年

 フルコースの延命治療 その2 P-20 (フルコースの延命治療 その1の続き)

 外科医だった頃、僕は苦しくて悲しい死ばかり見てきました。
 おそらく病院医師の多くは、穏やかな死というものを知りません。病院にいる限り、治療をやめた患者さんを診ることはないからです。
 なぜ病院では穏やかに死ぬことができないのか――。
 そこにはたくさんの理由がありますが、一つは病院は「病気を治す場所」であり、病院医師は病気を治すことを第一に考えているからです。
 もちろん、病気は治したほうがいいのです。年を取れば人は亡くなります。そもそも、年を取れば病気になるのがふつうです。でも病院医師には、「老衰死」「自然死」という発想がありません。死にそうな人を見ると、何かしらの治療をせずにはいられないのです。
 今、日本人の八割は病院で亡くなるといわれています。そして病院でなされる終末期医療のゴールは、危篤状態における「フルコースの延命治療」です。

 呼吸状態が悪化して息が止まりそうになると人工呼吸。口からチューブを入れる気管内挿管。さらに呼吸が悪化してくれば、気管切開をして酸素を送り、血圧が下がって心臓の動きが止まりそうになったら、昇圧剤(強心剤)を点滴します。今ではさすがにそこまでする病院は少なくなりましたが、二十年前は当たり前のように行われていました。
 そのままでは数日ももたないような患者さんでも、こうした延命治療をすれば半日から一日、長い方なら一週間くら余命を長引かせることができます。しかしそれは単に「息を止めさせない」「心臓の動きを止めさせない」というだけ。ほとんどの患者さんには意識がありません。意識がある患者さんはみんな苦しそうでした。危篤の時間を、わざわざ長引かせているのです。

 後略

 萬田 緑平(まんだ りょくへい)
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなかで終末ケアに関心を持つ。2008年、医師3人、看護師7人から成る「緩和ケア診療所・いっぽ」の医師となり、「自宅で最後まで幸せに生き抜くお手伝い」を続けている。


「穏やかな死に医療はいらない」 その3-1 萬田 緑平

2016年01月13日 00時13分00秒 | 健康・老いについて
 「穏やかな死に医療はいらない」 その3-1 萬田 緑平  朝日新聞出版 2013年

 フルコースの延命治療 その1 P-20

 病院医師にとって、患者さんの死は敗北にほかなりません。だからわずかな可能性、たとえ治癒する確率が1パーセントであっても、手術や抗がん剤治療に挑戦したりします。患者さんから「咳がとまらない」「おなかが痛い」「胃がもたれる」と言われたら、「それは年のせいですよ」とは言えません。お年寄りの身体にストレスを与える数々の検査をし、入院、手術、術後の治療・・・と進んでいきます。食事がとれなくなった患者さんには、鎖骨や太ももの静脈に点滴を刺して、高カロリー輸液をします。治る見込みがなくなったとしても、死の瞬間を先延ばしにするために、点滴をしたり、酸素吸入をしたりします。僕もそうでした。

 僕が本書でいう延命治療とは、病気がもはや不治かつ末期症状の患者さんに対して、本人の意思を確認できないままチューブだらけにして、ずるずると亡くなるまで続けられる治療のことです。

 延命治療をされた患者さんは、むくみで手足をパンパンにさせ、歩くことも、自力でトイレに行くこともかなわずに息を引き取っていきました。看取りを迎えた病室には息苦しい空気が立ちこめ、医師や看護師は敗北感を抱き、駆けつけたご家族は疲れと後悔をにじませていました。

 (フルコースの延命治療 その2に続く)

 萬田 緑平(まんだ りょくへい)
1964年生まれ。群馬大学医学部卒業。群馬大学付属病院第一外科に所属し、外科医として手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行うなかで終末ケアに関心を持つ。2008年、医師3人、看護師7人から成る「緩和ケア診療所・いっぽ」の医師となり、「自宅で最後まで幸せに生き抜くお手伝い」を続けている。