標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

明日は大雪。4年前の降雪時の転倒、そして顔面骨折のつらい思い出

2018-01-21 20:10:22 | 日記
今日は、午前中は会議、午後は孫の世話、そして夕刻は買い物だった。会議と孫の世話は予め入っていた予定だったが、買い物は、急遽入ったものだ。明日の雪に備えた食料、車の燃料、暖房用の灯油を購入に行った。数日前から天気予報で関東平野部でも大雪が降るかもしれないと報道されている。日が沈んだ直後に出かけたが、道路は上下とも混んでいた。ホームセンターでは、雪かき用のスコップは、売り切れの品物もあり、選ぶ余地はないくらい品数が少なかった。幸い我が家は、雪かき道具はそろっている。

スーパーマーケットは、混雑していた。年末と同じくらい混んでいた。予定の品物を買い、ガソリンを入れ帰路についたときは、すっかり日が暮れていた。

雪に備えた準備は何とかできた。この記事を書きながら天気予報がテレビで行われている。予報では、明日の夕方から大雪の可能性があると、数日前よりも降る方の確立が強まった語り口だ。

しかし、準備万端だからといっても、憂鬱だ。4年前の大雪時には、数日間、道路が使えず、極端にいえば孤立状態だった。やっと除雪車が来て、そのあと凍結していた路面の氷を割る作業を行っていた。作業の途中、いきなり顔面に激痛を感じた。雪の上にうづくまった自分を感じ、はじめて坂道で滑ったのだと認識した。それでも、スコップなどの道具をもって、痛みをこらえ、50mほど歩いて家にたどり着いた。リビングに入った途端、横たわってしまった。「大丈夫?」という妻やご近所の方の声が聞こえたが、何んと応答したか覚えていない。やがて、救急車を呼ぶということとなったという、微かなI記憶が残っている。

"大雪だとこの思いが強く過る。夏でも、犬の散歩時に滑った坂道を通ると、足がすくみ、歩速が落ちる" これがトラウマなのかと思う。



やがて、救急隊が来て担架にのせられた。最初は、雪道を走るため小型の搬送車に乗り、大通りに出たところで、大型というか、通常の救急車に乗り換えた。後日妻から聞いた話で、記憶をたどるとこのようになる。私としては、担架に横たわっていること、体が小刻みに揺れる感触、救急車のサイレンの音は良く残っている。また、救急隊員の「救急車が通ります」というアナウンスも残っている。しかし、隊員が私に話しかけていたが、なんと言われたか、なんと応答したかは覚えていない。痛みのショックのためか、どこか意識がもうろうとしていたようだ。

診断では頬骨骨折ということだった。外科的な処置はなく、痛み止め等の処方をもらった。後日、大学病院に受診し、入院予約をして、手術をしたのは、10日ほどたってからだった。手術は、口内から切開し、骨折部分にチタンを埋め込むということだった。頬骨なので、骨折後は咀嚼ができなくなっていた。直後から術後しばらくは流動食だった。術後は、頑張って顎を開く自主トレーニングと神経を活発化するためのビタミン剤の服用が、リハビリと私の治療だった。

数か月後、ハンバーガが何とか頬張れるようになった時は、うれしかった。しかし、未だに骨折側の上唇のしびれが残っている。口笛が吹きづらくなったのは口惜しい。
コメント
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