標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

働く人の立場に立った働き方改革であってほしい

2018-03-02 19:08:10 | 日記
「仮想通貨」や「ビットコイン」といわれても、実態がないので私には分かりにくい。
同じように「裁量労働制」ということばも、ピンとこない。国会では厚労省のデータに不備があるということで、今回の法改正の中には「裁量労働制」の対象拡大等は見送るということとなった。

私のサラリーマンとしての現役時代は、労働の対価として、労働時間で判断されていた。今でも「労働時間」が主体となっている。だが、本来、労働の価値は、単に労働時間だけでなく、その「成果」でも判断されるべきである。今回の「働き方改革」は一見すると、「成果」主義なので、良好な方向かと思える。しかし、果たしてどうであろうか? 政府が出した案では、経営者側の志向で、残業代をゼロとし、経営者にとって出費を抑えられるという考えが、垣間見られる。



労使双方の意見を取り入れることは重要だが、過労死という重大な課題に取り組むには、安易に「裁量労働制」を拡大すればよいということにはならない。裁量労働制では、労働に見合った給与とするために、残業という概念はなくなる。みなしの労働時間内に勤務を終了しても良いし、大幅に超過して労働したとしても対価は、変わりない。しかし、実際はみなし労働時間を超えて仕事をすることは容易に想定できることだ。その場合超えた労働時間分は、全く給与には反映されない。働く者の負担になるばかりである。今回の厚労省の調査にあるように、例えば1日45時間(?)労働したとしても、残業代はゼロである。一日が45時間という誤ったデータで、裁量労働制が論議されるとは、過重労働を予め容認しているようなものだ。

私も、現役時代の一人職種についていた時は、いわゆる「サービス残業」を行っていた。何度か、事務室のソファーに宿泊したこともあった。職員給与に支払われる超勤手当の予算は、年度ごとに決まっているので、超勤を幾ら行っても、一人当たり一定以上になるとカットされる。給与は年功序列となっている。したがって昇給に従って、超勤の1時間当たりの単価が上がる。他方で、業務量も増えていく。つまり年数を経るほど、残業も多くなっていく。

しかし、超勤手当は一定額で頭打ちとなる。、昇給後は、以前と同じ時間の超過勤務をしても、支給額を増やせないので、減じた超勤時間での手当支給となる。昇格・昇給につれ、手当の算出おための時間数は減り、サービス残業時間数が増えるばかりであった。

審議されていた「裁量労働制」を設けたとしても、超勤のカットが行われていた私の経験とあまり変わらない。私の裁量ではなく、職場が求める「裁量」により、いくら働いても、毎月一定額以上の超勤手当は支払われなかった状態と同じだ。

今回、政府が「裁量労働制」の拡大案を今回の法案から外したことに関して、経団連は「誠に遺憾だ」とコメントしている。情けなく残念なコメントだ。もっと働く側の意見を大切にして、過労死を根絶するような、強い決意を込めた「働き方改革」をしてほしい。
コメント
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