今日は、夕方急用が発生し、今帰宅したところ。遅くなりましたが、アップします。
27日にに証人喚問が終わった。喚問のやり取りを見ていて、証人喚問とうより、昨年の国会答弁の延長のような風景だった。ただ冒頭の宣誓書を読む時は、佐川氏も緊張していたようだが、与党の尋問が始まると、通常の予算委員会の雰囲気になった。委員長の何故、何のために書き換え(実質は改ざん)したかの質問に対して、「刑事訴追の恐れがあるので」といって拒否した。佐川氏にとって答えやすかったに違いない。そして、トップバッターは与党で、「・・・の指示はありませんでしたね。」との尋問に、「・・・ございません」というパターンで始まった。
そして、拒否は50数か所に及んだとのこと。政府・与党にとっては、総理・官邸等の指示はなく、理財局単独で改ざんを行ったという、アリバイ作りの場となり、幕引き尋問の意図がありありの場となってしまった。
今後は、地検での捜査とさらなる国会での論戦で、真実を明らかにしてほしいものだ。
さて、国会や大臣の答弁で、気になることばがある。特に財務大臣がよく使う「私どもと致しましては・・・」の中の「私ども」だ。辞書を引くと、「ども」とは①複数化の接尾語。②一人称の語につき、へりくだりだった気持ちを表す。単数にも用いるとある。さらに、「謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い」との説明もある。英語なら単数の私は「I」であり、複数のわれわれは「We」がある。しかし、「私ども」は複数でもあり単数でもあるわけで、非常に曖昧である。ここにも日本文化に内在する曖昧さや甘えがある。「私ども」を使用する時は、責任の所在を曖昧にしている。
さらに、大臣レベルの人が使うと、一見「謙譲」のようだが、その実「見下した意」で使っていると思うのは、私だけだろうか?
そして、あってはならない公文書の改ざんという事態に、大臣は責任を負わずに、前理財局長とその部下の責任にしようとしている。そして、局長一人の責任ならまだしも、部下にも責任はおよぶだろう。自殺者まででた今回の事態を、官僚やその部下である一般公務員の責にすることだけでなく、改ざんせざるを得なかった原因を生じさせた黒幕の責任は重大である。
27日にに証人喚問が終わった。喚問のやり取りを見ていて、証人喚問とうより、昨年の国会答弁の延長のような風景だった。ただ冒頭の宣誓書を読む時は、佐川氏も緊張していたようだが、与党の尋問が始まると、通常の予算委員会の雰囲気になった。委員長の何故、何のために書き換え(実質は改ざん)したかの質問に対して、「刑事訴追の恐れがあるので」といって拒否した。佐川氏にとって答えやすかったに違いない。そして、トップバッターは与党で、「・・・の指示はありませんでしたね。」との尋問に、「・・・ございません」というパターンで始まった。
そして、拒否は50数か所に及んだとのこと。政府・与党にとっては、総理・官邸等の指示はなく、理財局単独で改ざんを行ったという、アリバイ作りの場となり、幕引き尋問の意図がありありの場となってしまった。
今後は、地検での捜査とさらなる国会での論戦で、真実を明らかにしてほしいものだ。
さて、国会や大臣の答弁で、気になることばがある。特に財務大臣がよく使う「私どもと致しましては・・・」の中の「私ども」だ。辞書を引くと、「ども」とは①複数化の接尾語。②一人称の語につき、へりくだりだった気持ちを表す。単数にも用いるとある。さらに、「謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い」との説明もある。英語なら単数の私は「I」であり、複数のわれわれは「We」がある。しかし、「私ども」は複数でもあり単数でもあるわけで、非常に曖昧である。ここにも日本文化に内在する曖昧さや甘えがある。「私ども」を使用する時は、責任の所在を曖昧にしている。
さらに、大臣レベルの人が使うと、一見「謙譲」のようだが、その実「見下した意」で使っていると思うのは、私だけだろうか?
そして、あってはならない公文書の改ざんという事態に、大臣は責任を負わずに、前理財局長とその部下の責任にしようとしている。そして、局長一人の責任ならまだしも、部下にも責任はおよぶだろう。自殺者まででた今回の事態を、官僚やその部下である一般公務員の責にすることだけでなく、改ざんせざるを得なかった原因を生じさせた黒幕の責任は重大である。