標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

今年もきれいなわが家の紅葉&黄葉...他

2018-11-25 20:40:25 | 日記
関東地方の平野部の紅葉が色づきだしている。わが家の庭はやや早く始まった。
今日はわが家や周辺の紅葉などを紹介する。


てっぺんの葉が色づいている紫陽花の葉。


アカシダレ(手向山:タムケヤマ)は通常は紅紫色だ。しかし、今や色が薄くなりいわゆる紅葉の仲間入りをしている。


最高潮のドウダンツツジの赤。


ワラビの葉も色付く。


夏はグリーンカーテンの役割を果たしていた。ナツユキカズラとカラハナソウの黄葉。


先日、泥付き下仁田ネギを購入した。余ったものを畑に植えてみた。冬には一層美味しくなって欲しい。


先日蒔いた小松菜の芽が出てきた。


庭のサザンカが盛りだ


近隣の道端にある色付いたモミジ。日当たりが良く近辺ではいち早く最もきれいに色付く。この日は雨に濡れて洗われ、光った赤が際立っていた。

ところで、秩父、上野町(群馬県)から佐久方面に抜ける国道299号線が通行止めだ。わき道として国道の南側に上野町から小海町(長野県)に抜ける地方道がある。その途中に群馬県と長野県の県境である"ぶどう峠"というのがある。この峠の前後は、"カラマツ"林になっている。

最後にぶどう峠のカラマツを紹介する。11月中旬だったが、すでに黄葉の盛りは過ぎていた。でも、黄葉の盛りよりも、やがて葉が散り幹だけになる直前で、むしろカラマツらしさを表現していた。静かに冬が迫ってくるような風景だった。


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「光は粒子と波動の合体」という私にとっての難問が、コウモリに例えた説明で光明を見出す! 

2018-11-24 20:48:26 | 日記
私は、文系の人間だ。学生時代は数学、物理、化学は嫌いだった。特に高校時代、数学で赤点を取ったことがある。だが、今は理解しているとはいえないが、数学や物理は好きで、関心がある。図書館でも借りる本は、数学、物理関係の本が多い。

さて、時代は遡り、2度目の職場は故郷から遠く離れた地だった。その時は単身寮生活だった。
赴任してからしばらくして仕事には慣れてきたが、まだ、友人もいない。ほぼ定時で寮に戻っても、退屈していた。そんな時、たまたま実家から持ってきた本の中に数学の問題集があった。確か数ⅡBだったと思う。当時は高校2年で習得する内容だ。暇つぶしにその問題を解きだした。数1ですら理解しているかどうか分からない。解くといっても解法が記述された問題ばかりだったが。そして、実家に帰省した時、高校時代の数学の教科書を持ち出し、寮の本棚に入れた。こうして、微積分が自動車やロケットなどの走行・飛行、速度などを導き、分析できることを知った。興味は物理へと移っていった。

この後、転勤するたびに仕事に追われ、定年退職するまでは、数学・物理の世界からは遠ざかっていた。定年後再び、数学・物理に関心を抱いている。

その中で、多くの本を読んでも、モヤモヤが消えない私にとっての命題がある。
「ひかりは粒子と波動の両方の性質をもったもの」ということだ。

しかし、最近図書館で借りてきた本(齋藤 勝裕著、"知っておきたいエネルギーの基礎知識 "、サイエンス・アイ新書、 2010)で本編ではないが、コラム欄に「粒子と波動」と題して書かれた短文の中に、私のモヤモヤが晴れた記述を見つけた。多分、完璧に理解したというより、胸の詰まりが取れたという程度だが。

そのコラム欄には、「光は粒子性と波動性をあわせもつ」というのは、煙に巻いた説明とのことで、「光は光です」という。光の性質のある面を説明する時は、粒子を用いて(例にして)説明した方が分かりやすい。別の面を説明する時には、波動を用いた方がわかりやすいという。

さらに、コウモリを例にとって説明している。「コウモリはツバメのように空を飛び、ネズミのように赤ちゃんを産む」、「しかしコウモリはツバメでもなくネズミでもない。れっきとしたコウモリという生物だ。コウモリの性質の一部をツバメを用いて説明し、ほかの性質をネズミを用いて説明した」という。
つまり、光も同じことだ。粒子と波動の合体?などと、無理な想像を働かせず、スナオに光という存在を認めればよいと説いている。

カウンセリングでも「あるがままを受け入れる」という重要なツボがある。これはカウンセリングに限らず人生において最も必要なことで、実現するにも難易度の高い概念だ。
著者はコラム欄の文中で「素直に」と記すべきところを「スナオに」とカタカナで表記し、キーワードを強調している。

そして、コラム欄は「はじめて遭遇するものをまるごと受け入れる訓練が、頭をやわらかくしてくれるのです。」で閉じられている。
著者は科学を通して、すべての人に通じる「スナオさ」を説いているように思えた。
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人が創造したものと、人が操作することに潜むリスク。人は常に安全性を追求せねばならない。

2018-11-23 21:38:23 | 日記
最近の新聞などの報道で、トップニュースにはならないが、"事故"のニュースが目に留まる。さらに、世界各国の話題も報じられることも多い。
私見だが、これらのニュースの共通点は、内外を問わず「人」が作ったり、関わったことが、原因ではないかと思う。人が"作ったもの"故、人が"操作している"から。ミス等が起きる。

昨日、今日のニュースの中からいくつか拾ってみた。

  1.「新幹線ホーム、キャリーバッグにボルト落下」
 22日、大宮駅の新幹線のホームで、ボルト(長さ約10センチ、太さ約1センチ、総重量約92グラム)が落下したと発表した。場所や落下の原因は不明という。キャリーバッグには傷がついていたが、女性にけがはなく、新幹線の運行にも影響はなかったそうだ。
 新幹線も駅舎も人が作ったものだ。安全に配慮して設計し作ったのだろう。しかし、あってはならないが、このような事故は起こりうる。人が作ったものを別の人が利用する。メンテナンス等は最新の注意を払い、想定外の確立を極力少なくする努力をする必要がある。

 2.「秩父鉄道のSL、12月も運転休止 部品に亀裂、想定より修繕長引く 来年は3月から運転開始を予定」
 点検により亀裂が発見されてよかった。これは"点検"という行為で、人が作ったものの危険性を予知できた事例だ。

 3.「満員の長距離列車、走行中に連結外れて客車離れる 米NY」(CNN)
感謝祭の連休で混雑する長距離列車が走行中に機関車と客車の連結が外れ、客車2両が離脱する事故があった。乗客乗員287人は全員無事だったとのこと。
 原因は分からないが、安全装置が働き分かれた列車は安全な距離を保った状態で停止したという。
 連結部分が外れるということはまれなことだが、人が作った"もの"の故障か操作ミスの事故だ。しかし、一方では安全装置が働き重大事故にはならなかった。人が作った安全装置が功を奏した。

 4.「インドで1歳女児が線路に転落 列車が通過するも奇跡的に無傷」
インドで駅に停車する列車とプラットホームの隙間に、1歳の女児が転落した。列車は直後に発車し、線路脇に倒れた女児の上ぎりぎりのところを通過したが、奇跡的に無傷だったという。この後女児にの幸運にあやかろうと、多くの人が女児にさわろうとしたという。
幸運が女児の命を救ったが、本来なら落下しないように安全を保たなければならないと痛感させられる例だ。

 首都圏では、人身事故によるダイヤの乱れがほぼ毎日起きている。
私は、20数年前にアルミ関係の会社と共同で、ある鉄道会社に、ホームドアの設置を申し入れたことがあった。丁寧に対応してくれたが、車両によりドアの数や位置が異なること、(当時は)運行しながらの工事は困難などの理由で、設置は現実的でないとのことだった。しかし、昨年、始発駅にホームドアを設置した。そして今後は乗降客の多い主要駅に設置することになっているとのこと(予定では数か所に限定されるようだが)。

 全駅に設置され、ホームからの転落は飛躍的に改善されるだろう。だが、全駅設置は可能になるのは何年先になるだろうか? 果たして可能なのだろうかと思ってしまう。しかし、人が利用する以上、全駅設置に向かっていかなければならない。

以上のように、人が創造したものを操作するのは、人だ。AIにしろ人が作ったもので、それを管理するのは人だ。残念ながら犯罪にも利用され、事故も起きる。しかし、犯罪や事故が起きないように、努力しなければならないのも人だ。

完璧な安全を得るのは難しいのかもしれないが、人は生存する以上、より高度な安全性を追求するたゆまぬ努力をしなければならないと思う。
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日産よ! 技術で挽回して欲しいと願う日産ファンの私。

2018-11-22 20:41:04 | 日記
私は就職し、貯金をし、はじめて買ったものが、日産車のチェリーだった。

金額の都合で、最高車種ではなかったが、1200CCで前輪駆動だった。休みの度に箱根山周辺のコースをドライブした。もっと山岳の道の体験として丹沢山の林道にも挑戦した。
良く走った車だったが、あるとき都内を走行した時、渋滞にはまり、発進しようとしたらエンストを起こしてしまった。後続車からは警笛を鳴らされる、片側3車線道路の真ん中だったので、立ち往生状態で困ったことがある。もう40年以上も前なので、どう対応してどのように脱出したのか、覚えていない。気まずい思いをしたことだけを覚えている。

その後、すぐ三菱車のセレステ1600ccに換えた。
しかし、やがて結婚し子供が3人になり、日産車が復活した。セレナになった。やがて、子育てが一段落したころ、キューブになった。さらに今は妻と二人だけなので、ルークスに乗っている。
このように私は日産フアンだ。

今は日産のゴーン会長の不正問題が、突然話題になり、本人の逮捕までいたっている。日本だけでなくフランスはじめ世界的な話題になっている。残念なことではあるが、仕方あるまい。

このような事態になる成り行きだったのかもしれない。経営難に至った時、ルノーに頼ったのは、やむを得なかったのだろう。しかし、その時の条件が、今の事態に至る必然はあったのだろう。高額な報酬とゴーン氏任せの体制が、今の事態に至る一因となっている。つまり、権力が個人に集中してしまった。
外国人役員に高額の報酬を払っていた企業は、日産だけでないようだ。高額な報酬でないと外国人は招聘できないとのことだ。

私の庶民的な考えでは、高額な報酬を支払ってまでも、トップを外国人にする必要があるのだろうか?と思う。経営を立て直すなら、高額報酬を得ている経営陣の報酬経費を削ることを第一にすべきと思う。ゴーン氏はいち早く、日産東村山工場を閉鎖し、経営をV字回復させた。しかし、裏返せば、閉鎖の恩恵をゴーン氏が、すべてではなくとも、一部は奪っていたということになる。

ルノーとの提携を行いつつ、日本の経営陣の体制で立て直すべきではなかったかと思う。

今日のニュースでは、ベトナムでも国産車を生産するそうだ。技術はドイツ、デザインはイタリアを導入しているとのこと。
こうした、情勢の中、厳しいと思われるが、日産は技術で勝負して欲しい。いや、日産に限らず日本の自動車メーカーは競い合いながら、技術を高めて欲しい。

日本独自に打ち上げた人工衛星「みちびき」により、GPSを精度大いに高めた。今まではGPSの誤差は10mであった。みちびきにより、衛星のいずれか1機が常に日本の真上を飛び、データを24時間使うことが可能になった。GPSの精度が高まり、誤差が数センチレベルになったとのこと。自動車の自動運転の可能性は飛躍的に高まったと言えるだろう。とりあえず、国内における自動運転技術を高め、GPSだけでなく他の技術も導入して、世界のトップレベルの安全で正確な自動運転技術を創出して欲しい。

私としては、日産こそ頑張って欲しいと願う。これが今回のゴーン氏等の不祥事を乗り越える唯一の道なのではないか。
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政界でブーメランが飛んでいる? オーストラリア製のわが家のブーメランは?

2018-11-20 20:00:46 | 日記
片山地方創生担当相が、さいたま市や名古屋市などに設置した大型の看板が、公職選挙法に違反するのではないかと、国会で追及されている。
一方で、野党の今井議員の看板も違法ではないかと「巨大看板、野党にブーメラン?」などと報道されている。今井氏は「岐阜県の選挙管理委員会に合法であることを確認して、何も問題ない」、「合法であれば問題ないと。それに尽きる」、「選挙期間中は撤去している」などと述べ、「片山地方創生担当相とは違う」と強調しているとのこと。

野党が与党に投げた問題が、ブーメランのように戻ってきたと、与党はしめしめとほくそ笑んでいるのだろうか? 結末はどうなるのか、しばらくは成り行きを見るしかない。しかし、この問題に、あまり審議時間を費やさないで欲しい。場外で対応すればよいのではないかと思う。国会はもっと審議すべき国民に直結する案件をしっかり審議して欲しい。


オーストラリアから持ってきたブーメラン

さて、わが家には、オーストラリアから仕入れたブーメランがある。でも、狩りをするつもりはない。これらは、私が30数年前にオーストラリアに行ったときに、土産として買ってきたものだ。ニュースでブーメランということばを聞き、押し入れから出してきた。二つ三つかと思っていたが、6本もあった。妻はもっとあったのではないかというが、私の記憶は、それらは飛んで行ってしまった。

土産品なのでいわゆる"狩り"用ではないと思われる。狩猟としては頼りなさそうである。
そしてブーメランは獲物に当たった場合は、戻ってこない。何も当たらない時に、戻ってくるのだろう。戻ってきたとき、とても手でつかむことは危険で、できないという。手でつかめるのは競技用だろう。
わが家のブーメランは子供たちも遊ばなかった。フリスピーではよく遊んでいた。子供ながらブーメランの危険性を感じていたのだろう。

ところで、野党が投げた時点ではブーメランではなかったはずだ。ストレートな矢であったはずだ。投げた時からブーメランだとしたら、なんとおろかで徒労なことだろうか。政界でいうブーメランは、戻ってきたときにはじめて、ブーメランと認識される。

いずれにしても、情けない。与野党とも、議場で勝ち負けでなく、国民の方を向いた議論をして欲しい。
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