標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「強制は望ましくない」との天皇陛下のお言葉:日本において最も平和を願う人だ

2018-11-09 19:44:09 | 日記
今日は雨の降る中、現天皇の最後の園遊会が開かれた。ある報道番組で、MCが数人のゲストに「この中で園遊会に招待されたことのある人は?」と問うたところ、「はい」と答えた人はいなかった。続いて、「知り合いが招待されたことは?」問うが、ゲストはいいえだったが、アシスタントのアナウンサーが思わず「はい」と答えただけだった。

このようによくテレビで見る方々でさえ、園遊会とは無縁なのだ。ましてや、私達庶民が招待されないのは当たり前だ。別に期待しているわけではないが、園遊会の報道が自然と目や耳に入ってくる。

園遊会に招待された人の中から、ピックアップされた数人に、天皇・皇后両陛下が声をかけられるニュースが毎回流れる。今日の別の報道番組の中で、過去に招待された人と、天皇・皇后両陛下と言葉を交わした場面が放映されていた。その中で、2004年秋の園遊会で、永世棋聖の米長邦雄さんと天皇陛下が交わされた言葉が、現天皇陛下のお人柄が表れていると感じた。

米長さんは、東京都教育委員会委員の時、東京都の公立学校に対する「日の丸・君が代」の義務化に尽力したとのこと。2004年秋の園遊会で、米長さんが天皇陛下に対し「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と発言。陛下は即座に優しい口調だが、「強制になるということでないことが望ましいですね」と返された。米長さんは、「そう、もちろんそうでございます。素晴らしいお言葉ありがとうございます」と即答していた。

私は、「強制になるということでないことが望ましいですね」という天皇陛下の言葉には感銘した。父親である昭和天皇の苦労や苦悩を皇太子時代から見てこられた平成天皇の「平和」を願うお気持ちが強く表れている。即座にこのような言葉が、発言されるのは、心底から常に平和を願っておられるのだと思った。皇后さまも、象徴とは何かと問いながら、天皇にお使いするという意味の重さを深く認識しておられたようだ。

天皇・皇后さま、お二人で歩んでこられた足跡は、時代に翻弄されることなく、常に国民の安寧と国や世界の平和を願っておられたのだと思う。天皇こそ平和憲法としての現憲法を深く理解され実践されている人なのかもしれない。

すべて国民は、軽々しく憲法改正だということではなく、先ずは、現憲法の理念をよくよく反芻し、平和を探求していかねばならない。
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アメリカの中間選挙に思う:日本でも多くの人が選挙に参加することを望む

2018-11-08 20:59:16 | 日記
アメリカのケーブルテレビ、衛星テレビ向けのニュースチャンネル・CNNは、広報チームのツイッターで「大統領の報道への攻撃は行きすぎている。危険なだけでなく、心配なほど非アメリカ的だ」とコメントしている。

中間選挙後の7日にホワイトハウスで開かれた記者会見で、トランプ大統領に、「移民キャラバン」を犯罪と結びつけ、移民規制の強化を訴えたことについて、「彼らを悪者に仕立て上げていないか」などとCNNの記者が質問した。 トランプ大統領は、記者を罵倒し、黙るよう命じた。私もこの光景は、テレビ場面で何度も見た。

CNNはトランプ大統領の言動を「非アメリカ的」とコメントしたが、狭義の意味ではアメリカ的だと思う。ストレートすぎるほどトランプ大統領の本音だ。こうして、一方的なもの言いが、分裂・分断のアメリカを創造している。
日本なら、罵倒するというより、上から目線で睨みながらねちねちとチクる。代表的な人物は現副総理だが。激しく追及するのは、政権側でなく野党の方だ。

さて、開票により、おおかたの態勢が見えてきた段階で、早くもトランプ大統領は「大勝利だ」と述べている。メディアの論評を見てみると、これには二つの意味がありそうだ。トランプ大統領は真に勝利と思っている。過去の中間選挙は、政権側が負けることが多いとのこと。従って今回は、上院は共和党が過半数を確保したので、「勝利だ」という。
他方、下院では民主党が過半数を超えたので、共和党は敗北だ。しかし、敗北を認めたら2年後の大統領選挙は戦えないという目論見から敗北を認めないとのこと。

トランプ氏は良しにつけ悪しきにつけ、賛否両論をうまく使いこなしているとのこと。物事がうまくいけば自分の貢献を強調し、失敗した時は、相手が悪かったからだという。
このように、常に自分は悪くない、自分こそ正義だと語る。妙な一貫性を貫いている。
これをトランプさんはビジネスマンだからと評する向きもあるようだ。そして、容易に、中途半端に納得してしまう傾向もある。しかし、国民からすると、この論法にのってはいけない。

同じ記者会見でトランプ氏は、民主党と協力したいと融和の手を差し伸べ、インフラや貿易、医療などの分野で協力できるはずだと提案しているという。
民主党が協力すると、トランプ氏は、たぶん自分の力で、民主党を納得させられたと誇るであろう。一方で、民主党が対決姿勢を取った案件では、徹底的に対峙する。うまくいかないときは、民主党が反対したからだと失敗を相手のせいにする。当然うまくいったときには、トランプ氏の手柄となることは言うまでもない。

将来もこんな論法が通るアメリカになるのだろうか? とても危惧される。このように、トランプ大統領の暴言が通ってしまう状態こそ、CNNがコメントする「非アメリカ的」といえるのではないか。
「非」を取った「アメリカ的」とは、様々な人々、意見などを受け入れ、議論し、前に進んでいく自由なアメリカであるはずだ。

今や世界は、「自国第一主義」に傾きつつある。私ごときが、政治的な論評をするのはおこがましいが、何よりも日本もアメリカと同じ轍を踏まないようにと願うのみである。この危惧から、今日のようなブログになった。

アメリカの若者、女性、マイノリティの人たちが動いて、民主党が下院で勝利したという側面も大きい。
日本でも一人でも多くのさまざまなジャンルの国民が選挙に参加することだと思う。
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立冬、落ち葉掃きの「音」の味わい

2018-11-07 19:42:07 | 日記
「音たてて立冬の道はかれけり」という俳人岸田稚魚氏の句がある。
今日は立冬だ。しかし、アメリアでの中間選挙の熱気が太平洋を渡ってきたのかと思えるほど、暖かかった。今日のブログは、中間選挙のことを述べようかと思ったが止めた。

私の妻は今の時期になると、ほぼ毎朝、庭の落ち葉掃きを行う。狭い庭なので道を掃くほど音は大きくないが、枯れ落ち葉の音が冬というより、乾いた秋の風情を感じる。
今朝は、妻がタロ(犬)と散歩に出かけた後、私が庭の落ち葉掃きを行った。三分の一ほど掃いたところで、妻が戻ってきた。「今日は掃きにくいでしょう!」という。その通りで、昨日の雨で葉も路面も濡れていた。乾いた枯れ葉の音がしない。タロのシャンプーをするため、途中だが掃き心地も良くないので、この時点で終了した。

ご近所に小さな合宿所がある。この時期になると、宿の従業員が一人か二人で合宿所の敷地や周辺の道路の落ち葉掃きをする。この時の掃く音は、わが家の室内にいても、聞こえる。”サッッ、サッッ”と小切れのよいリズミカルな音は気持ちよい。

冒頭の俳句も、他人が掃く音を詠んだものだ。岸田稚魚氏は東京育ちで、結核を患った時期があった。自宅か病院で静養している時に、外から聞こえる「音」を詠んだ光景が浮かぶ。

私や妻も近隣の道路を掃く。竹箒とテミをもって出かける。私は新調したての箒で履くのが好きだ。箒を立てて使うのではなく、路面に対して可能な限り水平に近い形で使う。掃くというより、路面に軽く当て、はらうように使う。すると風が起きて、広範囲の路面の葉が舞いながら飛ぶ。一度の動作でなるべく多くの葉を掃けたときは、気持ちよい。私は、自身で落ち葉掃きを行う時は、音を味わうのではなく、一度の動作で多量の葉を掃くということに関心が向く。

特に落ち葉掃きの「音」は他人が立てるものの方が味わいがあると思う。
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急用でこれから外出。散歩で見た真っ赤なモミジ。

2018-11-06 18:20:47 | 日記
今日はこれから外出です。
小雨降る夕方の散歩の道端で、真っ赤なモミジを見つけました。モミジの赤は青みがかったのが多いけれど、日の当たり具合なのか朱に近い赤だった。


帰宅が遅くなりそう。ブログは休みです。

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「枯葉」は、紅葉とは異なるそれなりの味わいがあって趣がある

2018-11-05 20:08:30 | 日記
今日は、時折小雨や日も差していたが、曇りの一日だった。

孫の一人が、インフルエンザの予防接種後の後遺症か、喘息様の咳がでて、保育所を休むという。朝、息子から電話があり、母親が仕事なので子守して欲しいとのこと。

通院後、母親が連れてきた。妻は種まきが遅くなってしまうからと昼食作り以外は畑仕事。私が孫を見ていた。普段なら私と遊ぶのだが、今日は比較的おとなしかった。安静にしていようと、本人も意識していたのか、いたずらもせず昼食時以外は椅子に座ってテレビアニメを見ていた。幸いほとんど症状はなく元気そうだったので、ホッとした。午後3時前、孫は母親が来るや否や玄関を飛び出て、母親の車に乗っていた。母親は荷物を取りに家に上がってきたのはその後だった。ジジに安静を監視されながらの一緒の時間は退屈だったんだろう。

さて、孫が帰ったのは15時近くになっていたので、早めだが暗くならぬうちにとタロ(犬)の散歩に出かけた。
いつもより時間が早いため、車や人に会わない。曇り空で風もなく、穏やかであったが、その静けさが不気味にも感じた。坂の途中で足を止めタロを待たせ、360°見渡してみた。何も動いていない。一層の静寂さを感じた。

すると、今まで関心が向かなかったものに注意が向いた。
「枯葉」だ。いわゆるモミジの紅葉やイチョウの黄葉とは違った、渋い趣ある情景だ。
幾つかの「枯葉」を風景から切り取ったので、僭越ながら紹介する。


杉の葉の先端だけが色付いている。まるで花が咲いているようだ。


これも杉の葉で一本の木なのに、葉の生えている条件の違いで、枯れるもの枯れないもの、枯れ方の異なるものが混在していて、面白い。杉や檜は針葉樹で常緑樹だが、よくみると枯れる葉もあることを認識させられる。


檜の葉の枯葉。わが家は屋根の高さを超える杉や檜が家の近くにある。数本は切ったのだが、まだ残っている。これら枯葉が落ちてきて雨どいが詰まる。年に2回は雨どいの清掃が必要だが、実際はそうもいかない。雨どいの詰まりは厄介な事案だ。


太い杉の木にまといつくツタ。一枚の葉の周囲から枯れていき、真ん中は緑が残っているところが、趣がある。


擁壁に張りついたツタが枯れ、残ったツタの茎が不規則に這って枯葉も残っている。まるで壁画のようだ。
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