今日は雨の降る中、現天皇の最後の園遊会が開かれた。ある報道番組で、MCが数人のゲストに「この中で園遊会に招待されたことのある人は?」と問うたところ、「はい」と答えた人はいなかった。続いて、「知り合いが招待されたことは?」問うが、ゲストはいいえだったが、アシスタントのアナウンサーが思わず「はい」と答えただけだった。
このようによくテレビで見る方々でさえ、園遊会とは無縁なのだ。ましてや、私達庶民が招待されないのは当たり前だ。別に期待しているわけではないが、園遊会の報道が自然と目や耳に入ってくる。
園遊会に招待された人の中から、ピックアップされた数人に、天皇・皇后両陛下が声をかけられるニュースが毎回流れる。今日の別の報道番組の中で、過去に招待された人と、天皇・皇后両陛下と言葉を交わした場面が放映されていた。その中で、2004年秋の園遊会で、永世棋聖の米長邦雄さんと天皇陛下が交わされた言葉が、現天皇陛下のお人柄が表れていると感じた。
米長さんは、東京都教育委員会委員の時、東京都の公立学校に対する「日の丸・君が代」の義務化に尽力したとのこと。2004年秋の園遊会で、米長さんが天皇陛下に対し「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と発言。陛下は即座に優しい口調だが、「強制になるということでないことが望ましいですね」と返された。米長さんは、「そう、もちろんそうでございます。素晴らしいお言葉ありがとうございます」と即答していた。
私は、「強制になるということでないことが望ましいですね」という天皇陛下の言葉には感銘した。父親である昭和天皇の苦労や苦悩を皇太子時代から見てこられた平成天皇の「平和」を願うお気持ちが強く表れている。即座にこのような言葉が、発言されるのは、心底から常に平和を願っておられるのだと思った。皇后さまも、象徴とは何かと問いながら、天皇にお使いするという意味の重さを深く認識しておられたようだ。
天皇・皇后さま、お二人で歩んでこられた足跡は、時代に翻弄されることなく、常に国民の安寧と国や世界の平和を願っておられたのだと思う。天皇こそ平和憲法としての現憲法を深く理解され実践されている人なのかもしれない。
すべて国民は、軽々しく憲法改正だということではなく、先ずは、現憲法の理念をよくよく反芻し、平和を探求していかねばならない。
このようによくテレビで見る方々でさえ、園遊会とは無縁なのだ。ましてや、私達庶民が招待されないのは当たり前だ。別に期待しているわけではないが、園遊会の報道が自然と目や耳に入ってくる。
園遊会に招待された人の中から、ピックアップされた数人に、天皇・皇后両陛下が声をかけられるニュースが毎回流れる。今日の別の報道番組の中で、過去に招待された人と、天皇・皇后両陛下と言葉を交わした場面が放映されていた。その中で、2004年秋の園遊会で、永世棋聖の米長邦雄さんと天皇陛下が交わされた言葉が、現天皇陛下のお人柄が表れていると感じた。
米長さんは、東京都教育委員会委員の時、東京都の公立学校に対する「日の丸・君が代」の義務化に尽力したとのこと。2004年秋の園遊会で、米長さんが天皇陛下に対し「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と発言。陛下は即座に優しい口調だが、「強制になるということでないことが望ましいですね」と返された。米長さんは、「そう、もちろんそうでございます。素晴らしいお言葉ありがとうございます」と即答していた。
私は、「強制になるということでないことが望ましいですね」という天皇陛下の言葉には感銘した。父親である昭和天皇の苦労や苦悩を皇太子時代から見てこられた平成天皇の「平和」を願うお気持ちが強く表れている。即座にこのような言葉が、発言されるのは、心底から常に平和を願っておられるのだと思った。皇后さまも、象徴とは何かと問いながら、天皇にお使いするという意味の重さを深く認識しておられたようだ。
天皇・皇后さま、お二人で歩んでこられた足跡は、時代に翻弄されることなく、常に国民の安寧と国や世界の平和を願っておられたのだと思う。天皇こそ平和憲法としての現憲法を深く理解され実践されている人なのかもしれない。
すべて国民は、軽々しく憲法改正だということではなく、先ずは、現憲法の理念をよくよく反芻し、平和を探求していかねばならない。