標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

ブログは休みます

2018-11-14 19:42:33 | 日記
何故か、今週から来週にかけ毎日のように用件があります。特に今週の土曜日に会議があり、資料作りのため今日は休みます。悪しからず。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「はらぺこあおむし」:子供たちは絵本で、孫たちは絵本と歌で、育った。

2018-11-13 21:04:06 | 日記
今日9日、「はらぺおあおむし」を翻訳をされた、児童文学作家森比左志さんが亡くなられたとのニュースが流れた。101歳だったとのこと。
恥ずかしながら私も妻も、エリック・カールさんの名は知っていたが、翻訳者の名前は知らなかった。今日のニュースで「はらぺこあおむし」の翻訳者が森比左志さんだと知った。

「はらぺこあおむし」ということを聞き、子供たちや孫たちのことを思った。
子供たちは、絵本の読み聞かせで育ち、長男も次男も好きだった。もちろん3男も好きだったが、ついに絵本の穴を破ってしまった。その後、さらに本は破れるなど、ボロボロになり、今はない。

(本論からそれるが、エピソードとして、1969年にアメリカではじめて発売された版を印刷・製版したのは日本の会社だったとのこと。穴を開けたりページを小さく切った仕掛け絵本はコストがかかるため米国内で引き受ける会社が見つからなからず、編集者が日本の会社を見つけたとのこと)

時代は下って、孫たちも「はらぺこあおむし」が大好きだった。孫たちは絵本だけでなく、歌が好きだった。ユーチューブの動画を何べんも視聴した。昼寝の前、布団に寝転びうつぶせになり顔をあげて、タブレットに見入っていた。「おや はっぱのうえに ちいちゃなたまご ・・・」と幼児語で一緒に歌っていた光景を思い出す。

あおむしは月曜日にリンゴをひとつ食べ、火曜はナシを二つ、水曜日はすもも三つ、木曜日はいちごを四つ、金曜日にはオレンジを五つ食べる。あおむしが土曜日に食べたものを孫たちはすべて順番通りに復唱できていた。「チョコレートケーキと アイスクリームと ピクルスと チーズと サラミと ペロペロキャンディーと さくらんぼパイと ソーセージと カップケーキと それからスイカですって」と唱えられていたのだ。妻も私も暗唱はできない。思い出しても順に唱えられない。

毎日のように謳っていた二人の孫たちも今では6歳。今は「はらぺこあおむし」の動画を見たいとすがることもなく、歌うこともなくなった。もっぱらドラえもん、クレヨンしんちゃんのアニメを見ている。

子育ての過程で妻も私も「はらぺおあおむし」を子供、孫たちとともに絵本の楽しさを十分味わった。この物語の中に、さりげなく組み込まれた「食べ過ぎないでね」というメッセージ。でも、いっぱい素敵な食べ物もあるねと、子供だけでない大人たちを幸せにしてくれるストーリにほっこりさせられる。

改めて101歳という長寿を生きられた森比左志さんのご冥福をお祈りします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大リーグ選抜チーム監督「われわれは悲劇を忘れません・・・」と原爆慰霊碑に献花、芳名録に記帳

2018-11-12 20:15:12 | 日記
私ごとですが、今日も朝から発熱。通院したところ発熱の原因はインフルエンザ予防接種の副反応ではなかった。イレウス気味でした。そのための発熱で、レントゲン検査、点滴を行い、薬をたくさん貰い帰宅した。
やっと夕方になり熱は下がった。

さて、ブログは休みにしようかと思っていたところ、ニュースを見ていて、残しておきたいことばに注目したので、簡単に記録することとした。

日米野球の第4戦が13日、広島マツダスタジアムで行われるが、その前に大リーグ選抜チームの監督らが平和公園の原爆慰霊碑に献花をした。このあと原爆資料館を見学し、最後に監督が芳名録に記帳したとのこと。
「われわれは悲劇を忘れません。野球を通じて得た友情を慈しみ共に平和を願います」と。

昨日は3時間近くの映画で戦争の愚かさを感じたが、今日のこの短文の中には、それ以上の重みがあると感じた。悲劇を忘れない、野球を通じて、友情を慈しみ、そして共に平和を願うという各フレーズに、戦争の悲惨さと、友情、平和への願いが込められている。
思わず、かの大統領は、この監督と同じ思いを感じられるだろうかと危惧を覚えた。

今日は、大統領のことは忘れて、監督のことばをじっくり味わいながら休むことにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インフルエンザ予防接種を受けたところ、発症率10%の副反応がでたらしい。

2018-11-11 20:30:05 | 日記
昨日の午後、妻と私は、内科医院でインフルエンザ―の予防接種を受けた。
日中は何事もなかったが、今朝方、2時頃、寒気がして目が覚めた。しばらくするとブルブル体が震えてきた。あらかじめ用意しておいた靴下をはき、これは副反応による発熱かなと、布団の中に顔を入れて様子を見た。案の定、ほかほかと暖かくなり、眠りについた。しかし、1時間置きに、トイレに起きた。熱のためか残尿感に襲われたようだ。
いつもより1時間ほど遅く起きた。汗ばんでいた。

気分も良くなり、いつもの通り朝食を取った。ところがしばらくすると、やや節々に痛みというより、擦れるような違和感を感じた。体温計で測ると、36.5°だった。私の平熱は35.9°なので、これは微熱となる。ロキソニンを飲み、今日はのんびり過ごすことにした。

こたつに入り1日を過ごした。午後はBSで映画「戦場にかける橋」を観た。主題曲「クワイ河マーチ」を久しぶりに聞いた。映画はいわゆる戦闘というより、極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した戦争映画だ。そして、ラストシーン、橋の爆発に至るシーンのユーモアと「馬鹿げている。信じられない」とのセリフで終わっている。多くの人が評価するところだ。よくわからないと現実的な評価もあるが、映画は必ずしも現実でなくともよいと改めた思った。
しかし、いったん下がった熱だが、また上がっていたのか、映画を見ていて、2度ほど寝てしまった。でも、ストーリーは追えていたので良しとしよう。

夕食前から、だるくなってきた。また発熱。食後のせいもあってか、37.0°もある。
明日は熱が下がってくれることを願いつつ、ロキソニンを飲み休むことにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「みんなちがって、みんないい。」を引用して発達障害に関する講義が始まった。

2018-11-10 21:12:37 | 日記
今日は、精神科医による発達障害の講演会があり妻と二人で参加した。そのプロローグとして、金子みすゞさんの作品「私と小鳥と鈴と」という詩の最後のフレーズが「本日(講演)の目標」として、紹介されたもの。「みんなちがって、みんないい。」と紹介し、「世知辛い世の中ですが、一人でも多くのみなさまに、少しでも心からそう思ってもらえますように・・・」との語りから、講演が始まった。

金子みすゞさんの詩を、引用したのは、「多様性が大切だ」と述べ、次のように続けた。(ただし、50分間の中に多くの重要な項目があったので、スライドの標語の簡単な説明だけで話された。なるべく講師の論点を述べたいと思うが、以下は、多少なり私の意訳が入っているのでご承知おきください)

多様性とは生き物の自然現象だ。(正規分布曲線のように)左右に少数が存在する。つまり自然は多様性をもっているのはあたりまえだ。そして、(発達障害など)少数の人々に、多数(に入るよう)を求めても無理だ。その状態を受け入れることが必要だ。また、様々な病気や老いは、すべての人にとって当然であるように、人ごとで済ませられない。発達障害も「わがこと」としてとらえることが必要。そして、多様性と対峙することばに「画一的」ということばがあるが、画一的であることは短期目標としてはあるうる。多様性を受け入れることは長い目で見れば、組織や集団の利益・発展となる。
多様性は、生き物としての生存戦力といえる。多様性があった方が(種)は残りやすいとのこと。

今や、日本では発達障害のブーム、バブル期と言えるかも? その功罪もある。功とは、「きちんとした支援や理解ができるようになってきたこと」。罪とは、「(発達障害だと)過剰診断されてしまうこと。すべてが脳機能の問題にされてしまうので、注意を要する(発達障害というより、社会的な問題などもあるので留意)。
ブームとはいえ、専門家や療育機関の不足という課題もある。
なお、文科省の調査によると、児童生徒の10%ほどは発達障害又はその傾向があるという。

この後、講義は、発達障害の分類、支援の方針・目標の話に入った。その中で私の印象に残った部分を抽出する。

支援の方針は、①特性の理解、かかわり方や環境の工夫と②二次障害の最小化と自己肯定感の尊重とのこと。支援の目標は「能力に応じた最大限の発達を遂げ、その人らしい生き方ができるように!」だとのこと。

自閉症スペクトラムは、臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いことをいう。そして、「治療すべき病気」ではなく「支援すべき少数派」だ。欠落ではなく、一つの認知スタイル、脳のタイプとのこと。支援としては、場所とか時間を明示する、見て分かるように工夫(視覚的支援)、同時に複数の情報を出さない、感覚過敏への配慮(本人は気が付かない)、予定をなるべく変更しないなど。

二次障害とは、本人と周りとの相互作用、悪循環によって生じる情緒と行動の障害(反抗、暴力、不安、うつ、脅迫、被害的、自傷、不登校、ひきこもりなど)。

二次障害は不可避な面もあるが、なるべく最小化したいと述べ、大切なポイントとして「自己肯定感の尊重」として、解説された。

「自己肯定感」とは、ありのままの自分、等身大の自分、長所も欠点もある自分を、ほどほどにOKと思えること。
これは幼少期からの親子の愛着や信頼関係が基盤で、学童期後半から思春期にかけて、低下しやすいとのこと。
自己肯定感が低いと、さまざまな心の不調などがこじれやすい(二次障害)。自分にできることできないことの判断が難しい。負けや失敗を認めにくい。他人に相談することなどが苦手で孤立しやすい。→弱点を隠してしまう。
自己肯定感を育むためには、当事者のありのままの姿を知り、長所も弱点も丸ごと認めること。「ふつう」や他人と比べない。「禁止」より「望ましい行動」を目標(減点主義でなく加点主義で)。そして、感情まかせに怒らない。しかることとほめることのバランスが重要。性格とかでなく具体的な行動に対して効果的に対応。達成目標の25%は褒める。しかし、大人の押し付けや条件付きの愛情にならないように留意。

発達障害の子供に対して、イギリスの小児科・精神科医師は「ほどよい母親」という。つまり、明らかに完璧とはいえないお母さんの子が、まずまず正常に育っていくことができるとのこと。

また、ヘレンケラーの言葉も引用されていた。「障害は不便ですが、不幸ではありません」

以上、今日の講義のエキスを私の備忘録として書きました。悪しからず。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする