日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

パリ情報をエクセルで分析

2007年12月18日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
書店の規模によるが、世の中にはこんーなに
パリに関するガイド本やエッセイや情報があふれているのかあ、
と呆れている。

つい、全情報を収集してから出発!
と意気込んでしまったのが運のつき!

書店に行くたびにパリ関係の新刊本があり、
ほんとうに書庫などない我が家にパリがあふれ出してきた。

パリという街のイメージ通り、おしゃれな装丁の本も多く、
どの本も本当にパリを愛する人の手によって、
さまざまな切り口がほどこされいて面白い。

まず、無駄遣いを避けお得なパリを
実現するために、

●『気分はパリ暮らし』(沼口祐子著・光人社)
は無料で体験できるあれこれに命をかけていてありがたい。
ちなみに私が今、このブログをメモ代わりに使って
記録しておきたい情報は、

①【旅行者でも気軽に習えるパリの料理教師なら】の中で紹介されていた
料理留学を扱う予稿代理店【ゲートウェイ21 03-5367-2750】

②【ぶどう収穫祭でモンマルトルを一日遊ぶ】での
【http://www,parisinfo.com パリ全体の情報も分かる】

③【冬のパリをアクティブに楽しむなら無料スケーティング】
での【http://www.sport.paris.fr 詳細情報チェックのサイト】

④【パリで一番の激安ドラッグストア】ということで紹介されている
【シティファルマCITYPHARMA 26,rue du Four 75006
01 46 33 20 81 Mabillon駅(10号線)】
 
⑤【日本語が通じる病院と診察室】は絶対必要か、でも往診
をまずは頼むのが楽です。(カード会社付帯の保険サービスを
使ったりして)でも、一応メモると。
【アメリカン・ホスピタル 日本語ホットライン
 (24時間、365日  01 46 41 25 15】

ちょっと教育ママ的見地からは
せっかく歴史ある町にいくのだからして、
娘に絶対体験させたい、と思ったのが

●『パリ 小さな街物語』(山本馨里著・JTBバブリッシング)
に紹介されていた
【パリ・ストーリー 11bis, rue Scribe】である。
ガリア人の一族パリジー人が紀元前3世紀に今のシテ島に
住み着いた頃から、今にいたるまでのパリの歴史を45分間の
映像で解説してくれるそう。ヘッドフォンを使って、
日本語で聞くことができる。


まずはこの2冊のおかげですぐに決められたことが、
娘ははしゃいで喜んだ、★パリでスケート初体験★である。

よーく調べてみるとバックは背負えるタイプのものしか
持ち込めないようなのでリュックが。
それと手袋を絶対つけていなければならないとのことだ。

ああ、懐かしのスケートだあ
下手すると38年振りくらい、の暴挙なのだが・・・。
右足と左足を交互にサササーと出すんだっけな、
確か、ハの字をえがくんだよなあ、
としっかり基本は知っている。大丈夫だろう?
スケートリンクはモンパルナスタワー辺りと市庁舎前に出来るらしい。
しかも、エッフェル塔の1階にも出現するのだとか?

滞在するホテルの位置からして市庁舎前★パリ・プラージュ★
が便利そう。

初心者や子供用リンクが別にあり、
週末は無料スケート教室が開講されるらしい。フランス語でだろうから、
辛いけど、うけてみるのも度胸だめしにいいかもしれない。
いやあ、娘にとってですが・・・。

実は、本当にパリを侮っていたのかも、と思うほど、
まだまだ未知のエリアもいっぱいだし、
行きたくても行けなかった数々の場所も入れると、
なんと! 7泊だけのパリ滞在ではめっそうもない、全く足りない。

そこで、やはりいつものいい加減なスタンスを貫くことにした。
ただ、
★24日から連続4夜のバレエ観賞
★パリの歴史をざっと映像で見る
★お土産探しにいそしむ(安くて軽い、可愛くて美味しい)
★好きな絵のポストカードを必ず買ってあげる、ない場合もあるが。
 (美術館で教科書にのっている名作を見せながら、
  自分なりのお気に入りの絵を決めてもらう、
  それがポストカード選びの狙い)
★マカロン、チョコ、お菓子(ボンボンなど)のパリベスト5を2人で
検討する(要は食べたい、ということ)
★クリスマス後のバーゲンで娘の学校で必要な洋服、制服代わりの
スカート(娘の学校はブレザーだけが決められていて、スカートは自由)
とかお泊まり行事に必要な洋服などを安くゲットする。
★食事は豪華一点主義でランチに重きをおく(ランチコースめぐりか)
★歩くエリアは 
①チュイルリーからポンピドゥー・センターまで
(パッサージュを含む)の界隈、
②マレからサンマルタン運河
③モンマルトル界隈、
④サンジェルマン、リュクサンブール公園から
ボン・マルシェ界隈かなあ、
と決めた(ただ、予定は未定!)

と以上のこと(★じるしのもの)は押さえていこうと思っていまーす!

歩いていれば、名所は自ずとついてくる。という方式でいきます。
(娘が選んだ漫画「のだめカンタービレ」の関連地点は
すべて網羅できますし・・・・)

ただいま、上記の歩くエリアに沿って、お昼に入るお店や
カフェを検討中です。

それがもっとも大変 エクセルで表を作って、
20冊に及ぶ本からあらゆるすべてのお店情報をインプットして、
最も多く紹介されたお店にしようと思い、
入力を始めたのだが・・・・・。
あっという間に6百件以上になってしまい、
パリでは本で紹介されるレストランは星の数ほどあるということが
心から理解できた。

そんなかんだで、ミシェランのガイドブックが有効になるわけね、と!
納得。
それでも、感度のよい人たちから複数推薦のあったビストロやカフェ
はちらほらと出てきたので、そういうお店に行って参りやす。

それから3つ星レストランには行けないが、
子供と入れそうな3つ星レストランのシェフが手掛ける
カジュアルなお店には絶対入ってきたいと思っております。

國虎屋(うどん)とか絶対はずせない和食レストランもあり、
本当に、レストラン選びが大変なわけでした。

現地に行ってしまうとほんとーに
いい加減にその辺のお店ですませてしまうので、
今この瞬間行きたいお店をリストアップせねばなりませぬ。
できないと、きっと後悔する・・・・・。
ていうか、いい加減に終わる。ま、それも、いっか。

 
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モンマルトルへの期待

2007年12月18日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
私は芸術家が集う町が好きらしい。

それは例えば、サンフランシスコだったら
わざわざサウサリート(アーチストが多く住むという)
まで足を伸ばして、いたく気に入ってしまい、
2回目にサンフランシスコを訪れたた時は
あえてサンフランシスコに泊まらず、
サウサリートの宿を選ぶということだったり。

実は'90年まで4年間住んでいたニューヨークでは
ソーホーやトライベッカが好きだった。
(今では更にアーチストたちは家賃の安い郊外へと
移っているようだが、今のソーホーにはその頃の
面影はあまりない)

一度ニューヨークからロスのサンタモニカに移りたくて
たまらなくなったことがあったが、
丁度そのころ、アーチストたちが好んで移っていったのも
サンタモニカだった。

さて、パリでは?
本来、ピカソやユトリロら画家たちが集ったモンマルトルの丘
は興味をもっていたにも関わらず、
ほとんど訪れることがなかった。

ようやく訪れたのが、2年前の夏。
あんまり調べて行かなかったので、
道に迷ってばかりいたのを思い出す。

変てこな形のサクレ・クール寺院(写真上)は
実はそんなに美しいとも思えず、周辺に2,3面白い
雑貨店があったのを覚えているだけだ。

ところが、いろんな雑誌やガイドブック、お堅い本も含めて読んでみて、
私はこのモンマルトルの丘のすばらしさをほとんど分かっていない
ことが分かった。

モンマルトルの丘になぜ、アーティストが集うのか!
その自由な下町風情(本によると、ですが)
を今度こそ、しっかり味わってきたいと思っている。

ただ、どことなくアブナイ所という印象があって、
母子で夜までそこでは遊びたくない。
やはり中心はカフェ、雑貨やさん、美術館、
寺院、教会といったモンマルトルの昼の顔だけを
味わうことにとどめたい。
いつか「ムーラン・ルージュ」や夜のシャンソニエに
挑戦したいが。

さて、しかし現在、アーティストが好んで住むパリは
どこなのかが、ちょっとまだよく分からない。
BOBOたちが北マレ地区を好む、といったことくらいしか知らない。

かつて、芸術家がたむろしていたモンマルトルに
今も等しく芸術家が集っているのだろうか?

ただ、ピカソの弟6婦人(愛人で)フランソワ・ジロという
女性(画家でもある)のアトリエがモンマルトルに今でも
あるということは友人が教えてくれた。
パロマ・ピカソのお母さんである。

ピカソと別れたあとは、ノーベル賞を取った科学者と
再婚して、幸せな日々を過ごしたその女性は今では主に
ニューヨークに住んでいるそうだ。
スケールの大きいその人生に圧倒されるばかりだが、
モンマルトルとニューヨークはどこか共通する香りが
漂っている。多分、自由、という香りだ。

ところが今回私ははるか彼方2000年前まで
パリの歴史をさかのぼってみて
聖なる香りこそをモンマルトルの丘にかぎつけたのだ。

それは都市伝説としてずっと伝えられてきた、
聖ドニの奇跡、のことである。
どんな迫害を受けてもイエス・キリストへの
信仰を捨てなかった聖ドニが
首を切られた場所が今のモンマルトルの丘であった。
「このとき、首のなくなったドニの体はすくっと立ち上がり、
落とされた自分の首を手に取って、ひとりの天使に
先導されて、約2マイル(約3キロ)歩き、そこで倒れた」
『フランスにやって来たキリストの弟子たち』
(教文館/田辺保著)という。西暦96年頃のことであった。

ドニが途中で首を洗ったとされている泉水がモンマルトルに残っている。

本によれば、その場所はビュッソン小公園とのこと。
私は俄然そこへ行きたくなったのだ。絶対に行く!

パリにあるあらゆる教会装飾や宗教画に
首を持った人間が描かれていたら、それは聖ドニのことである。
ちなみにノートルダム寺院のファサードにもそんな彼が描かれている。

モンマルトルの丘は殉教の地でもあったのだ。
まあ、古都パリなのだからして、
血塗られた歴史の舞台となった場所も多いだろう。
コンコルド広場がかつて革命時にギロチン処刑が
行われた場所であることはご存じだろうか?

霊感の強いとある友人はコンコルド広場へは
どうしても行く気がしないのだそうだ。体が拒否すると言っている。

モンマルトルは殉教だからして、聖なる場として私は受け
とめているのだが・・・。
だからこそ、芸術家たちがその才能を開花させることが
できたのでは、と思ってみたい。

ちなみにパリ郊外のサン・ドニ大聖堂は
もちろん、この奇跡の人(彼が祈ると猛獣もおとなしくなるとか)
にまつわるものであることは確かなようです。

パリにはそんな伝説があって、
それが真剣に受け取られ、
受け継がれてきた町でもあったのだという驚きがあるのです。

まあ、お気楽にちょっと俗っぽく、映画「アメリ」の舞台としての
モンマルトル探索にもうつつを抜かすつもりです、がな。
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