昨日の続きです。
三河にはその白犬の頭を葬った所に社を創建したとされる犬頭神社があるようで、御祭神は保食神うけもちの神様です。

犬の尾は大崎町に葬り、足は一宮町の足山田に葬ったと伝えられているようです。
犬頭神社の御祭神である保食神は『日本書紀』に登場する体の穴から食物を取り出す食物神として登場しており、「古事記」の中では大宜津比売神オオゲツヒメという女神になっています。
御祭神名から月の神様ですね。月読尊が殺したとかされてますが、月が月を殺すなんて変だと思っています。
日本神話や伝承だけでなく、保食の神様の神話は世界各地でも見ることが出来ます。
特徴としては、食物神はバラバラにされて埋められ、そこから穀物や蚕が生まれるのです。蚕は天の虫。生態の不思議も物語に語られやすいのかもですね。
三河の犬も、蚕を産した頭を筆頭に、各部が別々の場所に葬られたというのは興味深いです。
全ての生命は亡くなったあとは、様々な形で地球に戻って、生きとし生ける人々を様々な目に見えない形で陰から支えているということでしょうか。
蚕の幼虫はクワの葉を食べて育ち、糸を分泌して繭をつくりその中で蛹に変態します。


動物(蚕)が植物(桑)を食べて、その絶妙な和から糸を生み出し、自分の安らぎの場所である繭をつくります。
にぎたえ。和妙。糸と會う。会う⇨繒服の漢字「繒」にも、「和」を感じます。
繭は蚕にとって、胎児が羊水の中でふわふわ安らかに静かに浮いて何ものにも囚われることなく身を任せるような感じかなぁと思います。蚕は、自らが自らでその繭のカプセルを作るのです。
日本神話で、殺されたオオゲツヒメの眉から蚕が生まれます。繭と眉をかけましたね?きっと。
また、別の場所から粟が生まれたり。粟は阿波国。あらたえの忌部氏を想起させます。😌
日本語の言霊や響きを神話に織り交ぜて面白いですね。
ところで、眉毛の間には天眼があるとされています。

お釈迦様の額のほくろみたいなのは白毫。白い毛の渦。まるで、蚕の繭みたいではないですか?
お釈迦の叡智は、紡ぎ出される真っ白で滑らかな糸のような、まるで美しい川の流れ。天の川銀河。無限の可能性と尽きることない泉のような智慧。
天の川に七夕に橋をかけるカササギは、白黒の色をもち、陰陽を繋ぐ鳥。
そんな美しい光景を蚕の繭と重ねながら空想します。
和する心や愛を広げる心が大きく開くと
マユとマユの間に皆が持っている天眼が開くのかな。
赤ちゃんは誰とも争わず周りに愛と
和みを与える存在です。
生まれたては純粋な心の眼は
段々と絡まって覆われて見えなくなる
のかもですね。
その心の眼を滑らかにほどき
陰陽のバランスのとれた中の眼が
天眼なのかもなぁと思いました。
陰陽五行思想は自然の構成を(地・水・火・風・空)に分ける思想です。その思想から派生し、それを人間に当てはめたものを繭気属性と呼びます。この繭気属性にも、繭の文字がありますね。
なんだか、不思議だけど、面白いと思います。
繭は、糸のように細かく分かれ、よれたり、戻ったり、その糸を巻き取ったり、そうして全てを包含するイメージさえしてしまいます。
