夫のススメで、宇佐神宮はガイドさんをつけて、詳しく案内してもらいました。ベテランのあったかいガイドさんで、沢山のお話を教えてくださいました。
夫は、深く知りたい人なので、要所要所ではじめにガイドさんをお願いしています。
入り口付近に機関車がありました。これに乗って、車の無い時代はこぞって宇佐参りをしたようです。機関車のあった時代の宇佐神宮は、参拝客で溢れていたようです。
宇佐神宮の起源は、神武天皇東征にさかのぼります。
菟狭(うさ)はよ、さす潮の水上(みなかみ)、豊国の行宮(かりみや)。ああはれ、足一騰宮(あしひとつあがりのみや)とよ、行宮。足一騰宮は行宮と青の岩根に一柱坐(ひとはしらま)す。
古事記での最初の寄港地である宇沙(大分県宇佐市)は、カムヤマトイハレビコノミコト(後の神武天皇)を迎えた宇沙都比古(うさつひこ)、宇沙都比売(ひめ)が、仮宮である足一騰宮を作り、大御饗(おおみあえ)を開いてもてなしたと記紀の記述があります。
足一騰宮は、柱1本を階段のようにして使った建物とも、屋根を1本の柱で支えた建物ともいわれる簡素なものだったようです。
宮があった場所も宇佐市内では、次の日に行った安心院や、宇佐神宮の境内にかつてあった弥勒寺の跡地そばもその一つのようです。
宇佐神宮のあるあたりは『騰隈(とうのくま)』と呼ばれ、足一騰宮の名残と考えられてきており、石碑がたっていました。
また、神仏融合の最初の神社でもあり、御神輿も宇佐神宮が日本初のようです。御神輿を担ぐ菅貫神事が一年に一度おこなわれており、これは、宇佐神宮最大のお祭りです。そのお祭りにあわせて参拝した訳ではなく、偶然その祭祀の日に参拝して、凄い神事を拝見できました。(後日記載します☺️)
境内最初にありましたのが黒男神社。
ヒノキの皮で屋根をふく檜皮葺。古くなると苔が生えてきます。なかなか趣きがあります。境内にあります、摂社はこの屋根が使われています。古くなるとまた、新しく同じように作るようです。
宇佐神宮といえば、有名なのが皇統を乗っ取ろうとした道鏡事件があります。しかしながら、身を挺して、皇統は血筋で守るべきという宇佐の神託を伝えた和気清麻呂がいます。
和気清麻呂はその後、皇統をまもりましたが薩摩に流されます。しかし、後に神託が本当と認められて、命がけで皇室をお祭りしたということで、護皇神社に祀られています。
宇佐神宮、大尾山にお祀りされていました。道鏡が刺客を送った時に、猪が30頭和気清麻呂をお護りした話があり、和気清麻呂を祀る神社には、猪も祀られているようです。大正時代にはお札にもなった御方です。
お札にも猪🐗が!
宇佐神宮では様々な神様が祀られています。ガイドさんは水の神様のところへまず案内してくださいました。
池では蓮が。赤い太鼓橋も映えます。
午後の参拝のため、殆どが蕾でしたが、一輪だけ閉じわすれた?蓮の花が咲いていました。
能の舞台が水面越しにありました。神様をお呼びして能を楽しむ神事もあるそうです。
この水辺のそばに御霊水をくむ井戸が3つありました。こちらは、はじめて八幡大神が姿を現された場所のようです。
雨が降らなかったりすると、巫女さんがこの場所で高龗神、龍神様に雨乞いしたり、この御神水を神事にはお汲みしていまでも使っているようです。鍛冶屋の火を水で冷やし固めるのにも使い、また、八幡製鉄も、最初こちらの霊水を使った話がありました。
そして、井戸のそばの八角形の石には馬の蹄の跡が。これは、神様がお乗りになられ、天に飛び立つといにつけた蹄跡だとか。。
こんな話はなかなか知りません。ガイドさんのお話に吸い込まれます。
そこに、もうひとりの女性のガイドさんがきます。
コロナ禍でガイド業も縮小しており、その中でも案内してくださっているのはベテランのガイドさんだから、ラッキーね、、私も勉強させて貰いたいから、ご一緒していいかしら?と途中から2人のガイドさんと周る事ができました。
宇佐神宮の拝殿に向かう階段に大木があります。イチイの木。
つづく