大分県宇佐市安心院にあります妻垣神社を参拝しました。
安心院は、夫の祖母の実家があります。
義父が疎開した地。
こちらでも安心院のガイドさんに案内してもらいました。
御歳80歳を超えた翁のようなガイドさんでした。優しくて、あったかくて、話が面白くて、丁寧で、そして健脚で年齢を聞いてびっくりです。翁さんとお呼びします。
安心院はすっぽん料理が有名です。古代史の秘密があると安心院を何度も訪れたのが、松本清張さんのようです。
翁さんの話だと、すっぽんは健康に良いらしく、スーパーなんかでも安心院では手に入るようです。ご入用なら一緒に行きましょうか、、と。旅が続くので遠慮しましたが、健康と食のつながりを感じました。
私も夫も前日、旅館で初挑戦しました。初めてでしたが、亀と一体になったから何年か寿命伸びたね、、と。、はじめは見た目にびっくりしましたが、、、始めての食感で美味しかったです。
器も可愛かった
安心院について、翁さんは古事記をだして話し始めて下さいました。
古事記では、
豊の国の宇沙に着いたとき、宇沙の住民である宇沙都比古と宇沙都比売の二人が足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)を作って大御を献上した。
日本書紀では、
そのとき菟狹国造の祖先の菟狹津彦(ウサツヒコ)、菟狹津媛(ウサツヒメ)が、菟狹の川上に一柱騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)を作って奉り、宴会を行った。
そのとき菟狹津媛を(神武天皇の)家臣である天種子命(アメノタネコノミコト)に娶らせた。
天種子命は中臣氏の遠い祖先である。
とあります。ということは、後の藤原氏の祖ということでしょうか。
この足一騰宮や、天種子命に纏わる聖地の話しはまた後日に。。
足一騰宮の候補地は、3箇所あり、宇佐神宮と、安心院の妻垣神社と和尚山(かしょう)登山口らしいです。前日の宇佐とあわせて今回は2箇所目です。
そこは、かつて騰宮(とうぐう)学館という学校でした。
妻垣神社の境内につくられた学校で神職を養成する学校だったようです。
全国でも、伊勢の神宮皇學館、東京の國學院大学、安心院の騰宮(とうぐう)学館の3校が神職を養成する主な学校でした。
しかし、敗戦後GHQの政策により廃校にならざるをえなくなったようです。
この場に立ち、全身で空気を感じました。
かつて神職を目指した方が学んだ場所。
いまでは、トンボやバッタが飛び交い、そして蝉の声が鳴りしきる空間。。
安心院の騰宮(とうぐう)学館はどんな学校だったのか、、
それは、
「人はみな神の御子」
の思想の下、
貧富や出自や国籍などの
あらゆる差別を排して
学生を受け入れ育てた
稀有な学校だった。
(松本清張と安心院、隠れた九州の霊地より引用しました。)
今日は長崎原爆投下の日。
犠牲者には心よりお悔やみ申し上げます。
敗戦により日本は大きく変わりました。そして、成長したと捉えられています。しかし、かつてあった清らかな思いの地が、空間となって、石に刻まれた石碑だけがぽつんと立つ跡地に。
そこに立つと、
置き忘れた魂の光と風が、忘れないでと泣き仕切る蝉の声と共に私の魂にも確かに届いた気がしました。
世界が平和でありますように。
合掌