宇佐神宮参拝記続きです。

近くには、弟の莵道稚郎子命(ウジノワキイラツコノミコト)が春宮神社に祀られていました。とても優秀な皇太子であり、応神天皇は次期天皇にと期待しており、また、渡来人のワニ博士が家庭教師をしたようですね。

こちらの画像はおかりしました。



山幸彦を大和朝廷とすると、海幸彦が隼人(熊襲)、、とも言われる方がいます。。
次は下宮です。ここは、伊勢神宮でいう外宮と同じ役割のお宮でした。お食事を作る神様です。



八坂神社のそばに、廃仏毀釈前には確かにあった弥勒寺跡があります。



つづく

こちらの画像はおかりしました。
応神天皇の子であり皇太子として期待された莵道稚郎子命は、兄である後の仁徳天皇と皇位を譲りあい、そして、応神天皇の死後、天皇不在を嘆き自ら宇治川で命をたったとされていました。お名前も、ウジノワキイラツコ。この御祭神は若宮神社とは別に一柱だけで祀られていました。
ここは、ガイドさんがチラッとしか案内しなかったので、あとで調べました。。
仁徳天皇誕生秘話や仁徳天皇にまつわる話しは、実は色々と気になる部分があります。確かめることは不可能ですが、いつかこの違和感のてがかりがあれば、整理したいです。
下はイノノメとよばれ、ハートマーク。猪の目という意味だそうで、和気清麻呂を猪が救った話がこの宇佐神宮には伝えられています。つまりは皇室の守護をした神獣の目がイノノメで、宇佐神宮だけでなく、色んな神社にあるようです。トリビアですね☺️


次に、何故、神仏融合になったのか、、これは、隼人族が関係しています。
大和朝廷に逆らった隼人一族を景行天皇が悉く殺した後、疫病が流行ったため、天皇は仏の力を借りて鎮魂をしなければと、初めて神社に仏教を融合させたようです。ガイドさん、この場所で話します。。

山幸彦を大和朝廷とすると、海幸彦が隼人(熊襲)、、とも言われる方がいます。。
次は下宮です。ここは、伊勢神宮でいう外宮と同じ役割のお宮でした。お食事を作る神様です。


下の写真は、大分のお酒。下は焼酎。いいちことか有名ですね。
真ん中の、お酒の名前にもなっている双葉山は大分出身の力士で、いまだに連勝記録が抜かされていないようです。

次は、宇佐神宮内の八坂神社へ。

御祭神は素戔嗚尊。きちんと手を合わせてきました。大きな御神木が聳え立っていました。

八坂神社のそばに、廃仏毀釈前には確かにあった弥勒寺跡があります。
明治時代の神仏分離により、神社にあるお寺は全て取り壊されました。


こんな↓のが広大な敷地にあったのです。ご本尊の薬師如来は近くの大善寺に安置されたようです。薬師如来は、市杵島姫の別名。神道の宗像三女神。同じ無形の存在に、色んな名前を色々つけますね。。

私は、何故寺にある神社は大丈夫なのか?と聞きました。もともと、寺だった所に神社を建てたものは廃仏毀釈の難は逃れたようです。
確かに、同日参拝した富貴寺と両子寺には、神社がありましたから。
最後に呉橋。こちらも詳しく説明してくださいました。。中国を模して作られており、名前も呉越の呉からきているとか。


このあと、極楽寺に。ここには、大善寺だけでなく、神仏融合の時代に祀られたご本尊が安置されていました。
廃仏毀釈のさい、川に捨てられたものを、それはあまりにも酷いと後々安置したようで、室町時代の作だそうでした。
お寺には傷ついたご本尊が安置され、歴史や宗教の流れを感じました。
つづく