大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

土佐国造り 3 事代主神

2022-06-25 05:33:00 | 神話・物語・本から
昨日の続きです。
妹と重なる。。笑


高知の西部、幡多地方には、県下最古最大を誇る曽我山古墳があります。波多国を造るように任命された天韓襲命のもの?とも推察されていて、古墳の大きさや形態から考えても国造級のもののようです。


また、幡多地方にあります高知坐(たかちにいます)神社の御祭神は、都味歯八重事代主命で、曽我山のそばにあります。


奈良県にあります、高市社(現在は河俣神社)は曽我川のそばにあるようです。


曽我は、スガ、スサと同義で、素戔嗚尊との繋がりを思います。妹の作った系図がわかりやすい❣️

素戔嗚尊① - お山にお宮がたちました

素戔嗚尊① - お山にお宮がたちました

こちらの画像は、神様や龍神様の絵を描いていらっしゃる草葉一壽さんの絵です。どれも美しくて、とても好きで弥勒菩薩様の絵を机の横に飾って眺めています💖お名前で...

goo blog

 

御祭神の事代主様は素戔嗚様のお孫さんにあたりますね!


ところで、高知坐神社の御祭神である

都味歯八重事代主の都味歯ですが、

積羽八重事代主と同神です。トミハ、ツミハ、、響きから漢字を当てたのでしょうね。 その積羽八重事代主を御祭神とする神社が、奈良の旧大和国葛上郡にあります。

鴨都波八重事代主命神社です。


御祭神


積羽八重事代主命

下照姫命

[配祀] 建御名方命

のようです。

神社名の鴨都波八重事代主命についてですが、古書には「鴨都味波八重事代主命」または「鴨味都波八重事代主命」ともあるようです。


前者は、

鴨、都、味波

都は、接続詞=の、ですから、鴨のミワ。ミワは、大神神社の神様。また、アチメの歌では、神はカモ、ともありますから、つまり「鴨の大神」となるのではないかなと。





つまり、鴨都波八重事代主命神社 の「神」は鴨大神(アヂシキタカヒコネ神)なのか、諸説あるようですが、事代主神は紛れもなく鴨族と縁深い神であるようです。


また、後者の

鴨、味都波、は


味都波は水端(ミズハ)、ミヅハと捉えるなら、御神名から水神や龍蛇神と深く縁がありますね。




高知県宿毛市平田町の高知坐神社の

都味歯八重事代主命

も、同じく鴨族との関係を思います。


ところで、鴨族については一言主神について以前書きましたが、鍛治技術に長けていて、争いをさけ、武器ではなく、鉄を農具として広めた一族だったようです。


また、事代主のコトですが、神格としてもっとも顕著なのは「託宣の神」であるという点です。


天武天皇の壬申の乱の時、高市社(現在の河俣神社)に事代主様から神託が降ろされました。


古代においては「事」と「言」の区別は無かったようで、神の「言」を「代(代わりに申し上げる)」する主が、事代主神様でした。


現在でも皇室の守護神である宮中八神の一柱として手厚く祀られる神様であり、鴨族は事代主神の時代に最高の権勢を誇ったようです。


また、奈良の旧大和国葛上郡のこの

鴨都波八重事代主命神社創建については、大田田根子の孫神である大賀茂祇命(オオカモツミノミコト)が奉祭したのが始まりとされ、この神社は、大神神社の別宮とも言われています。

高知の香美郡の美良布神社。香美は、神からきたのかな?

美良布神社 - お山にお宮がたちました

美良布神社 - お山にお宮がたちました

今年から高知の香北町というところに年に2回仕事で行くようになった。私の住むところから車で1時間少しかかるくらいのところにある。アンパンマンの作者であるやなせたかし...

goo blog

 

妹が以前参拝し、物凄く気がよい神社だったようですが、御祭神が、大神神社の大物主の末裔大田田根子神でした。


大神神社は、今一番行きたい神社です。


つづく


土佐国造り 2 大和との地名縁起

2022-06-24 04:30:00 | 神話・物語・本から

昨日のつづきです。


役小角の時代に起きた、大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子の戦いである壬申の乱中の、神様からの神託の話の続きです。


大和川最大の支流である曽我川のそばに御坐します、

奈良県の高市御県坐鴨事代主神社のご祭神は「事代主神」です。

古墳時代以降、「事代主」は雲梯(うなて)の地で大和朝廷を守護してきた出雲の神様と書かれていました。


役小角の生きた時代、壬申の乱の最中に神懸かりが起こった高市社は、今は河俣神社というようですが、雲梯(うなて)神社ともいわれていたようですね。


ちなみに、河俣ヒメという姫様の父が事代主。別名糸織ヒメ、五十鈴依ヒメと同一かとも言われており、第2代綏靖天皇の皇后様です。

つまり、高市社から河俣神社に名前は変わったものの、河俣神社は事代主に深い縁のある、愛娘のお名前ですね。


また、雲梯の名前からは、雲間から光が射す梯子を想像したりします。事代主様は、恵比寿様。日の出の神様ですね。






また、運動場で子供達が手をぐっと伸ばし遊ぶ遊具を思います。しっかりと、ひとつずつ前に進む。小さい頃娘が手を豆だらけにして頑張っていた姿が懐かしい。




空に手を上げて雲を掴むような徒労を重ね国造りを一生懸命にした出雲側が、その国を泡のように失ったのかもしれません。

国造り後の国譲りは、そんな簡単なものでは無かったと実際は思っています。


現在の奈良県橿原市雲梯町付近は、太古に神聖な森が広がっていたようです。

神聖な鳥である「鷲」が棲んでいて、人々の尊崇の念を集めていたと言われています。万葉集にも、


思はぬを 思ふと言はば 真鳥(鷺)住む 雲梯の杜の 神し知らさむ


「あなたのことを思っていないといっても、鷺の住む雲梯の社だけは真実を知っていますよ。 」





雲梯の社、河俣神社、もとは高市の社があったところ。

和歌の「あなた」を「国造りした大地」と置換えて和歌をもう一度感じてみます。。。


神話で出雲の国譲りの際、弟の建御名方とは違い、八重事代主神は、素直に国譲りを承諾したと言われています。

そして、鳥や魚を獲るために美保の岬で船に乗っていた事代主神は


「この国は天照大御神の御子にお譲りしましょう」


と言って乗っていた船を踏んで傾け、天の逆手をパンっと打って青柴垣をつくり、その内に隠れたといわれます。


青柴垣とは、事代主にとったら雲梯の森の神奈備山も、その一つだったのかもですね。奈良県のサムハラ市には、忌部町や雲梯町などもあり、古代神話の神の縁を感じます。



さて、随分話しは高知から離れたようですが、奈良県のサムハラ市にあります地名と、

高知の幡多郡(波多から改名)にあります地名にはその他にも共通点があります。


また、高知だけでなく、忌部という阿波を連想させる地名が四国にはあり、古代出雲族や祭祀と密接な関係があったことが伺えます。


事代主は恵比寿様。



恵比寿様が笑って迎えてくれた - お山にお宮がたちました

恵比寿様が笑って迎えてくれた - お山にお宮がたちました

小径を歩いて道がなくなる最後のところまで行った小高く上がったところに山頂があった。そこまで広くはないが平になっていて御神木と思われるような大きな木が凛とたってい...

goo blog

 



恵比寿様は、高知県西部の山奥の津野山(母の故郷)、四万十川源流の地の、奥の奥にお祀りされている神様です。

日の出の神様であり、長い夜が明けた後に、暗闇から徐々に何事もなかったようにニッコリ光を出してくださる、そんな神様のようにも思っています。











つづく


【神社画像、鷺、うんてい遊具の画像はお借りしました。】


土佐国造 波多国と都佐国

2022-06-23 05:29:00 | 神話・物語・本から

古代祭祀に関係する氏族で、あらたえを織る忌部氏について書きました。忌部氏は阿波国の御方。四国は故郷ですから、次は土佐、高知県について書いてみたいと思います。


『国造本紀』によると、土佐国は初め、

波多国(高知県西部)と都佐国(現高知市あたり)の2国に分かれており、

波多国は第10代崇神天皇の世(異論あり)に、神のお告げによって、天韓襲命「あまのからそのみこと)が国造に任命されたようです。


一方、都佐国は第13代成務天皇の世(131~191)に、長阿比古の同祖で、三島溝杭命9世の孫の小立足尼を国造に定めたと、これまた『国造本紀』に記されているみたいです。小立足尼は、鴨族や一説では、長髄彦や、トミヤ姫(長髄彦の妹)と血縁がある天八現津彦命(あめのやあきつひこのみこと)、別名、観松比古命と記されているみたいです。松を観る男!







高知市 桂浜と松。この景色観たのかな?



幡多国の方が都佐国より国造りでは先だったようですね。


さて、その幡多国ですが、大和朝廷につながりをもった天韓襲命という人が、神のお告げによって選任されたとありました。お名前や地名から、ハタと関係がありそうです。秦氏 が渡来人であったように、天韓襲命も帰化人ともいわれています。


幡多地方は、今でも不思議と土佐弁ではなく、京言葉を喋りますから、すぐ幡多出身ね、、と高知県内でも解ります。


平家落人の方たちかなぁと思っていましたが、起源はもっと昔のようです。


一応、古代末期に波多郡を与えられた平重盛が、家人平田俊遠を平田に置いたといわれているようですから、京に縁がある方が住んでいたようです。


その、平田の名前を地名にもつ高知県西部の宿毛市平田町の高知坐(たかちにいます)神社。


御祭神は、都味歯八重事代主命です。


「土佐式社考」に


「都味歯八重事代主神は大和国高市郡高市社の祭神であるから、高知坐神は事代神主命であろう。

高知・高市は相通ずる。……

国造本紀には事代主命の9世の孫である小立足尼が都佐の国造となっているので、神名帳にある大和国高市郡波多神社もこれと同じであろう」

とあります。


奈良の高市郡に波多郷があることから、土佐の高知坐神社も波多という国号も、ともに大和(奈良あたり)の名を移したものであるとされています。


この大和の高市については、興味深い話しが役小角の本に出てきます。


それは、簡単に言うと

壬申の乱(672年)の時に、大海人皇子軍を援護する神がでてきて、

当時高市の社の、高市の名の神官に神がかり的なことが起き、大海人を戦勝に導いた話しです。


大海人とは、後の天武天皇です。

役小角や仲間たちは天智天皇や斉明天皇の恐怖政治を止めるために、陰でずっと政権打倒を我慢強く応援していました。


「日本書紀」に記されている神がかり的なことが起きたとされる「社」は、奈良県にあります3社です。


「身狭(むさ)の社」(橿原市見瀬町)

「村屋の社」(磯城郡田原本町)

高市の社」


村屋の社の村屋とは、諏訪大社や、古神道にも関係があるモリヤからだとか。


「高市の社」は、名前が変わりましたが、奈良県橿原市雲梯(うなて)ある「河俣神社」のようです。


神懸かりした神官を通して、


神は、

「吾は、高市の社に居る、名はコトシロヌシ神。

また「身狭(むさ)の社」に居る、名はイクタマ神である」といったようです。


「われは皇御孫命(大海人=後の天武天皇)の前後に立って、、、、護っている。」

と言いおわって、神官は、(神がかりから)さめたとか。


また「村屋」の神は、神官に神懸かり、


「今にわが社のある中の道から、軍勢がやってくる。だから、社の中の道をふさげ」


といったとも記されています。




つづく



玉の数珠繋ぎ

2022-06-22 06:37:00 | ひとりごと

ならぬ堪忍するのが堪忍



この言葉も道徳経の訳者さんから。


堪忍袋の緒が切れた時点で堪忍ではないっていうことです。


私の祖母は玉尾お婆ちゃん。


諏訪のおふくろ石で名前をみました。









母の話によると、とても苦労人だったようです。母は末っ子で高齢で生まれたため、私の祖母は、明治生まれのお婆ちゃんでした。



今でも、昔ながらの祖母の皺々の手や、刻まれた顔の皺を思いだします。



尾っぽから玉をきちんと数珠繋ぎして、最後に頭まできたら繋げて、玉を集める感じを祖母の名前、玉尾からイメージします。


祖母が入院しているときに、コケコッコ〜と早朝に大声でないたらしいです。鳴きなさいと夢で誰かに言われたらしく、玉尾お婆ちゃん、夢で長尾鶏ならぬ、玉尾鶏だったのかも。。笑🐓




冗談はさておき、🤭




堪忍をひとつしたら、玉を緒に通すイメージを持ちます。


そうして、一個一個、尾っぽから糸に玉を繋げて頭までいったら、結ぶ。

堪忍袋はキュッと縛って溜まったら、ポンポン捨てていく。


そんなイメージで、堪忍、忍々、って腹立てずに生きる。


なかなか難しいですけど、

玉を実は心の袋には貯めているって思うと、やり甲斐ありませんか!?


心も綺麗にしながら、周りを怒りで汚さない。


堪忍袋が爆発したら、折角繋げていた、玉がバラバラ玉砕、1からスタートですからね。


だからこそ


ならぬ堪忍するのが堪忍。


善い言葉だなぁ。


老子様もさることながら、

翻訳した方も尊敬します。



堪忍するような事が起こった時は見えない玉を繋げて貯めていると思おう!







しわ と たるみ

2022-06-21 05:32:00 | ひとりごと

小さい時、母に、どうしてお化粧するのかたずねたことがあります。

なぜなら、私はお風呂あがりのさっぱりした母の顔が一番美しいと思っていたからです。


お化粧は、私は、必要なければしないですね。


しわとかたるみとか

年齢からはさけられない年になり、

今は色んなアンチエイジング商品やら色々なものがあるみたいですが、

興味がありません。



母の美意識は遺伝しませんでしたね。


自然に抗わないをモットーにしています。


先日、知人が翻訳したという老子の道徳経の本をいただきました。老子を翻訳だけで、私はビックリしました。何故なら私は老子の本は何十回も読んでいますし、自分の1番の愛読書だからです。


漢文わからないので、翻訳を読んでいますが、訳者により、こうも解釈に幅があるものだなぁ、どれだけ老子様は凄い方なんだろうといつも思います。


新たに知人が書いた道徳経の著書をいただき、有り難く拝読しています。これまた、素晴らしい。


その中で、しわとたるみの話がでてきました。


冗談です。


いや、


なまじウソではない。笑。


皺と弛み、ではなくて、


四和(シワ)と足美(タルミ)


四和は出てきました。

足美は、私が造語しました。



四和とは、  


和諧する社会は私の責任

和諧する企業は私の責任

和諧する家庭は私の責任

和諧する心身は私の責任


ということです。


和は文字通りですが、諧も、他のものとしっくり調和する。なかよくする。あう。の意味。また、おどける。たわむれる。ユーモア。の意味があります。


和すると、どっか笑いが込み上げできて、笑い合うのかな。


足美は、造語しました。美脚のことではないですよ!


足るを知るという美徳です。

美しいのは足るを知る心かな。

老子様の有難い教えのひとつです。


年齢を重ねるごとに、

顔に皺ができたって、

たるんだって、

和する心を持ち、

足るを知るひとでありたい。


四和と足美を心にもち

老いも受け入れながら

明るく朗らかに静かに生きたいな。


シワは年輪のように刻まれて、

その目尻や口のまわり、

くちゃくちゃになって笑う、

そんなお婆ちゃんが私の理想ですね。


老には老の美しさがあり、

そこまでいかないと辿り着けない道を

踏みしめたことを、自分なりに納得

しながら

この先をきちんと一歩一歩

道を歩んで生きたいですね。