出雲巡り、3回目は古墳をまとめて。
出雲の古墳と言えば、やはり四隅突出型墳丘墓ですね。「よすみ」と呼んでください。今回は、中でも出雲市内にある西谷墳墓群を訪れました。出土品の展示や、当時の儀式や文化を模型で紹介している出雲弥生の森博物館を併設しています。
弥生時代の終わり頃、2世紀中ごろから500年間にもわたって墓地だったところです。その近辺も含めると大小合わせて30基弱の古墳がありますが、目玉はその中で最も大きく、初期の2世紀に成立した2号墓、3号墓です。3号墓が最も古いようです。
手前が3号墓、奥の葺石付きが2号墓
それぞれ突出部から古墳上に上がれるようになっていますが、この突出部は上り坂ではない、との主張もあります。もっとも古い3号墳には8つ以上の墓穴が有りましたが、その中で長辺6m程と最も大きかった第4主体と第1主体上には、赤い表示がされ位置が分かるようになっています。これは木棺の底に真っ赤な朱が敷き詰められていたことを模擬イメージいるようです。
さらに第4主体の4隅には、4本柱の葬儀用施設も発見され、少し再現されています。全体で300個以上の土器が埋納されており、北陸系や吉備の土器も確認。時期はちょうど倭国大乱期、吉備の人も参列していたのね。木棺の中からは、出雲ならではのガラス勾玉や管玉等のアクセサリーや鉄剣も発見されています。
上のタイトル写真の2号墓は、表面の葺石が再現され、内部は展示室になっていました。墓上からは絶景が堪能でき、斐伊川も見えました。
もう一つ訪れた大型古墳は、こちらは松江市にあります、山代二子塚古墳。珍しい前方後方墳です。出雲風土記で神名樋野と表現された茶臼山の西側に鎮座します。6世紀後半の築造です。茶臼山周囲には他にも、古墳や古社、旧跡が多数存在しており、このあたりが古代の拠点地域だった事が感じられます。
角張り様がわかりますでしょうか。
後方部下には、パネル展示や土層見学施設があるようですが、この日は閉まっていました。
同じころ、出雲市内で作られた前方後円墳、大念寺古墳(未訪問)があり、当時出雲にはこれら古墳を象徴とする東西の大きな二つの勢力があった、とリーフレットに紹介されています。そういえば、安芸市にある古代出雲王陵の丘(残念ながら未訪問)は、先の西谷墳墓群の東側バージョンと言えるもので、多数の「よすみ」が鎮座しています。こうした表出した遺跡を見ても、出雲に東西の2勢力があったことがハッキリ感じられます。
上のリンク先の王陵の丘のホームページにも記載がある通り、出雲では宗教的なシンボルを、銅剣などの青銅器から、この"よすみ"へ転換していったと理解されています。"よすみ"が2世紀半ばから造られたのだから、荒神谷などの青銅器の埋納はその頃?と、ごくシンプルに考えれば、そのような想像になります。
出雲散策シリーズ、次回以降は由緒ある古社の数々に触れたいと思ってます。