摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ:高市郡明日香村)~酒船石遺跡と飛鳥山口坐神社の関係

2022年09月17日 | 奈良・大和

 

平日の休みを利用して、すぐ近くの奈良県立万葉文化館の見学と合わせて参拝をしました。万葉文化館の無料駐車場は110台停めれて飛鳥観光には便利ですが、土日祝は朝から一杯らしいです。常設展示(無料)を簡単に見学してインスタ映えする昼食を頂きましたが、飛鳥時代の生活風景を実物大人形で再現したユニークなエリアもあり、またじっくり見に来たいと思いました。コンサートなどイベントも工夫されています。そしてやはり、飛鳥はのどかで気持ちよいところだと、改めて感じました。゛謎の巨石゛とも久しぶりの再会でした。

 

・万葉文化館入口では、せんとくんがお出迎え

 

【ご祭神・ご由緒】

現在のご祭神は、八重事代主神、大物主神、飛鳥神奈備三日女神(加夜奈留美神)、そして高皇産霊神です。当社の座数は、「延喜式」神名帳で初めて「飛鳥坐神社四座」と明記されましたが、「日本書紀」天武天皇朱鳥元年(686年)にも、幣帛を国懸神住吉大社と共に飛鳥の四社に奉ると記載され、この飛鳥四社は当社の事とされています。ただ、この四座については諸説あり定まっていません。

当社の最初の祭神は、「出雲国造神祝詞」の内容から、加夜奈留美神一座だったろうとされますが、その祝詞では他にも、大穴持命を大倭に、阿遅須伎高孫根命を葛城鴨(高鴨社)に、そして事代主命を宇奈堤(うなて)に、それぞれ坐して皇孫の守り神にしたと言っている事から、以上の四神を合祀したのが当社の四座であると考えられています。ただ、当社のご祭神はその後変遷していくことが見えています。

 

・鳥居前の「飛鳥井」。催馬楽(平安期の宮廷芸能)で歌われてるとされます

 

まず、平安末期1180年頃成立とされる「伊呂波字類抄」には、飛鳥神 天太玉、臼滝、加屋嶋(「日本の神々 大和」で大矢良哲氏が゛鳴?゛と注を入れています)比売の四座が載ります。それが、1186年の「大神分身類社鈔」では八重事代主命、高照光姫、木俣姫、建御名方富命となり、1446年の「五郡神社記」には、大己貴命、飛鳥三日女神、味鉏高彦根命、八重事代主命となっていくのです。そして江戸後期、1831年の「飛鳥大神宮社記」では、事代主命、高照光姫命、建御名方命、下照姫の四座になります。つまり江戸時代にはそもそもの主神が忘れられ、事代主命が主神になったという事のようだと、先の大矢氏は述べられています。

 

・拝殿

・神楽殿、西良殿。ここで、「おんだ祭」の時に゛セクシャルな神事゛が行われます

 

【神階・幣帛等】

「三代実録」によれば859年に使いを遣わして風雨祈願があり、「類聚三大格」では874年の太政官符で、当社に大社としてその封戸で天太玉、櫛玉、臼滝、賀屋鳴比女など小社(小社というのが気になりますが)を修理する事を命じています。「延喜式」神名帳では四座とも大社として相嘗、月次、名神、祈雨などの祭に幣帛の領布をうけ、祈年祭には一般班幣のほか馬一疋を加えられています。

 

・流造の本殿。奥まった位置にあり屋根しか見えません

・拝所より本殿を望む

 

【中世以降歴史】

中世からの沿革は詳しくは分からないようですが、1640年、植村家政が高取二万五千石を賜り、当社の復興にも取り組みました。しかし、1725年に火災があり本殿以下を焼失し、その後1781年に領主高取候植村氏によって本殿が再興されます。その頃の当社の様子は、1791年の「大和名所図会」にあり、゛四座、合殿五十余前゛として、本社四座(「飛鳥大神宮社記」のご祭神)、中社二座(素戔嗚命、大己貴神)、奥社二座(天照大神宮、豊気太神宮)、末社八十座とあり、その他にも「酒船石」や「飛鳥井」に関しても書かれています。現在の社殿は、その当時のものから再建されたものです。なお、神職は飛鳥家が世襲しています。

 

・境内社。左端が白髭神社、その右が八十萬神社。

 

【鎮座地、比定】

当社は829年に、神託により高市郡加美郷甘南備山から現在地の鳥形山に遷座した際に、分霊が一緒に遷りますが、本霊は「延喜式」に載る加夜奈留美命神社として残ったと考えられます。ただ、これが現在の栢森の同名社かどうかは議論の余地が有るようです。

 

・中の社。金比羅神社・八阪神社。2社の間にも陰陽石があります

・奥の社。皇太神社・奥の大石(祠の奥の陰陽石)

 

【社殿、境内】

現在の拝殿と本殿は80年代(「日本の神々 大和」で大矢氏が再建中と説明)に、ダム建造で沈んだ丹生川上神社 上社から移築されたものです。NHK「よみがえる新日本風土記」で、その丹生川上社当時のこの社殿を拝見できました。その他は、中の社、奥の社のほか、飛鳥山口神社と八幡神社以下多数の末社、そして神楽殿があります。そして、その周辺に多数の陰陽石が祀られ、子授けの神として信仰されてきました。

 

・猿石みたいです

・「むすびの神石」陰陽石です

 

【祭祀・神事】

特筆すべき神事として、五穀豊穣・子孫繁栄を祈る「御田祭」があります。昼頃から農耕の所作などを演じたあとで、天狗をお多福が夫婦のいとなみの様を行うという、民俗学的にも珍しいセクシャルな神事だと、大矢良哲氏は書かれています。この神事で使われた紙を持ち帰ると、子宝に恵まれると、地域では信仰されています。

 

・境内社となっている飛鳥山口坐神社

 

【式内社飛鳥山口坐神社の旧鎮座地】

境内社として大山津見乃神、久久乃知之神、猿田比古神を祀る飛鳥山口坐神社は、式内社そのものではないとされます。それは1698年(元禄十一年)の飛鳥坐神社の木版図に見えず、この元禄以降の時期に境内に飛鳥山口坐神社が配祇されたとみられるからです。旧地を説明する史料としては、「五郡神社記」に゛飛鳥山口坐神社一座、賀美郷飛鳥山裂谷ニアリ゛とあるのが唯一のようです。また「高市郡神社誌」の方では、裂谷を考証する資料はないとしつつ、里の伝承として、天神山という丘陵が有って飛鳥神社の御旅所であり、これが゛飛鳥山口坐神社の旧社頭なるべし、飛鳥山の麓に在り、高燥にして展望に富み、現今字を「ミヤノブ」と呼べり゛と記されています。

 

・飛鳥山口坐神社

 

「日本の神々 大和」で大矢氏は、これらの情報を発展させて、「裂谷」は、小字「ミヤノブ」の東の「阪谷」だと想定され、「阪谷」の南の「酒谷」も同一だったと考えます。そして、「阪谷」と「酒谷」の間に小字「酒船」、すなわちあの飛鳥の謎の石造物の一つ「酒船石」があるのです。1751年の「古跡略考」には、゛飛鳥由来記には酒谷山、鳥形山の南半町、山の峰に大石有。上に大壺を掘、これより溝あり、上の壺に濁酒を盛て下へ流し、清て神酒となし飛鳥社へ供ふ゛と記されます。用途については議論がありますが、この巨石が酒谷山の峰にある事が明記されているのです。これより、酒船石が同じ酒谷(裂谷)にあった飛鳥山口坐神社と何らかの密接な関係をもったことだけは推定しうると、大矢氏はまとめておられました。

 

・酒船石への入口(左は亀形石造物の地でそちらは有料)。石垣遺構も含めて酒船石遺跡と呼ばれます

 

【伝承】

加夜奈留美神は一般には女神と見られていますが、「出雲と大和のあけぼの」で斎木雲州氏は、出雲王国の八千矛王(いわゆる大国主命)の後を継いだ鳥鳴海王だと説明されています。この御方は「古事記」にも大国主命の系譜に登場しています。鳥鳴海王は亡くなった後、伯耆の蚊屋島神社に祀られたので、カヤナルミ命とも呼ばれたそうです。その神社には、事代主命、高照姫命、下照姫命と共に祀られ、「出雲国造神祝詞」の話は、その四座を一緒に遷宮した事を表したと、斉木氏は説明されています(飛鳥坐神社も蚊屋島神社も、高照姫命と下照姫命は別人と捉えている)。

ちなみに、鳥取県日吉津村役場のホームページによる蚊屋島神社の説明では、創立は社領証文から1545年以前くらいまでしか分からないとのことです。現在のご祭神は天照大御神と高比賣命。近世は伊勢宮とも呼ばれていて、明治時代に今の社名に変わりました。一般の説明では出雲との関りは見えないようです。あと、岡山県の吉備津神社の神職家賀陽氏(賀陽国造家)の始祖、加夜臣奈留美命はお名前がとても似てるのですが、関係あるのでしょうか・・・

 

・酒船石

・゛先っぽ(?)゛ではこの窪みに落ちてるように見えます

 

斉木氏は「飛鳥文化と宗教争乱」で、酒船石についても出雲の゛幸(サイ)の神゛信仰を元に説明(人体機能と関係・・・)をされています。穴や溝の意味を具体的にご説明されていますが、興味深いものの何とも言いようがありません。

 

・甘樫丘より。中央左寄りの小山が飛鳥社。右端切れる辺りが酒船石の山で、飛鳥山口社の推定元鎮座地

 

(参考文献:飛鳥坐公式HP、鳥取県日吉津村役場HP、NHK番組「よみがえる新日本風土記 吉野美林」、中村啓信「古事記」、宇治谷孟「日本書紀」、かみゆ歴史編集部「日本の信仰がわかる神社と神々」、京阪神エルマガジン「関西の神社へ」、谷川健一編「日本の神々 大和」、三浦正幸「神社の本殿」、村井康彦「出雲と大和」、梅原猛「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」、岡本雅亨「出雲を原郷とする人たち」、平林章仁「謎の古代豪族葛城氏」、佐伯有清編「日本古代氏族事典」、宇佐公康「古伝が語る古代史」、金久与市「古代海部氏の系図」、なかひらまい「名草戸畔 古代紀国の女王伝説」、斎木雲州「出雲と蘇我王国」・富士林雅樹「出雲王国とヤマト王権」等その他大元版書籍


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