山の辺の道を北から歩いてきて、三輪山に近づく前の、一番見晴
らしの良くのどかな風景が広がるあたりに、この2基の陵墓があ
ります。
この陵墓以外の何物でもない、堂々たる古墳の治定は幕末の文久
修陵中に急遽変更され、それ以前に対し入れ替えれられて現在に
至っています。あの禁門の変が起こったあたりの時期でした。こ
んなバタバタが起こるには訳が有って、記紀の立地の記載が曖昧
で、さらに延喜式でも両者が同じ記述(在大和国城上郡。兆域東
西二町、南北二町。)になっているのです。変更前は蒲生君平の
説、現在の治定にしたのが谷森善巨です。崇神陵のが衾田墓
(西殿塚古墳)の守戸も兼ねていたという延喜式の記述も重視し
たようです。ただ、論争は元禄年間から続いてはいました。
・行燈山古墳。前方部北西部
行燈山古墳は全長240m。古墳の特徴である、近くに小さめの古
墳(アンド山古墳、南アンド山古墳など)が御付きのように存在
する、最初期のものです。出土した埴輪には、盾形埴輪や家形埴
輪などの形象埴輪が含まれています。
・行燈山古墳。後円部北側渡堤
文久修陵では、当時の公武合体論もあって、陵墓に対する保護、
顕彰が盛んになります。行燈山古墳では、地元の柳本藩が前方
部前面に石垣を積み、周濠を拡張しました。灌漑用水を確保す
るとともに、見栄えも立派になったでしょう。特徴である渡堤
も築造当初から有ったのか明確でなく、この修陵時に整備され
たかもしれません。
・行燈山古墳。東方向の大和平野を望む。前方の周濠の先はアンド山古墳。
2017年2月に考古学会関係者による立ち入り調査がありました。
立ち入りと言っても、墳丘裾の管理員巡回路を歩き観察するだ
けだそうです。この時は、後円部南側の渡堤から墳丘に入り、
反時計回りに一周しました。前方部前面での現況最下段が低く
平らで、後世に元の墳丘が削られた可能性が確認されるなどの
発見がありました。
・行燈山古墳。後円部南側
・渋谷向山古墳が見えてきました
渋谷向山古墳は全長300m。古墳時代前期では日本列島でも最
大規模です。以前は、同一の水面の周濠が新しく、渋谷向山古
墳のように階段状の周濠はより古いと考えられた時期もあった
そうですが、今は円筒埴輪の形式学的検討による編年が進んだ
事で、そうとも言えなくなっています。
・渋谷向山古墳。北側の周濠部を後円側から見る
宮内庁書陵部は周濠の管理の為の護岸整備工事の前に、発掘調
査をする事があります。1977年に後円部東側でその調査があ
り、墳丘第一段の平坦面に円筒埴輪列の内の5本分が確認され
ました。調査後、それらは元の位置に残して埋め戻し、蓋石を
されましたが、それが現地でも確認できました。元橿原考古学
研究所の今尾文昭氏は、2016年2月の立ち入り観察調査でその
様子を確認し、周濠の水に埴輪が浸かっているように見える様
子に心配をされたようです。地域の用水の確保と陵墓遺産の保
全の両立の難しさを説いておられます。
・渋谷向山古墳。右下部が、その蓋石列で下は水に浸かっています
渋谷向山古墳の文久修陵の様子が、渋谷町有文書という資料に
残されていて、その中の絵図に、修陵前には墳丘の周囲にぎっし
りと田畑が有った事が記されています。それらは買い上げられ
て周濠となり、実利的には貯水量を増やして地域一帯の水不
足を解消するのに役立ったようです。
(以上、参考文献:今尾文昭氏「天皇陵古墳を歩く」、矢澤
高太郎氏「天皇陵の謎」)
・右が渋谷向山古墳。後円部近くから少し東に上がると大和三山も見えます
東出雲王国伝承では、この纏向(太田)から磯城の地は、東出
雲王国富氏の分家、登美氏の領地であり、これら古墳は、イク
メ王の、それぞれ父と御子であるイニエ王(崇神帝)とオシロ
ワケ王(景行帝)の遺跡ではない、と主張します。古墳築造集
団、土師氏の祖とされる野見宿禰は富氏の人であり、この地の
古墳築造は出雲系豪族によって始められたと取れます。このあた
りの説明は、「古事記の編集室」「親魏倭王の都」に記述され
ています。
・渋谷向山古墳。南から。
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