摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

葛木坐火雷神社1(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ、笛吹神社:葛城市笛吹)~二つの神社名の経緯の不思議

2021年09月04日 | 奈良・大和

2の記事で、笛吹神社古墳やその被葬者、さらに笛吹連の祖神について触れました)

 

古代史に縁の深い葛城地域の有名な幾つかの神社の中で北寄りに位し、鎮座地から奈良盆地方面を望むと、だいたい西側に畝傍が、さらにその向こうに天香久山が並ぶ絶景が望めます。現在は笛吹神社名も併記されているようで、由緒ある古社として認識していましたが、最近ではあの大ヒットアニメ「鬼滅の刃」に登場するキャラクターが繰り出す大技「火雷神」と同じ社号だったことから、アニメファン、コスプレファンの訪問が多いそうです。宮司さんも、「更衣室は有りません」とうれしい(?)悲鳴を語られています。最新の公式ホームページでも関連するお願いをいくつかされてて、御配慮されるのが良いと思います。

 

・神社入口。上の見出し写真は、少し下ったあたりより。真ん中が畝傍山。その右奥が天香久山。左が耳成山

 

【火雷神社と笛吹神社の変遷】

「三代実録」では859年に正三位勲二等から従二位に昇叙されたことが見え、「延喜式」神名帳では忍海郡三座の筆頭に゛葛木坐火雷神社二坐゛とあり二坐とも大社になっています。祈年祭のほか、名神祭、月次祭、相嘗祭、新嘗祭にも官幣に預かりましたが、以降、「延喜式」のこの名前では正史から見えなくなっていくのです。中世以降は、もっぱら゛笛吹神社゛と呼ばれましたが、火雷社と笛吹社がもともと同一のものか、並立していたかが今となっては分からないと、「日本の神々 大和」で木村芳一氏が書かれていました。

 

・笛吹の杜

 

笛吹神社は、新庄町柿本にある光現寺にある大般若経の1157年の奥書に゛笛吹大明神゛と記され、藤原清輔撰の「奧儀抄」に゛笛吹の社よりはゝかの木を切りて 都に奉りぬれば・・・゛とあり、平安時代には存在が確かめられていますが、それ以前の笛吹社の表記はないようです。木村氏によれば、当社の南側の小字をヒノミヤといい、これを火雷宮の転訛したものとするならば、火雷神社は笛吹神社と接近してそこにあり、やがて卜占で著名になった笛吹神社に社地を奪われたとも考えられるようです。

江戸時代には、「大和志」に゛笛吹村笛吹神祠の傍らに在り゛と書かれており、火雷神社は笛吹神社の末社のようになって別々だったことが確認できます。それが、明治7年、笛吹社に火雷社が合祀されて、この時に社名を「延喜式」当時の名前に戻し、郷社に列せられました。ただ、神社の説明によれば、地元の人々には笛吹神社の名称の方で今も親しまれているそうです。

 

・入った左側の波々迦木。注連縄がまかれています。育成したものらしいです

 

【ご祭神】

ご祭神は火雷大神と天香山命の二坐が主祭神です。火雷神は黄泉の国神話で伊邪那美神の胸にいた神で八柱の雷神あるいは八色の雷公のうちの一神。一方の天香山命はこの神社に関わるとされる笛吹連の祖神として。これは、「新撰姓氏録」の河内国神別に゛笛吹連は火明命之後゛とあり、またその一族の吹(次)田連は゛火明命の児天香山命之後也゛と記される事によると考えられます。笛吹連は尾張氏と同族と言われますね。

 

・入ってすぐ末社の祠が有ります。左から熊野神社、稲荷神社、春日神社

 

神社のホームページの御由緒では、二神がそれぞれ火雷社と笛吹社に祀られていて、現在は合祀されて主神二坐になってる、との説明ですが、これは上記の木村氏の書かれた明治初頭のことと思われます。一方、マップ・アプリで見られる、以前に境内で掲示される御由緒には、延喜の制以前に合祀されていたと記載されていたようですが、今回訪れた際には御由緒掲示は見当たらず、ホームページでご覧ください、ということでした。

 

・登った先が良い感じに明るく見えました

 

なお、火雷神社は「延喜式」でも数社見られ、「続日本紀」703年の条には、山城国乙訓郡の火雷神で旱魃の毎に祈雨を行った記述があるので、火雷神社が水神・火神の二座を祀っていたと想定されることになります。しかし、そうなると天香山命をあてられなくなる、と木村氏は困っておられました。

 

・天然記念物である社叢のイチイガシ林の中の広庭に、日露戦争後に政府から奉納された大宝が有ります。

 

【祭祀氏族】

笛吹連について木村氏は、詳しい所伝を欠いているとしながら、「令義解」に載る治部省雅楽寮の笛氏、笛生、笛工、または喪葬令の遊部に関係のあった古代氏族であるとの説を紹介しています。遊部とは、天皇が崩御された際、墳・棺を造り、葬儀に必要な祭器を用意、殯喪の場で挽歌を歌い、喪車のつなを引く部曲で、平時は差料なく遊居したため、遊部と呼ばれたらしいです。

 

・広庭にも末社が有ります。左から森本神社、浅間神社、空室神社

 

一方、神社の御由緒では、゛笛吹連(当社の祭祀を代々受け継ぐ持田家の先祖)の祖 櫂子(かじし)は火明命の後にして崇神天皇の十年 建埴安彦を討ちて功あり 天皇より天磐笛を賞賜せられ笛吹連の名を命ぜられる゛との話で、天皇から直々与えられた由緒ある氏姓である主旨の明をされています。ここから皇室の儀式に関わる氏族であろうという推測につながってるのでしょう。

 

今回はこれまでとしまして、笛吹神社古墳や笛吹連の祖神の事などを、2の記事で続けたいと思います。

 

・広庭からさらに上に拝殿が鎮座します

 

(参考文献:葛木坐火雷神社公式ご由緒、ラジトピ「御祭神名がアニメ「鬼滅の刃」の大技名に?!」、中村啓信「古事記」、宇治谷孟「日本書紀」、かみゆ歴史編集部「日本の信仰がわかる神社と神々」、京阪神エルマガジン「関西の神社へ」、谷川健一編「日本の神々 大和」、三浦正幸「神社の本殿」、村井康彦「出雲と大和」、平林章仁「謎の古代豪族葛城氏」、梅原猛「葬られた王朝」、岡本雅亨「出雲を原郷とする人たち」、佐伯有清「日本古代氏族事典」、宇佐公康「古伝が語る古代史」、金久与市「古代海部氏の系図」、なかひらまい「名草戸畔 古代紀国の女王伝説」、斎木雲州「出雲と蘇我王国」、富士林雅樹「出雲王国とヤマト王権」等その他大元版書籍

 


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