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あいづわくわく学園 裏磐梯五色沼・猪苗代 土津神社【2-2】

2013年06月17日 | 郷土史・史跡・施設
あいづわくわく学園
裏磐梯五色沼・猪苗代 土津(はにつ)神社【2-2】

25年度、地域の歴史・史跡などの現地学習第2回の2・・・

裏磐梯五色沼の成立ち

磐梯山は明治21年(1888年)に大噴火を起こし、周辺に大きな被害をもたらした。
噴火は山の北側斜面を大きく吹きとばし、その土石流で川が堰き止められて磐梯三湖>
(桧原湖、小野川湖、秋元湖)や名前のない小さな沼を含め多くの湖沼群を形成しました。

磐梯山の北側山麓の湖沼群のうち桧原湖、小野川湖、秋元湖にはさまれて点在する
湖沼群を総称して五色沼と言います。
中でも五色沼自然探勝路添いのコバルト色、青色、銅色などの水をたたえた沼をめぐる
約3.6キロのコースが、裏磐梯の観光名所として人気があります。

遠藤現夢は、1888年(明治21年)の磐梯山噴火に伴う膨大な岩屑なだれに覆われて数十年間
荒地のままだった裏磐梯を、もう一度野鳥のさえずる森に変えたいと願い、

全通したばかりの磐越西線(開通当時「岩越線」)で、アカマツ・ウルシ・スギの苗木10万本を
新潟方面から運び、さらに猪苗代からは馬車で、岩や泥に埋まった道路を修復、新設しながら
前進するという困難のなか、裏磐梯方面に運んだ。

約2年をかけて気の遠くなるような1340haに及ぶ植林をなしとげ、ついにはこの地の払い下げを受けた。
現夢の墓碑は、本人の願いで五色沼(青沼)のほとり、磐梯山噴火の折に落下した巨石の下にあり、
妻・イクと共に葬られている。
遠藤現夢に植林を指導した中村弥六の名は五色沼に「弥六沼」として残る。(資料より)


土津神社(陸奥会津藩藩祖保科正之が祀られている神社)

保科正之は、2代将軍徳川秀忠の第4子。3代将軍家光の弟、高遠藩藩主・保科正光の養子。
1643年会津に封ぜられ、会津松平家の始祖となる。
家光・家綱と二人の将軍を補佐し、大きな功績を残しました。神道を熱心に学び、
死後は磐椅神社の末社となって神に奉仕したいと 1672年、自ら猪苗代の見祢山に登り墓地を定め
「我が身はここに納めてくれ。」と家臣に命じた。

土津神社の始まりは
1673年、神祇管領長・吉田兼連がご神体(保科正之公)を奉じて仮殿に安置。
この時より、神殿の営築を開始、1675年竣工。神体を正殿に安鎮し、磐椅神社の末社とした。
土津神社は、神殿・回廊などあったが、明治の戊辰の兵火で焼失した。今の社殿は1880年の造営という。
(資料より)
史跡めぐり第二回の2は、五色沼自然探勝路ウォーキングと土津神社やキリシタン殉教の碑等めぐり・・・
この日は、万歩計で14,000歩以上だったとか・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。

五色沼・・・
画像クリックでスライドショーへ

遠藤現夢の墓碑


土津神社 保科正之顕彰碑


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