L'Aquila訪問は実は後半もあったのです。
すっかり書きそびれていたけど、
メールマガジンで震災後の住居問題も取り上げたので
ラクイラ訪問の後半部分も書き上げようと思いまして。
避難所生活の実態の一部を見たあと
ラクイラの街中へ向かいました。
街の入り口は頑固な足場が組まれて
道の両サイドの建物が
これ以上崩壊しないように支えていて
なんとも痛々しい感じがします。
入り口からドゥオーモ広場までのほんの一部だけが
現在立ち入り可能となっています。
何もなかったころには
平和に営業していたと思われる自転車レンタル。
今となっては平和な商売だからこそ
なおさら悲劇的だったりします。
広場に面した一等地の店舗には
こんな風に店主の叫びが
あちこちに張り出されています。
街中に入ることができるようになって
まず様子を見に行って
こうして再開できるかどうかわからない商売の先行きと
街の未来を憂いているのでしょう。
G8で訪れた首脳たちは
こうした張り紙をどんな思いで見たのでしょうね。
崩壊した教会も修復が進められています。
そういえば
CollemaggioのBasilica di Santa Mariaには
教皇Celestino Vの遺骨が祀られていて
震災後に現教皇がまずそこを訪れたのは
Celestino Vの遺骨が気になって仕方なかったからだと
心無い報道がされたりもしました。
半分は瓦礫に埋まっていたようですが
ちゃんと回収されています。
ここから先は立ち入り禁止Zona Rossa。
なんか初めてポンペイを訪れたときに
受けた衝撃と同じような感覚に陥りました。
この広場周辺の被害は
少ないほうなのだとか。
それでもかなりのダメージです。
アクセスできるところからちょっと脇道を覗くと
こんなふうに瓦礫の山がそのまま。
応急処置もされていますが、
さすがにこの状態では
ここでの生活を再開するのは無理だろうという気がします。
思ったよりも道路の損害は少ないような気がしますが
完全復興までには
長い歳月と莫大な費用が必要なのは明らかです。
私ごときでも何かできることがあればと
思いはするのですが
この状況を実際肌で感じてしまったら
なんだか気軽に「ラクイラ援助」などと
口にするのもおこがましいような気がしてきました。
成り行きを見つめ
そして復興の未来を祈ろうと思います。