モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

自分たちで決められないで、社会がうごいてゆく、分裂者と躁鬱者の社会か(国会の話ではないのだが)

2015-07-15 15:22:33 | コミュニケーション-メディア

’情報保障’とは、音が聞こえにくい人、眼が見えにくい人にも、伝えてゆける成熟社会の条件です。7月12日には、聴覚を中途失調された松森果林さんの講座でした。現代は、感覚障害・運動障害の困難を軽減する技術や道具ができている反面、健常者が自分の感覚や思考をおろそかにしがちになるほどに、情報も伝達手段も増えています。また、メディア技術の展開が速く、デジタル化されたメディア、ネットワーク、機器、アプリケーション、利用スキル、利用スタイルなど、年代地域で多様です。そして、人と人が互いの生活背景やコミュニケーション技術を共有しにくいことで、お互いを認め合い・活かし合うことが難しくなっています。企業活動や趣味・好みなど価値観を共有しやすいところ以外では、お互いを認め、テーマや目的を共有するに至らない場が増えています。多民族混在のアメリカでは、より実践的なファシリティマネジメントなどの手法が発達してきましたが、文化的な根が深い地域では、意識されない伝統や動物的な本能と重なって、より混沌としているのが現状でしょう。シンプルに、簡単に、分かりやすく・・・という直観的な伝達が求められるほどに、それぞれ、情報も、断片化・直接化、つまり、一時信号に近い、写真や映像の多様が進み、自分の言葉を組み立てて考えて、相手とのやりとりの中で、相手の理解に応じて伝え合う、抽象的なことばや、身体コミュニケーション力が落ちてきています。そして、外部にデータ化された社会的な仕組みにしたがって、反応してゆく、個体というまとまりを失った分裂症者となって、遺伝子の法則か、資本の自律運動に、流されているのかもしれません。 あるいは、拡張と収縮をくりかえす躁鬱者となって。

 

最近、中途障害者の情報保障の講座を機会に、考えこんでしまった。

 テレビCMにも字幕を! 松森果林さんから情報保障を拡げる活動をと

最近、手話ニュースのほうがわかりやすくなってきていないか?限られた情報で、いろいろ考えているのは障害者のほうではないか?


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