モノと心の独り言

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このブログとWikiの背景

2005-09-23 18:10:41 | コミュニケーション-メディア
「団塊世代AのブログからWikiへ」の背景

超-少子・高齢化時代の地域社会基盤作りというテーマで
”いい・こみゅにてぃ世田谷”を立ち上げ、地域の人に渡してきた。
市民活動が盛んだといわれている世田谷の中でも確かめられたことの一つは、
団塊世代の男性(地域外の組織で活動している人)の殆どは、
まだその職域コミュニティにいて、家庭を維持し、楽しむことが精一杯で、
地域やテーマ・コミュニティを持っている人は、僅かなことだ。

その個人のコミュニティを持つ僅かなきっかけは、
仕事の中で・子育ての中で・家族介護の中で、直面した課題に、組織や家庭を超えて解決しようとていたことだった。
すでに、職域から離れている先輩たちは、”ぬれ雑巾”などといわれる人でも、
それなりの繋がりと納得の場をもつことができたようなのだが、
これからの団塊世代の地域還りは、数も立場も性格も違う。

この世代の特徴に沿って、もっと多様で面白い地域・テーマ生活をするには、
これまでの自治会・PTA・同窓会など、既存の組織にはまり込まない方法が
必要なようだ。
それは、この工業化・情報化の果ての道具、
コミュニケーションとメディアによる、多元的・多層的なコミュニティが
繋がってゆく仕組み、機会が必要のようだ。
一方には、メールや携帯電話により、個人対個人のコミュニケーションが爆発し、個人を起点とするネット・メディアのサイトが増え続けている。
しかし他方では、マス・メディア、TV・新聞・雑誌から、
屋外・交通・イベント広告から、オリコミ・ポスティング・チラシ、
さらには、携帯メール・WEBサイトまで、
ハイブリッドに組織化されたコミュニケーション・メディアのシステムにより、
他者による感覚の表現が溢れている。

街や生活にあふれるそのグローバル・ナショナルなマスなメディア刺激から、
地域・テーマの規模に応じた相互反応できるメディアが欠落すると、
個人は、自分を表現することよりも、社会メディアで表現されている感覚や言葉を、生き直し、言い直すような状態に陥る。

そこで、実験的に、この1年、団塊Aが、自身のブログで、
空白の身の回りの自然・街・メディアなどとの交感を記録してみた。
それは、1995年パソコン通信での簡易ML(当時はパティオ)において、
地域プロジェクトの連絡の場を持ち始め、大学主催のML、
企業グループ内の音声・グループウェアシステム、
そして、いい・こみゅにてぃ世田谷のような自治体・商工会議所の支援による
地域HP・掲示板などの、次のステップなのだ。

この個人が持続して維持するブログが、
RSS(要約検索データ)やコメント・トラックバックによる連接により、
自立的に集散する話題とオープンな繋がりの可能性をもつことが確認できた。

では、つぎは、同様のRSS、コメント・トラックバックなどによる
オープンなHP形式である、Wikiの検証をということである。

40代までは、携帯電話・WEBを多様して、使いこなすことは予測されている。
課題は、50代、職域と家庭を往復している世代が、
その僅かな可処分時間と気力によって、
個人としての場やテーマのコミュニティづくりに、途中下車できるかどうか?

それが、実験Wiki ”渋谷 since ’70s”、
青春の街:渋谷で、ちょうど、就職し始めたころから続いている、
人・店・処などを、一緒に探そうという企画です。
”渋谷 since ’70s”

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