モノと心の独り言

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ブログが、自己セラピーで終わるか?

2005-09-25 09:01:22 | コミュニケーション-メディア
「団塊世代のブログ、Wiki・・・」につづく

ブログを、表現するひとから捉えると、”自己セラピー”が、ほぼ1/3とのアンケート結果がででた。
AOL ブログアンケート結果
米国は、母国をはなれた移民の国で、
宗教的な自由も求めたように、社会的な背景を、意識してつくってきた国だ。
心理学が、セラピーとしてのサービス商品になっており、
多くの人が家族や地域社会とは別にセラピストのサービスを受ける。

この調査を取り上げた意図は、表現する人にとってのブログが、
自己セラピーから自己隠蔽へとなりやすいこと。
社会的な評価も、セラピーという個人的なことにすり替えられやすいこと。
しかし、ここで重要なのは、ブログに表現されている情報の社会的な意味なのだ。

社会的な意味とは、
1.社会動向を反映する基礎データとして、ブログで使われる言葉の集積・分析・傾向の変化などは、単なるマーケッティング 以上に、いや、本来の生活の
マーケッティング、つまり政治の基礎データになるだろう。
2.つぎにブログの構造がもつメタ・データ(RSS:検索に対応できる要約データ)の役割は、社会的な情報のフィルター、スクリーニング、検索最適化、情報選択の個人化が可能になること。
そして、
3.そのRSSによる、その相互関係力が、
個人の表現を軸として、検索から持続する関係、
そして、期待しうる反応へと、繋がる可能性があるということなのだ。

反応が期待しうる関係・繋がりとは、
”信頼”という関係のことなのだ。
閉鎖的な村社会・利益共同体のなかでの、”安心”という依存関係ではなく、
テーマや課題を共有する人が、互いに反応し合うという関係による、
共存関係なのだ。

だから、
自己セラピーという、個人消費のレベルで、
そんなものか? と見過ごすことができないのが、ブログなのである。
CMに支えられるマスメディアの権威体系だけが、社会的なのではない。
個人の反応自体が、社会の現場なのである。
その現場を、反映してメディアにまとめてゆける構造が、このRSSにある。
ブログは、これから、より社会を反映するだけでなく、動かす力の一つになってゆくだろう。

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