のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

クビだと言われても

2008-10-11 | KA
 バーベキューの日だということをすっかり忘れて、お弁当を持って行ってしまいました。外が寒かったからか、食事は中で。外で焼いては中に運んで、少し大変そうでした。しかし、こうやって時々イベントをして下さるというのは、本当に有り難いことです。
 今日は右の骨盤の中身が痛い感じでした。今週頭の左の痛みに次いでという位の痛みでした。そこへきて、今日はギーさんがいらっしゃると。先日いらしてから間もないことで、ちょっとびっくりしました。しかし、ギーさんがいらしても、無理をすることはできません。今日の身体で出来る一番いいものをお見せするしかできないのです。もしも、もしもこの“踊れないバトントワラー”の演技をご覧になって「クビだ。」と言われても、自分には悔いが残らないだけのことをしようと思いました。
 二回目のショーは、おめでたい方々や、友達がたくさん客席にいました。たくさんの顔を思い浮かべながら舞台に立ちました。
 特に、KAに居る時はいつも上から見守ってくれていた、ベッキーと結婚したばかりのダランのことを思うと、最後の場面で緊張しました。二本のフルートがぶつかって別れてしまうのは、全く以って相応しいことではありません。しかし、みなさんに見守って頂いたお蔭で無事に終えられました。そして、ようやく一週間が終わりました。
 ショーが終わってからベッキーとダランのパーティがありました。私はゆっくりとストレッチをしてから向かったので、午前2時ごろ着いた時には、もうパーティは終わりという感じでした。でも、ダランとは久しぶりに話ができ、短い時間でしたが行って良かったです。私と話し終えるとパッキングに向かったダランは、朝7時の飛行機でマカオに戻るそうです。バンクーバーのダランのご両親のところへ行ってから、ラスベガスで結婚して、ベッキーの家族と会って、みんなとパーティーをして。1週間の休暇は充実した幸せなものだったことでしょう。私も温かい気持ちになりました。

この上風邪はご免

2008-10-10 | KA
 今朝はさわやかな天気でした。このところ、ナスとピーマンに急激な成長が見られるのは、暑さが和らいだせいなのかなと思いました。
 今日の腰は、使って疲れているような腰でした。いわゆる筋肉痛のような感じ。嫌な痛みではありません。
 自分の腰のことに気を取られていて気付かなかったようですが、周りには風邪をひいている人がたくさんいました。腰が悪い上に風邪をひいてしまったらさすがにコントロールできないかもしれません。本当に気をつけなくてはいけないと思います。
 ショーが終わり外へ出ると、厚手のジャケットが欲しいほど寒い夜でした。このまま寒くなるとしたら、気持ちの良い季節はほんの一週間ほどだったことになります。

半分終わったね

2008-10-09 | KA
 シンクロナイズドスイミングのUSマスターズがあると教えてもらい、“O”に出演中の佳奈子さんがソロの演技をするというので行ってみました。ところが会場付近は、学校へ子供を迎えに来る車で大渋滞。会場となるプールを見付けるのに行ったり来たりする時間がなく、遠くまで行ったのですが観ることはできませんでした。
 私の代役は、やはり妊娠していました。彼女が古谷野先生に知らせ、私も知ることになりました。今日は彼女に会ったので、「おめでとう。」と言いました。少し台詞のようになってしまいましたが、おめでとうと言いました。
 今日も“踊れないバトントワラー”として舞台に立ちながら、こんな時に、「あなたは簡単に仕事を済ませている。」と言われたら、悔しいけれど認めざるを得ないな、と思いました。本当はもっと使える身体を使っていないのですから。もしかすると、それは1ミリの違いかもしれませんが、私には違いがはっきりと分かりますし、自分では今これが精一杯でも、状況を知らなかったら怠けていると思われても仕方ありません。悔しいけれど、仕方ありません。
 今日の舞台は静かで澄んだ空気が流れていました。“踊れないバトントワラー”にはもったいないくらいのきれいな静けさでした。
 一回目が終わると、「半分終わったね。」と、ほっと呟きました。そして二回目が終わり、今週も後半となりました。

気球の上で

2008-10-08 | KA
 朝起きると、腰の具合は悪くないように感じられました。回復に向かっているようでホッとしました。
 今日もゆっくりと動き始めることにしました。昨日動かしたくはないと思った左側、今日は動きます。でも、右の具合が少し悪いようです。本当は上げたくなかった左脚を上げてしまったので、右の腰に負担があったのかもしれません。今日の身体の動ける範囲を確認して舞台に立ちました。
 舞台に立ちながら、今は飛行機に乗っている古谷野先生のことを考えました。もしかしたら、時計を見ながら私が舞台に立っていることを気にして下さっているかもしれません。いや、もしかするとぐっすりと寝て、私のようにおやつのアイスを逃して悔やんでいるかもしれません。どちらかと言えば、ぐっすり寝ていらっしゃる方がいいことです。そう考えていたら自然と笑えました。一人でどうにかなるところまで回復させて頂いたことに改めて感謝しながら舞台に立ち、無事に終えました。
 今日はきっと花火の玉を入れ間違えていました。“バン!”という花火と“シャラシャラシャラ”となる花火の順番が違っていました。でも、花火なし、となるよりは何倍もいいことです。
 ショーの最中にベッキーにお祝いを言っているアーティストの姿を何回か見掛けたので、訊いてみると、なんと今日彼女は結婚をしたと。お相手は元KA、今はZAIAにいるダラン。私は、二人がたぶん心を寄せ合った日、マウントチャールストンでのキャンプの夜から知っているのですが、たぶん彼女達は、私がお邪魔をしてしまった帰り道のことなどは忘れていると思います。ショーが終わってからお祝いに行きました。彼女達らしく、気球の上で結婚をしたそうです。

踊れないバトントワラー

2008-10-07 | KA
 毎週火曜日に設けられている私の練習時間に合わせて、古谷野先生方がいらして、今日も腰の回復に向けて手を貸して下さいました。土曜日のことを考えると、板のように感じるものは取れ、驚異的といえるほどの回復でした。でも、感覚としては左の骨盤の中身に、胃や、肝臓や、腸が痛む時に感じるような痛みがあり、これを動かさなくてはいけないのか、と思うとめげそうになりました。
「ここ、動かしたくないです…。」
 身体の向きを変えながら、そう言いました。そして大きくため息をつきました。多くの場合は、「ため息なんかつかないで。」と言われるところですが、私の母はよく「ため息をつくと悪いものも出て行くからね。」と言ってくれました。そんなことも思い出しながら大きくため息をつきました。身体だって本当は動かされたくはなかったのでしょう。でも、動かさなくてはいけない時となりました。
 トレーニングルームでフルートを回しながら、身体を動かしました。身体のどこかの具合が悪くなった時に、そこを使わないようにして動いたことはこれまでにも何度もありました。しかし、今回の悪い個所は中心で、全身に影響があり、大きく身体を動かせません。
「踊れないバトントワラーぐらいならできます…。」
 私は、そう言ってから曲をかけ、一曲通してみました。動かしたくない部分を無理に動かしているからか、痛い部分を動かさないようにコントロールしているからか、息苦しくなりました。でも、なんとか一曲踊れます。そして、いつものようにあと二曲通して練習を終えました。
 先生方を見送ると、いよいよ一人で舞台に立つことになるのだと緊張してきました。緊張と不安で、誰とも話したくないような感じでした。そこに連絡が入りました。今日の一回目に、未唯さんがいらっしゃるということでした。
 ショーが始まると、いつもとは違い、何故かいろいろな人に話し掛けられました。まるで、全く関係のない話をして、私の気を紛らわせてくれているかのようでした。
 フルートを回し始めると、見守って下さっている先生とよっちゃんの温かみに包まれて、未唯さんが以前いらして下さったときのようにふんわりとした優しさに包まれて、とても穏やかな気持ちで舞台に立つことができました。
 一回目のショーが終わって楽屋口へ行くと、未唯さん達がお待ちでした。一回目の後は、いつものようにほとんど話す時間がなく、さらに腰のことが気になっていたので落ち着かない感じでしたが、写真を撮らせて下さり、さらにお食事にも誘って下さいました。そして、その間お待たせしてしまった先生は、「踊れないバトントワラーでも大丈夫だから。」と励まして下さいました。
 そして二回目が、先生方の今回の滞在でご覧になる最後のショーになります。アーティストの何人かもそう言いながら、先生方のためにショーをしてくれました。
 私はいろいろなことを思い出していました。そしてまた、今こうして舞台に立っていることは奇跡のようで、目を潤ませながら、感謝をしながらショーをしました。
 二回目も無事に終わると、先生とよっちゃんは立ち上がって、大きく手を振り、拍手をみんなに送って下さいました。
 舞台が下がると、ゲイルが「今日、観たわよ。とてもきれいだったわよ。」と声を掛けてくれました。私自身は身体を十分に動かせていないのですが、モニターで観るぐらいだと、“踊れないバトントワラー”でも分からないようで、少しホッとしました。楽屋口に居たアーティストのゲストにも、とても良かったと声を掛けてもらいました。その彼は新体操をしているとのこと。同じようなことをする方にも“踊れないバトントワラー”でも大丈夫なようでした。
 先生方のお蔭で、あとは一人でもどうにかなりそうなところまで回復しました。たくさんたくさんパワーを送って下さった古谷野先生と、よっちゃんに、本当に本当にお世話になりました。無理をせずに回復させつつ舞台に立つことが、一番のお礼となることだと思います。感謝を込めて、この一週間は”踊れないバトントワラー”として出来ることを精一杯しようと思います。

古谷野先生の誕生会

2008-10-06 | 日記
 腰は、昨晩の回復に向かった状態のまま、目覚めることができました。身体の状態が良くなっているので、カイロプラクティックへ行く元気も出ていました。朝、電話をすると、運良く予約も取れました。
 今日もいい天気です。昨日の夕食の残り物などで、簡単にピクニックの用意をして、先生方を迎えに行きました。大きな池のある公園で、治療をして頂き、時間的には昼食をとりました。それから少しストリップを離れ、おしゃれな“街”へ行き、カイロの予約時間まで楽しい時間を過ごしました。
 カイロの先生は、古谷野先生方を治療室へ入れて下さり、そこで面白い実験をして下さいました。カイロの先生が私の身体に様子を問うと、その答えが手をつないだ先の古谷野先生や、よっちゃんの身体にみられるのです。そして悪いところを治すと、その反応もきちんと出ていました。
 私はカイロへ来る元気は出ていたものの、本当はあまり腰を動かしたくない状態でした。でも、それは言わずにいました。すると先生の治療は、「ストレスがあるでしょ。」とそのストレスをとり、右膝を動かし、首を動かして終わりました。腰が悪いということは最初に伝えましたが、全くそこには触りませんでした。私はその治療に安心を感じました。回復に向かっている身体の治癒力に、先生は優しく手を加えて下さっているような感じでした。
 夜は、少し遅れての古谷野先生の誕生会をしました。素敵なレストランで少し豪華に。運ばれてくる一つ一つのお料理は、とてもきれいでおいしくて、その度に感声を上げました。
 ここのレストラン、正確には隣の厨房では日本人シェフが働いています。私がラスベガスへ来た後、しばらくしてから転勤してきました。彼によろしくお伝えくださいとスタッフの方に伝えると、その日本人シェフの方がわざわざいらして下さいました。久しぶりに会った彼は、以前に増して生き生きとされていて、楽しそうでした。私にはいい刺激となりました。
 ゆっくりと食事を楽しみ、先生の大切な記念日をお祝い出来て良かったです。
 先生方のお蔭で、腰は少しずつ動き始めています。今日もゆっくりと湯船につかりました。

もしかするとぎっくり腰なんです…

2008-10-05 | 日記
 いつものように少し早目に目が覚め、そのまま起きることにしました。腰はまだ板が入っているような状態です。前屈はできず、床の物をとる時は1番または2番のグランプリエをしなくてはなりませんでした。
 晴れているので洗濯をすることにしました。洗濯をしながら、動かない腰が動いていくように、まずは動くところから少しずつストレッチをしました。
 それから、冷蔵庫にあるものでサンドイッチを作りました。今日は、古谷野先生達とレッドロックに行くことになっていたからです。そして先生方を迎えに行きました。
 腰のことはまだ伝えていなかったので、それを気にしながら、そうすると、運転に集中するほかはあまり頭は働きませんでした。
 レッドロックに着いて、ヴィジターセンターへ行き、ゾウの岩の場所を尋ねました。先日訪れてくれた3人組がツアーでレッドロックへ来て、ゾウの岩へ行ったと写真を見せてくれました。私は何度もレッドロックへ来ているのに、ゾウの岩があることを知りませんでした。今日は是非行ってみたいとヴィジターセンターで尋ねたのですが、係の方は「それはバレー・オブ・ファイアにあるんだよ。」と、レッドロックにあるゾウの岩の場所を知りませんでした。
 とりあえずいつもの場所へ行き、岩山を登りました。少し曇っている空の下、さわやかな風に吹かれ、簡素なサンドイッチを食べ、写真を撮ったり、靴を脱いで岩からのパワーを頂いたりしながらしばらく休みました。
 そして、私はそろそろ告白しなくてはいけないと、腰を上げました。
「びっくりしないで聞いて下さいね。もしかすると、私ぎっくり腰なんです。」
 先生の方を向くこともできず、そこまで言うのが精一杯で、あとは涙声で昨日からの経緯を説明しました。
「治療法を伺ったので、手伝って下さい。」
 なるべく平らな岩を探して、教えて頂いた治療を行いました。今朝、洗濯をしながら少しずつ動かしたので、少しは前屈が出来るようになっていました。一通り手伝って頂くと、先生は
「もう家に帰ろう。帰って家でストレッチしようよ。」
 とおっしゃって下さいました。私は脚を伸ばして座ったまま、背中を丸めて涙をぽたぽたと岩の上に落としました。赤い岩に涙は滲みていきました。
 家に帰ると滅入りそうなこともあり、レッドロックの中を少しずつ進みながら、ストレッチをしながら過ごすことにしました。
 早速、場所を移動しました。二つ目の駐車場付近は前回先生方と訪れているので、行っていないところへ行くことにしました。そして車を降り、歩いていると、低い木の間を抜けたところがパッと開け、大きな岩山の上にゾウの岩が載っているのを見付けました。偶然の発見にみんなで大喜び。
「いいことあるよ。」
 そこから数か所場所を変え、自然のエネルギーを充分に頂いて、アパートへ戻りました。
 アパートではフローズンヨーグルトを作りベランダで食べました。それから、また治療。先生方は、夜にショーを観に行くことになっていました。ショーの後にまたいらして下さるというので、その間は湯船につかり、夕食の支度をして、お戻りになってからまた治療を手伝って頂きました。お蔭で状態はだいぶ良くなりました。明日もう一日あります。動ける希望は出てきました。

腰に板

2008-10-04 | KA
 ようやくネバダバレエとの企画のリハーサルがはじまりました。今回の振付家はゼブ。ネバダバレエのダンサーです。顔触れが様々なので、どういうことになるのか楽しみでした。
 ゼブが、まずは作品のテーマについて話しました。太陽を中心とした天体の話。話は難しそうでしたが、振付は身体にやさしいものでした。彼が考えていたよりも振付は順調に終わり、5曲あるという振付の1曲目が完了したので、時間より早く解放されました。私は少し眠気があったので、建物の裏のベンチで昼寝をすることにしました。今日はさわやかな天気で、気持ちが良かったです。

 一回目のショーを終えると、左の臀部の様子が少し悪いようでした。そして、二回目に踊り終えると、腰全体がおかしくなっていました。いつもはリフト5が下がったのち、階段を駆け上がって更衣室へ一回戻るのですが、それもしたくない感じ。でも、私は双子の男の子に伝えないといけないことがあるので、頑張って階段を上がりました。
 いつものようにシェリーは更衣室の前で次の場面へ向かう準備をしていました。私は彼女の耳元でささやくように伝えました。
「シェリー、私、腰の調子がとても悪いの。今は小走り出来るけれど、スレイヴケイジでずっとしゃがんでいたら、その後動けないかもしれないの。もしも私が動けなくて、あなたにフルートを渡しに行けなかったら、私のところまでとりに来て欲しいの。」
 そしてまた、急いで地下へ下りました。
 スレイヴケイジはすぐに始まりました。私はなるべくじっとしないようにして、いつもよりも腰の辺りを動かすようにして、シェリーにフルートを渡しに行けるように備えました。そして、スレイブケイジの最後に立ちあがることはできました。
 あとはもうお辞儀だけです。その場所へ行ってシェリーに会うと「ガンバッテ。」と日本語で声を掛けてくれました。お辞儀をして全てを終えるとジェニファーも「頑張ったね。」と声を掛けてくれました。
 急いで衣装を脱ぐと、フィジオへ向かいました。フィジオはあまり行きたくないところですが、あまりにもひどい腰痛なので行きました。彼は時計を見ると、少しならば何かできると言ってくれました。
 彼がしてくれたことから考えて、この休みにマッサージに行った方がいいかと尋ねると、それはいいことだと言われました。彼の勤務時間も終わりなので、数分で治療は終わりました。
 腰には板が入っているようで、動きません。私は不安を抱えたまま、約束をしていた友達と先生方と笑いながら夕食をとり、アパートへ戻りました。
 戻って、自分の身体を見つめ直し、これはもしかするとぎっくり腰かもしれない、と思いました。もし本当にぎっくり腰だったら、マッサージはしない方がいいはずです。そして病院へ行かされて、3カ月安静という診断を下されるわけにはいかないのです。
 すぐに、日本で身体のことを診て下さる先生にご連絡をさせて頂きました。電話が何故か通じなかったのですが、先生からお電話を頂いて、お話しすることができました。丁度、古谷野先生方がいらしているので、先生方に手伝って頂いて出来る治療法を教わりました。しかし、ここまで調子が悪いと、二日で舞台に立てるまで回復する自信はありません。涙がこぼれました。
 でも、沈んでいても腰は良くなりません。せっかく楽しい旅行へいらして頂いている先生方に、お時間とお手を拝借することになります。私も希望を持って回復に力を注がなくてはいけません。すぐに涙を拭いました。 

おい、酒かよ

2008-10-03 | KA
 今日のカヌレはきれいに焦げ色が出て、初めてカヌレらしい色に仕上がりました。外がパリッと中がもちっとして、とてもおいしく仕上がりました。大成功。

 気持ちを整えて本番に向かわなければならないことがあったのに、さらに、踊る直前に双子の男の子に水をあげていると、「おい、酒かよ。」という声が客席から聞こえました。その日本人の男性は、ショーの中には入れずに、外からショーを見ているように感じられました。その声が耳に入ったのは残念なことでしたが、せめてその方が、私が踊り始めてからはだんだんとショーの中に入っていけるように願いながら踊りました。
 ショーが終わり舞台が下がると、「ノリコの先生見えたよ。彼女700回目でしょ!!!」と従者役のジェイソンが飛んできました。それは本当におかしくて、私は大きな声で笑ってしまいました。お蔭で楽しい気持ちで終えられました。

 “第2回逆立ち大会”が元KAのアーティストが働くパブでありました。ショーの後、急いで夕食をとり会場へ向かうと、丁度みなさん逆さになっているところでした。しばらくすると、一人、二人と頭が上になり、かわいらしい男性一人が最後まで残りました。すると今度は女性陣の勝負のようです。ズラもいました。女性陣は逆立ちの形が様々で、前後に開脚をしている人あり、ひし形の脚あり、V字に開いている人あり、全身の柔軟性をみせる人あり。同じ形だと疲れるのか、時々脚の形を変えるのが、水辺の鳥が時々羽を伸ばしたり、顔の向きを変えたりしているように、さりげなくきれいでした。そしてまた勝者一人。
 15分ほど休憩をすると、決勝が始まりました。私達が到着する前にもう一組の予選があったようで、KAのピーターが決勝へ残っていました。決勝は3人で。
 3人とも逆さになっているとは思えないほど気楽な感じで逆立ちをしています。ただ同じ場所にじっと立っているだけというのも、考えてみれば易しいことではないのに、傍から見ていると本当に何でもないことのように逆立ちをしていました。
 ピーターは一番はじめに足が床に着き、その後もう一人の男性が諦め、最後まで残ったのはズーマニティーのアーティストでした。彼女はまだまだ続けられそうでしたが、自分が勝者だと分かるとすぐに終え、飛び跳ねて喜びました。彼女の逆立ち時間、3分25秒。
 私達が到着する前には、逆立ちをして何回回れるか、という大会が行われていたようで、そこで優勝した双子の女の子役のエリカが、賞品で先生方にビールをご馳走してくれました。そして彼女はいろいろな話をしてくれました。彼女は若いのに本当に素敵な考え方を持っています。古谷野先生は、彼女の話を聞いただけでもこの旅の価値があるとおっしゃっていました。楽しく有意義なパブでのひとときでした。

初日から波乱

2008-10-02 | KA
「あ、咲いている!」
 つぼみがあることさえ気付いていなかったので、本当にびっくりしました。白いかわいらしい花はピーマンの花です。トマトは早々と枯れてしまい、残ったピーマンとナスもあまり大きくならず、もう実はならないのかと思っていました。でも、花が咲き、希望がわきました。

「お着きになりましたか!」
 昨日からワクワクしていました。子供のようにワクワクしていました。古谷野先生とよっちゃん、10カ月ぶりの来訪。9月の日本帰国時にお会いしたばかりですが、こちらでお会いするのはまた違います。

「先生が座ったことのない席はもう無いんじゃない!」
 オリジナルのアーティストが半分になってしまったとはいえ、古谷野先生はまだまだ有名で、先生に声を掛けてくれる仲間もいました。数え切れないほどKAをご覧になっていることも、みなが知っていることでした。

「ボタンが取れたら、どうしていいか分からない。」
 ハロウィンの準備に夢中なシェリー、裁縫の基本の本を買ったと、分厚い本を数冊持って来ました。今日はミシンの使い方を衣装部屋の方に習ったと。私は思わず、そんなことは学校で習わなかったのかと訊くと、日本で言う家庭科の授業は、アメリカでは10年以上も昔に無くなってしまったとのこと。そして、ステーキの焼き方もカレッジに行くまで知らなかったと。アメリカはこれからどうなってしまうのだろうと思いながら、さて、日本の家庭科はどうなっているのだろうと思いました。

「隣で先生は、プッと笑ってました。」
 久しぶりに先生にご覧頂く一回目、とても気持ち良く舞うことができました。いい緊張といいリラックスは最後には夢の中に入ってしまったようです。投げたフルートは取れないものではなかったのですが、判断を誤りました。あとから考えるとそう思えます。大創作の日以来、久しぶりにフルートが床に落ちました。
 今日は小創作で済みました。いつもと違うケイジへの入り方をご覧になった先生は、きっと身体のどこかを打って痛かったのだろうな、と思われたそうです。