日蓮聖人のご霊跡を巡る旅、初の埼玉!
埼玉のご霊跡は、佐渡法難の行き帰りに宿泊された場所が中心のようです。
文永8(1271)年9月12日の龍ノ口法難の翌日から1ヶ月、日蓮聖人は厚木・依知の本間重連邸にお預けの身になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9f/2664be0100617fb6aa6680a5635de9b6.jpg)
星下りの奇瑞などを起こしたのち、10月10日に佐渡に向けて旅立ちました。
その日のうちに久米川に至り、立川家という民家にお泊まりになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/2f/37f7722e0a03f933554269cc5d2f1d7c.jpg)
↑の画像はグーグルストリートビューに残っている以前の画像です。
残念ながらこの建物は昨年取り壊され、現在は住宅地として開発されています。
佐渡へは主にこの鎌倉古街道の上ツ道などを使われたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/82/267437f220bdfd8200ed54d08b0a2aef.jpg)
新倉(和光市)、大調(浦和市)などに数々の逸話を残されているようです。
機会があったら訪問してみたいものです。
10月13日にご一泊されたのが現在の児玉町です。(10月13日?・・・あ、お会式の日だ!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/f7/231eb1c29b6929a9324c0e038552ec7b.jpg)
この道は通称「児玉街道」というそうです。
周辺は社寺が多く、古くから人の往来が盛んだった様子が窺えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/ae/5e4117d5f2ff8d17f2d5d1ef0f0b0f84.jpg)
街道沿いに存在感抜群の題目法塔!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/8c/419454515c7238f7da9b57b6d7b80511.jpg)
檀頭のお名前が!「久米さん」という方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/90/f7d6ab8567bc571010787d63321395ea.jpg)
題目法塔の対面には、この場所の由縁を刻んだ石碑。
「佐州往還之砌」
「宗祖大菩薩旅館之霊場」
「兒玉時國舊地」
「佐州」は佐渡の事、「砌」(みぎり)は何かが行われた場所の事、「兒玉時國」は日蓮聖人の時代にこの界隈の領主をしていた方、「舊」(きゅう)は「旧」の旧字でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/42/2118a7b6ddd3ca273e9392d338ae90d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/d3/68471c9e1f56af81eb436737d37b80f5.jpg)
門柱には自我偈の一節
「一心欲見佛」「不自惜身命」
「仏様に会いたいという一心で、命さえ惜しまない」的な意味だと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/59/f0e79f6f77c5229d64352208c0ab0bc3.jpg)
本堂です。昔の庵を連想させる寄棟造りで、僕の好きな形です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e9/c4c2544d8ab008afbb9084c893b9ec7a.jpg)
ここ玉蓮寺はもともと、先ほどの石碑にもあった児玉六右衛門尉藤原時国公(長い!)という、この地の領主の邸だったそうです。
お寺の由緒には「児玉党の領主」と刻んでありました。
「児玉党」は今の埼玉北部を拠点にしていた武士団のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/98/7950580c33097a2fa9e3423660ef25be.jpg)
佐渡に向かう日蓮聖人一行をお泊めした夜にお説法を受け、児玉時国公は教化されました。
武士団の頭領、というと恐そうなイメージですが、宿に困っているお坊さんを泊めてあげるなんて、心の優しい方だったんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fb/d92ce4ec0bd08927d0f1cb95d95cd8cc.jpg)
日蓮聖人像に合掌。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/43/2c97ad9a2491c39a06907d5aa9cb6b6b.jpg)
お説法中のお姿のようですが、とっても優しい表情ですね!
境内には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/39/40818ea4129a3f9ab34d32d462df4393.jpg)
法華経の篤信者・加藤清正公をお祀りするお堂
瓦まで蛇の目ですね~!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/c4/83a20a784be6016c1974c9188c930a23.jpg)
身延山中興の立役者・日朝上人をお祀りするお堂
などがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/e4/bf1ef4d81d0797a4d0f61f4199893763.jpg)
鐘楼は朱塗りです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c3/289e8c073b0e56d06fd4feefefa4b648.jpg)
歴史のある古刹だけに、でかい法塔の数々・・・
それぞれの時代を生きたご住職、壇信徒達の思いが詰まっていると思うと、自然と手を合わせたくなるものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a7/4a4f56383d62bef738df7a0ff37c7f39.jpg)
流刑地・佐渡に向けて旅立たれてから2年5ヶ月後、ご赦免になられた日蓮聖人は鎌倉への帰途に再び立ち寄られ、ご一泊されたそうです。
佐渡行きの時に供養を尽くしてくれたからなのでしょうね、日蓮聖人は心優しい弟子にお礼がてら再訪したのだと思います。
そして、ご無事な日蓮聖人に再会できた時国公も、どれほど嬉しかったことでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/07/61a78cd7a3aba3464593a3f59bd53ea4.jpg)
「御洗足之井戸」
このご霊跡を象徴する井戸だと思います。
つらいつらい佐渡流罪・・・終身刑が多く、一般的には本土に戻る例はまずなかったといいます。
その刑が赦免になり、海を渡りまだ雪の残る山道を歩いて、やっと、やっとたどり着いた、いわば身内の邸。
旅の汚れだけでない、いろんなものを、この井戸で落とされたのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/24/fc6a79da0912e7599041d176d039ae21.jpg)
日蓮聖人が鎌倉に向け発たれる時に、時国公は久米川までお送りになったそうです。
児玉家は久米川の出身だそうで、日蓮聖人は時国公に姓を「久米」に改めるようアドバイスされたそうです。
どうりで、境内には数え切れないほどの「久米家」の墓石!
入り口の題目法塔に刻まれていた壇頭名も久米さんでした。
久米家が繁栄し続けてきたことが窺えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f2/721b9660477af4a4fbf9da78c1d379b1.jpg)
日蓮聖人がご入滅して4年が経過した1286年、時国公は邸内にお堂を建て、自ら彫刻した(すごいよね~!)お祖師様のご尊像を安置した、というのがこのお寺のルーツです。
以後730年以上にわたって、お祖師様ご一泊、じゃなくて二泊の霊場がご住職、壇信徒により守られてきたのです。
感謝します!
最後にちょっと余談
今回この地を訪問したのにはもう一つ理由がありました。
僕の妻のお父さん方のルーツはこの辺りにあり、「富士講の先達さん」をやっていたそうなのです。義母や遠戚のうろ覚えの記憶なんですが・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/55/135325f4a940ac62074007138cacae7a.jpg)
特に江戸時代に盛んだった富士山信仰の集団「富士講」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/df/9a1763f2b76b983a5cb0deaa84569a1e.jpg)
「先達さん」は富士講信者のリーダー的役割で、富士山への信仰登山の助けをする「御師」宅まで富士講信者を連れて行くのが大きな仕事だったようです。
埼玉県北部には「丸正鐘講」(まるしょうつりがねこう)という大きな富士講があったらしく、富士塚や石碑も多く残されているそうなので、その一つを訪問しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/d9/4f841e39277b3186c6b642af0ec01d60.jpg)
美里町の山あいに二柱神社というお社があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/be/6b5b9d06852451827e845fc5578bd2a0.jpg)
その境内に「不二岳大神」の石碑
富士山信仰に関係のある場所だということがわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/63/f4fb9abb4c8c4be6816831a8f1821c6b.jpg)
別の石碑の台座には・・・「正」の字をデフォルメしたマークと「鐘」の文字!!
丸正鐘講が奉納した石碑ですね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a3/e6a68411b3a9e11937c485c87013e47c.jpg)
願主に先達さんの名前が!
~行~山というのが、富士講内の法名なんですね!
ウチの妻の先祖が丸正鐘講だったかどうかの確証はありませんし、この方よりもずっと昔に先達さんをやっていたと思われますが、ぼんやりとした存在でしかなかった「先達」の刻字、先祖に会えたような嬉しさがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/f7/2200734ab04f03930f4d33a046482d0d.jpg)
帰り道、踏切には・・・お~!秩父鉄道!!
長瀞とか秩父にも近い場所なんですね。
圏央道が開通してから、僕の住む湘南からも1時間半もあれば来れることがわかりました。
また近いうちに日蓮聖人のご霊跡&富士講遺跡のセットで、埼玉を訪問してみようと思います!