総門付近にも枝垂れ桜が結構あります。
この桜は遅咲きなのかな?
身延川の河川敷には大木の根っこ!このところの豪雨で転がってきたんでしょうか?
業者さんたちが一生懸命撤去して下さっていました。
多くの方々のおかげで、聖地の平穏は保たれているんですね!!
以前から車で通る時に気になっていました、お稲荷さん。
赤い鳥居には「稲荷大明神」の扁額
神様のお使い、キツネが見守っています。
急な坂道を上って行きます。
わ~、150m!!
がんばるぞ~
野生の蘭がたくさん咲いています。
白にちょっと黄色と紫が入っててキレイ。
道ばたには大きな岩がごろごろ。
お社が見えて来ました。もうすぐ!
到着~!
当日は氏子さん方でしょうか、お堂の改修をしていました。ご苦労様です!
縁起がありました。
お祖師様が身延に入山された日は、雨だったんですね~!
この村の方が日蓮聖人に蓑(みの)を捧げ、村人も蓑を着てご案内したことから、「蓑夫」(みのぶ)と言われるようになったと書いてありました。
知らなかった~!!
日蓮聖人が入山された当時は、もちろん↑こんなきちんとした道はなかったと思われます。
恐らく、ごうごう流れる身延川の岸の狭いところを、進んでいったのではないのでしょうか。
その際、行く手を阻んでいた巨大な石が自然に割れて、中から白髪の老人が現れたそうです。
↑の石が、まさにその時に割れた石だといわれています。
左右の石の形を見ると、凹凸がぴったり合わさります。
不思議!
日蓮聖人は老人に優しく聞きました。
「あなたはどこからいらっしゃったのですか?」
老人は合掌しながら言いました。
「私は元来、この山に住む者です。今は誰一人として愛してくれる人もないだけでなく、追われて岩屋の中に閉じ込められている、哀れな野生の者です」
「今世の生物に憐れみ深い日蓮聖人がはるばる甲斐路においでになり波木井殿と対面されると聞き、巌(岩かな?)を破って出てきました」
「私は稲荷大明神の申し子です。この世のために一日も早く開宗されますよう」
と、日蓮聖人に申し上げたそうです。
この一部始終を見ていた村人たちが、この場所にお社を造り、老人を神として祀ったというのが、石割稲荷社のルーツだそうです。
この提灯やのぼりには「南無石割稲荷大明神」と書かれていました。
神仏習合の名残りなのかもしれませんが、その縁起からすると、とても自然に思えます。
山側のところどころに小さい祠があり、それぞれにきちんと人の手が入っているのがわかります。
見えないものを信じる慈しみ深い方々によって、日蓮聖人のご霊跡は今日も維持されていることを再認識しました。
ちなみに石割稲荷社は積善坊さんが管理して下さっているようです。
若葉が芽吹き、生き物たちが動き出す春!
元気が出てきたぞ~!