御坂みち
遠くに見えるのは御坂峠です。
カーナビでは現在の国道137号線が「御坂みち」になっていますが、本当はこの旧道が「御坂みち」です。
御坂みちは、甲斐から鎌倉へ抜ける重要な交通路で、別名を鎌倉街道とか鎌倉往還って呼ばれてたみたい。
弘安5(1282)年、体調が芳しくない日蓮聖人が身延山を下山し、当初は常陸で湯治をするためにこの道を通ったと考えられています。
道ばたに、お祖師様がご休憩されたことを刻んである石碑がありました。
ん?「弘安3年、卯月」って刻んである。
てっきり日蓮聖人最後の旅の「弘安5年」って刻んであるものと・・・。
「藤曼荼羅 御染筆之霊跡」とも刻まれてますね。
石碑からすると、弘安3年にお祖師様がお曼荼羅をこの場所で書いた、と解釈できなくもないですが・・・。
それにしても藤曼荼羅、どんなお曼荼羅なんだろう?
もしかしたらここに刻まれている「米倉山妙昌寺」というお寺に格護されているのかもしれません。
日蓮宗ポータルサイトによると、ここから数キロ離れた場所に、妙昌寺というお寺があります。
機会があったら参拝してみたいものです。
そういえばこの界隈の民家にはきれいな藤の花がたくさん咲いています。
僕が訪問したのがちょうど卯月だったので、お祖師様も身延山中で藤の花を見ながら、ここ黒駒に住む旧知の方のためにお曼荼羅を書いたのかもしれません。
それが弘安3年のことだった、と理解するのが自然でしょうか。
ここから1キロほど御坂峠側に、「日蓮聖人腰掛石」があるそうです。
行ってみましょう!
さすがブドウの産地、いたるところに畑があります。
若葉が出たばかりなのかな?初秋においしいブドウがたくさん実りますように!
小道のかどに、ひっそりとご霊跡がありました。
「日蓮大菩薩 御腰懸石」
「腰掛」じゃなく「腰懸」なんですね!
先日の発軫閣にあったのも「腰懸石」でしたし、葉山のご霊跡・実教寺の山号も「腰懸山」でしたね~
恐らくこの石なんじゃないかな?
座布団みたいな形です。
長い年月が経っても苔むしてないのは、歴代ここを維持して下さっている方々が、よく磨いて下さったからだと思います。
ここにも藤の花!
それにしても、細い旧道の道ばたに密集してご霊跡があるということは、日蓮聖人ととてもご縁が深かった地域に違いありません。
日蓮聖人の池上への旅の途次、弘安5(1282)年の9月11日に黒駒に宿泊された、といわれています。
難所の御坂峠にさしかかる前に、以前から馴染みのある、なつかしい黒駒の地で、一夜を過ごしたのでしょう。
この翌日に河口、13日に呉地、14日に竹之下・・・と池上の道は続いてゆきます。