日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

御松山実相寺(佐渡市市野沢)

2018-08-31 23:16:57 | 旅行
1272年4月7日、日蓮聖人の身柄は塚原から一ノ谷に移されました。

常時御草庵に拘留されていたわけではなく、近所へ足を伸ばしておられた跡が見られます。
この点は、塚原三昧堂の頃と大きく違うと思われます。



御草庵跡のある妙照寺からほど近い場所に、日蓮聖人が朝日に向かって拝んだ丘のご霊跡があります。
実相寺です。



境内は奥に深く、参道の途中には先人の思いが詰まった古い法塔などがあります。



仁王門が見えて来ました。
妙照寺本堂もそうでしたが、佐渡には茅葺きの堂宇がごく自然にあります。



扁額には山号の「御松山」。
松にまつわる逸話がありそうですね~。



あ!ここにもウサギの彫刻!



仁王門をくぐると、一気に鎌倉時代にタイムスリップするような感覚です。



佐渡のお寺は、小川にかかる橋を渡って向こう側に行く造りが目立ちます。意味がありそうですね。
身延の御廟や池上本門寺の「霊山橋」に似ていますね。



8月も中旬を過ぎたのに、まだ紫陽花が咲いています。



山門が見えてきました。
山門横にある大木は、三光の杉といわれ、佐渡市指定の天然記念物だそうです。

新潟県のホームページに興味深いことが書いてありました。「三光の杉」の名前は、この杉にサンコウチョウ(三光鳥)がしばしば訪れていたことに由来するそうです。「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」という鳴き声で鳴くことから、「月・日・星」のサンコウチョウ(三光鳥)と名付けられたといいます。
まさに三光天子を篤く信仰する日蓮聖人につながりますね~!



山門をくぐると正面に重厚な本堂があります。



その隣には、これまた茅葺き屋根の祖師堂です。



境内には松が多いのがわかると思います。
お檀家さんと思われるご夫婦が、境内の草刈りや剪定をしていましたよ。ご苦労様です。



その中に玉垣に囲まれた松がありました。日蓮聖人袈裟懸けの松です。
その太さからいって、もう何代目かなのでしょう。杉や公孫樹は時々鎌倉時代からの現役を見かけますが、松は寿命が短いんですね。



江戸初期の絵師・狩野探幽の絵が、石碑になっていました。
この場所であった逸話を描いているようです。


お寺の縁起によると、「三光の杉と袈裟懸けの松の間に停ち、梵天・帝釈・日月・四天に帰倉(鎌倉へ帰ること)を念誦されるや、白頭のカラス飛来す」とありました。絵の中にカラスは見当たりませんが・・・念誦中のお祖師様を描いているのですね!



祖師堂の隣に妙見堂があります。三光天子と関係の深いご霊跡なんですね。
ちなみに佐渡の北側を走る大佐渡山地には妙見山という名の山があり、頂上の祠はこの妙見堂の奥ノ院になるそうです。

いろんなことがことごとくリンクするんですね。深い・・・。



歴代お上人の御廟に参拝。
大切なご霊跡を維持してきて下さったことに感謝です。



歴代御廟の隣の、高い台座の上に日蓮聖人のご尊像が建っていました。
「望郷思親の祖師像」です。



この場所は小高い丘になっており、日蓮聖人の故郷にどことなく似ているそうです。
日蓮聖人は一ノ谷の御草庵から、時々この丘にやって来て、東から昇る旭日を拝み、遠い故郷や亡きご両親を偲ばれたといいます。



知れば知るほど奥が深いですね~!当時の佐渡の方々が驚き、畏敬し、どんどん帰依者が増えていったのも理解できます。


白頭のカラスが飛んできたってことは、日朗上人がご赦免状を持って佐渡にやって来る日も近いのかな?

・・・いやいや、そこがまた、なかなか一筋縄ではいかなかったそうなんですよ・・・







御井戸庵(佐渡市中興)

2018-08-31 18:51:03 | 旅行

宿泊していたホテルのほど近くに、「中興」という信号がありました。
中興といえばご遺文にもある「中興入道」を連想しますよね!

「丈六の卒塔婆を立て・・・」という「中興入道御消息」は、毎日のお勤めの際に読む、馴染みのあるご遺文です。

ちなみに「入道」という敬称ですが、必ずしもイコール僧侶ではないようで、在家信者でも「入道」のケースはあるようです。
ただ位の高い方に「入道」の敬称が用いられる事が多いようです。中興入道も地元の有力者だったのでしょう。



中興交差点にも能楽堂がありますね~。本当に佐渡は能が盛んです。



能楽堂の向かいにひっそりと「御井戸庵」というご霊跡があります。



小さいけどお堂が建っていますね。



法華堂です。
「中興」という地名からもわかるように、この付近に中興入道一族の屋敷があったと思われます。
江戸時代に、道照日宣法師が開基となって庵を結んだようです。



お堂の裏側に、中興入道の御廟がありました。



時代を経て摩耗した、小ぶりの宝塔が中興入道ご夫妻の墓石だと思われます。



中興入道のお父様は次郎入道信重といい、塚原問答の際に日蓮聖人の法話を聞いて感銘を受け帰依した、佐渡では阿仏房と並んで古参の信者です。
子の中興入道も強い信仰を継ぎ、はるか遠い身延山まで日蓮聖人を訪ねて行き、ご供養を尽くしたそうです。
そのせいでしょうか、先述の中興入道御消息だけでなく、奥様宛てのお手紙などもあるそうで、日蓮聖人とご縁がとても深かったと想像できます。



「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも中興入道のお姿が見られます。



中興入道とそのお父様、そして中興入道の奥様に感謝しながら、合掌しました。



ところで、このご霊跡は「御井戸庵」でしたよね。
井戸にまつわる逸話でもあるのでしょうか?


実際、お堂に護られた井戸があります。
現役の井戸だそうです。



一ノ谷の妙照寺が奉納した法塔がありますね。
お寺の縁起によると、井戸は日蓮聖人の霊験により掘られたもので、井戸水(奥之清水)は眼病によく効いたといいます。



また、この奥之清水を汲んで草庵に持ち帰り、墨を擦り、観心本尊抄を著したのだそうです。
その後の教学信仰の根幹をなす渾身の著作を、敢えて一ノ谷から直線距離で2~3kmは離れている中興の井戸水・奥之清水で書いた、というわけですから、この井戸、そして水が持つ霊力の強さが窺えます。



大荒行を5回も成満された佐渡内他寺のお上人とお話しした際、大荒行中、お曼荼羅を書く修行の時には、中興の奥之清水をわざわざ取り寄せ、墨に足したもので書く、という逸話を教えて下さいました。
すごくないですか!?



御井戸庵を訪問したのは朝の6時過ぎ、まだご近所にも人の姿がなく、とても静かに参拝することができました。



よく清められているご霊跡で、いかに佐渡の宗門の方々が大切にしているかが窺えました。



「中興史の会」があるんですね!
いろんなこと聞いてみたいのはヤマヤマです。活動、頑張って下さい~!