佐渡流罪の赦免状を携えた日朗上人は、フラフラになりながらも雪深い小佐渡山地を越えました。
疲れと寒さで、もう動けなくなってしまった日朗上人が、声の限り叫んだといいます。
「お師匠さま~」
さほど離れていない場所を歩かれていた日蓮聖人と日興上人は、声の主を探しました。
「お師匠さま~」
声はだんだんと近づいてきました。
日蓮聖人はその声に呼応するように言いました。
「なんだいの~」
間もなく日蓮聖人と日興上人は、倒れ込んだ日朗上人を発見し、赦免状は日蓮聖人の手に渡ったといいます。
日蓮聖人が「なんだいの~」と応えられた場所、それが「何代坂」と伝えられています。
現地には見逃してしまいそうな小さい石碑が建っており、あ~!ここなんだ!と感動しました。
「何代」は地名にもなっており、付近の介護施設も「なんだい」です。
声を掛けたら必ず返答してくれそうな名前ですね!
比較的平坦な、舗装された県道沿いなので、石碑がなければわかりませんでした。
建てて下さった方、ありがとうございました。
実はこの前日、佐渡着船の霊跡・本行寺のお上人に、何代坂に関する史跡がないか、伺ってみました。
すると、何代坂と関連があるかどうか定かではないが、近くに巨大な五輪塔があるという事を教えて頂き、現地に連れて行って頂きました。(優しいお上人!)
住宅に囲まれた場所にあるので、具体的な場所は伏せますが、この五輪塔です。
手前にある車との対比で、どれだけ巨大なのかがわかると思います。
住宅脇の細道をそろそろと入ってゆくと、こんな感じで建っているのです!
3mはあろうかという五輪塔。
風雪にさらされてきたのでしょうか、全体に削れてスリムになっています。結構歴史がありそうです。
それに花が供養されています。どなたか信仰のある方が清めて下さっている形跡もあります。
・・・しかし、なぜこの場所に、巨大な五輪塔が・・・?
そのヒントとなりそうなお話を、塚原三昧堂霊跡・根本寺のお上人から伺うことができました。
五輪塔がある場所は、塚原三昧堂からもほど近く、当時、近隣の住民も日蓮聖人のお姿や法話に魅了されていたのかもしれません、日蓮聖人の謫居が一ノ谷に移る際、別れを惜しむ住民達が、お題目を唱えて日蓮聖人を送ったそうです。
住民達がお題目を唱えるという風習は、日蓮聖人がご赦免になった後も、あるいは日蓮聖人がご入滅された後も続き、実は現在も年に一度、6月13日に根本寺のお上人が導師となって、あの五輪塔の前で行われているそうです。
参加される住民は他宗の方もいらっしゃるそうですが、昔からその日だけはお題目を唱えるのだそうです。
それはもう、700年以上、脈々と続いている唱題。
何代も、何代も続いてきた、というのが「なんだい」の由来、という説もあるのだそうです。
宗旨に関係なくお題目を唱える地域というのは、富士山の南麓あたりにあると聞いたことがありますが、まさか佐渡でそんなお話を伺えるとは・・・!
驚くとともに、先祖から引き継いだものをきちんと続けている住民達に素直に敬服し、何代をあとにしました。
単なる一信徒の僕に、いろいろなお話をして下さった根本寺のお上人、そして五輪塔の存在を教えて下さった本行寺のお上人に、この場を借りて感謝の意をお伝えしたいと思います。
疲れと寒さで、もう動けなくなってしまった日朗上人が、声の限り叫んだといいます。
「お師匠さま~」
さほど離れていない場所を歩かれていた日蓮聖人と日興上人は、声の主を探しました。
「お師匠さま~」
声はだんだんと近づいてきました。
日蓮聖人はその声に呼応するように言いました。
「なんだいの~」
間もなく日蓮聖人と日興上人は、倒れ込んだ日朗上人を発見し、赦免状は日蓮聖人の手に渡ったといいます。
日蓮聖人が「なんだいの~」と応えられた場所、それが「何代坂」と伝えられています。
現地には見逃してしまいそうな小さい石碑が建っており、あ~!ここなんだ!と感動しました。
「何代」は地名にもなっており、付近の介護施設も「なんだい」です。
声を掛けたら必ず返答してくれそうな名前ですね!
比較的平坦な、舗装された県道沿いなので、石碑がなければわかりませんでした。
建てて下さった方、ありがとうございました。
実はこの前日、佐渡着船の霊跡・本行寺のお上人に、何代坂に関する史跡がないか、伺ってみました。
すると、何代坂と関連があるかどうか定かではないが、近くに巨大な五輪塔があるという事を教えて頂き、現地に連れて行って頂きました。(優しいお上人!)
住宅に囲まれた場所にあるので、具体的な場所は伏せますが、この五輪塔です。
手前にある車との対比で、どれだけ巨大なのかがわかると思います。
住宅脇の細道をそろそろと入ってゆくと、こんな感じで建っているのです!
3mはあろうかという五輪塔。
風雪にさらされてきたのでしょうか、全体に削れてスリムになっています。結構歴史がありそうです。
それに花が供養されています。どなたか信仰のある方が清めて下さっている形跡もあります。
・・・しかし、なぜこの場所に、巨大な五輪塔が・・・?
そのヒントとなりそうなお話を、塚原三昧堂霊跡・根本寺のお上人から伺うことができました。
五輪塔がある場所は、塚原三昧堂からもほど近く、当時、近隣の住民も日蓮聖人のお姿や法話に魅了されていたのかもしれません、日蓮聖人の謫居が一ノ谷に移る際、別れを惜しむ住民達が、お題目を唱えて日蓮聖人を送ったそうです。
住民達がお題目を唱えるという風習は、日蓮聖人がご赦免になった後も、あるいは日蓮聖人がご入滅された後も続き、実は現在も年に一度、6月13日に根本寺のお上人が導師となって、あの五輪塔の前で行われているそうです。
参加される住民は他宗の方もいらっしゃるそうですが、昔からその日だけはお題目を唱えるのだそうです。
それはもう、700年以上、脈々と続いている唱題。
何代も、何代も続いてきた、というのが「なんだい」の由来、という説もあるのだそうです。
宗旨に関係なくお題目を唱える地域というのは、富士山の南麓あたりにあると聞いたことがありますが、まさか佐渡でそんなお話を伺えるとは・・・!
驚くとともに、先祖から引き継いだものをきちんと続けている住民達に素直に敬服し、何代をあとにしました。
単なる一信徒の僕に、いろいろなお話をして下さった根本寺のお上人、そして五輪塔の存在を教えて下さった本行寺のお上人に、この場を借りて感謝の意をお伝えしたいと思います。