日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

番神堂(柏崎市番神)

2018-10-29 23:57:36 | 旅行

1274年3月15日、佐渡配流を赦された日蓮聖人を乗せた船は、寺泊に向けて出航しました。



2年5ケ月もの理不尽で辛い配流生活であったけれども、「それでもいざ島をあとにするとなると、後ろ髪を引かれる思いだ」と国府尼御前御書に書かれています。複雑な思いでの離島だったのでしょうね。


日蓮聖人を乗せた船は一路、寺泊を目指しました。

当初の予定では寺泊に着いたら、山道を海に沿って越後国府(現在の上越市)まで100km近くを歩くはずだったようです。


しかし・・・予想外のことが起きました!

お祖師様までもが「いかなる事にやありけん、思はざるに順風吹ききたり」と種々御振舞御書に書き記されるほどラッキーな風が吹き、あっという間に柏崎に到着したのです!
柏崎からだと恐らく当初の半分、50km程度を歩けば、越後国府に着くことになります。そして何より、山越えが少なくて済みます(難所の「米山」という場所はありますが)。



日蓮聖人には佐渡で多くの弟子・信者ができましたが、同時に念仏衆等の強い反発も生みました。
幕府じきじきの赦免とはいえ、「日蓮を島から出すな、鎌倉に生きて還すな」という不穏な動きは、帰路の各地にあったといいます。

日蓮聖人が想定外に早く、しかも当初の予定と違う場所に上陸されたのは、何ものかに護られた結果だと思います。


日蓮聖人着岸のご霊跡が柏崎にあるそうなので、訪問しました。

大きなお題目の法塔があります。



「本化宗祖勧請之霊地」
日蓮聖人が何かを勧請された場所でもあるようです。



多くの講中たちの想いが詰まった法塔です。



お?すご!
参詣者用の駐車場、大型車も停められる!それも柏崎市の駐車場になってるぞ。
結構な観光地になってるのかな。



案内どおり行ってみると・・・



うわ~!景色がいい!!
結構な高さがあるから、港の内と外で波がこんなに違うっていうのがよくわかるな~



番神堂です。
日蓮宗ポータルサイトによると、番神堂(妙行寺)は宗門史跡に指定されています。



番神堂は明治時代に焼失してしまいましたが、その後とても立派に再建されました。



日蓮聖人が無事、上陸できたことを神様に感謝して、三十番神を勧請してお祀りしたことが、番神堂のルーツです。
日蓮宗のお寺を巡っていると、妙見様、庚申、鬼子母神、清正公、七面大明神など、いろんな時代からの様々な信仰がみられますが、三十番神も沢山のお寺でお祀りされていました。
でもこんな立派なお堂は初めて!



1日に熱田神宮から始まって、30日の吉備大明神まで、日本中の神様が毎日日替わりで我々をお護りして下さっている、という信仰のようです。特に法華経を守護して下さる神々だそうですよ!
31日は・・・どうなるのかな?



昔も今も、初詣の参拝客がメチャクチャ多いそうで、沢山の警備員とお札やお守りを売る学生の手を借りて、毎年みんな総出で対応するそうです。ご苦労様です!



このお堂、彫刻が秀逸!地元越後の彫刻師達が腕を振るった逸品揃いです。



四方を精緻な彫刻が取り囲んでおり、劣化しないように周囲をガラスで保護されています。
・・・これに近い風景をどこかで見たことあるな・・・そう、柴又帝釈天だ!



こんなに立派なお堂を造り上げた棟梁のことは、地元の民謡にも謳われています。
「〽新町宗吉大手柄~」



お堂の裏側に廻ると、日蓮聖人のご尊像が建っています。



番神堂を訪問時、急な通り雨があり、雨に濡れたお祖師様でした。
着岸された時も、潮に濡れていらしたのかもしれないな、なんて考えながら合掌しました。



ご尊像の視線の先を歩いて行くと・・・



ここから着岸の霊地が望めるようです。



下にある黒い岩、塔がある辺りに着岸されたそうです。リアル~!



今はこんなに立派で平穏な境内ですが、11年前の中越沖地震では相当な被害を受けたそうです。



画像右側の卒塔婆は、今年催された法要で慰霊と復興を祈願されたものです。
震源はこのすぐ近くで、15人が犠牲となりました。ご冥福をお祈りします。



柏崎には原発があります。とにかく原発で事故がなくて良かった・・・。



番神って、地名にもなってるんですね!地域密着型ご霊跡!!



日蓮聖人はこのあと、西へ向かいます。米山を超えなくてはなりません。

・・・う~、大変、日蓮聖人、タフだなぁ・・・
















角田山妙光寺(西蒲区角田浜)

2018-10-29 21:21:11 | 旅行
1271年10月27日、日蓮聖人は佐渡を目指して寺泊を出航しました。

寺泊で一週間、風待ちをした末の出航でしたが、いざ沖に出てみると強い西風と高波に翻弄されてしまったといいます。



鎌倉時代の船ですから、櫓を漕いで進む木造の小舟であったはずです。当然、流されてしまいました。
(訪問当日は波一つない、湖のような海面でして・・・リアリティなくてすみません)



寺泊から十数km北上した「角田」という磯に、日蓮聖人は漂着・上陸されたそうです。
そして近くの岩に南無妙法蓮華経のお題目を記されました。これは「岸の題目」と呼ばれています。



実は昔は岸の題目の場所まで歩いて行けたそうなんですが、道路を造るのに伴い、行けなくなってしまったようです。
道路沿いに建つ日蓮聖人のご尊像の真下あたりに、あると聞きました。



う~ん、どの辺りかな?



え!?一瞬びっくりしましたが、釣り師のおじさんでした!
非公式ながら下りて行けなくはないのかな。あくまでも、自己責任で。


日蓮聖人が上陸された時、そこに一人のおじいさんが現れたそうです。

「近くの岩穴に、頭が7つある大蛇が棲みついて、住民を悩ませているので退治して欲しい」とお願いに来たのだそうです。



その岩穴が現存するそうなので、行ってみました。



細い道が山裾に向かって伸びています。



お、おお~~っ!!巨大な岩屋だ~!
のぼりの旗が人間の1.5倍くらいの高さだから、いかにスケールがでかいか想像してみて下さい。
僕のカメラではこのでかさを表現できない!



それにものすごい霊気。とても神聖な霊場だということがわかります。
七面の大蛇が棲む岩屋に向かって日蓮聖人がお経をお唱えになると、大蛇は教化され「これからは末法の世の法華経の行者を守護します」と誓ったそうです。



大蛇は天女に姿を変え、七面山に登られたということです。


七面天女、七面大明神といえば・・・

身延山の御草庵近くでの日蓮聖人のお説法を熱心に聞いていた一人の女性が、実は七面大明神の化身だったというお話がありました。
(↑画像は身延山・妙石坊の高座石)


日蓮聖人は既に女性の正体がわかっていたようで、「みんなが不思議に思っているから、あなたの本当の姿を見せてあげなさい」と女性に促し、手のひらに一滴の水を落としたところ、たちまち龍の姿に変わり七面山に飛び去った・・・ということでした。(↑画像は七面山・一ノ池)

つまり日蓮聖人はその数年前に角田の岩屋で七面の大蛇を教化し、その本当の姿(実相、ですよね!)を知っていたから、女性に促したのでしょうね!
新潟ではいろいろリンクするな~!



このような日蓮聖人の逸話が沢山ある角田浜。これらご霊跡を維持して下さっているお寺が妙光寺です。



境内はとても広い!そしてキレイに整備されています。
ご住職やお檀家さんの努力でしょう。



山門です。
妙光寺で最も歴史のある建物で、1815年建立だそうです。



山号は角田山です。



境内に七面天女のお像がありました。
毎年8月19日に法要を営んでいるそうです。



本堂です。
こんな本堂、初めて見た~!「寺院とはこの形です」という既成概念を見事に打ち破っています。
それでいて品のある、そして風通しのよいお堂です。



本堂に隣接する祖師堂です。
中でお参りさせて頂きましたが、声がキレイに反響して、俺、お経上手くなったのか?と錯覚してしまうほどです。



本堂、祖師堂、客殿に囲まれたスペースはウッドデッキになっています。
ここでライブコンサートとかビアガーデンやったら気持ちいいだろうな~!



実際、ビアガーデンはないとしても、沢山のイベントを催しているようです。
月例ボランティア、なんていいアイデアですよね!



客殿がまた、和モダンを採り入れた建築見本のような建物です。



歴史のある内側の建物を、外側の建物が保護している造りです。

境内といい、堂宇といい、出来すぎです!
・・・が、ここまでするには先代住職の大変なご苦労があったようです。
先々代の急逝により大学卒業直後に法灯を継いだ先代住職、当時は界隈の排水が悪く、数年に一度は床下浸水に悩まされていたようです。
どのお堂も基礎が傾き、境内はいつもジメジメ・・・


その名残りでしょうか、お寺の外側にはボートが置かれてます。

しかし先代住職はめげず、自ら重機を操り土木工事を買って出たほどだったそうです。お檀家さん方の当事者意識も高く、お寺の経済運営を立て直し、常にどこかを改修、工事しながら今日に至るそうです。

昨年、娘さんが住職を継ぎ、現在は新体制で頑張っておられるようですよ!応援してます!



歴代お上人の御廟に参拝。
妙光寺は1313年に日印上人が開いた三ケ寺、つまり角田山妙法寺、蓮華寺、経王寺がルーツだそうです。
室町時代に妙法寺が妙光寺に改称して今に至るようです。ちなみに蓮華寺は新発田市に(蓮昌寺と改称)、経王寺は村上市に現在もあるそうですよ!



小さなお堂がありました。



「岩の題目」です。



岩屋に棲む七面の大蛇が教化されたことを喜んだおじいさんが、日蓮聖人に願い出て書いて頂いたお題目だそうです。
力強い字体ですよね!



ご霊跡の守り神かな?大きなカニが歩いていました!海を感じるお寺です。



日蓮聖人はここ角田浜でご一泊され、翌10月28日に佐渡に向け、改めて出航しました。

ここで再び、強風と高波が行く手を阻んだそうですが、日蓮聖人が波間にお題目を書くと、風も波も鎮まったということです。
これを「波の題目」と呼んでいるそうです。



その日の夕方、日蓮聖人を乗せた船は佐渡に到着しました。
(↑画像は佐渡・松ヶ崎の法華岩)


佐渡に至るまでだけでも、本当に大変だったんだな~。

実際に現地を訪れると、お祖師様のご苦労がより深く理解できます。
信徒として大事なことだと信じています。