1274年3月15日、佐渡配流を赦された日蓮聖人を乗せた船は、寺泊に向けて出航しました。
2年5ケ月もの理不尽で辛い配流生活であったけれども、「それでもいざ島をあとにするとなると、後ろ髪を引かれる思いだ」と国府尼御前御書に書かれています。複雑な思いでの離島だったのでしょうね。
日蓮聖人を乗せた船は一路、寺泊を目指しました。
当初の予定では寺泊に着いたら、山道を海に沿って越後国府(現在の上越市)まで100km近くを歩くはずだったようです。
しかし・・・予想外のことが起きました!
お祖師様までもが「いかなる事にやありけん、思はざるに順風吹ききたり」と種々御振舞御書に書き記されるほどラッキーな風が吹き、あっという間に柏崎に到着したのです!
柏崎からだと恐らく当初の半分、50km程度を歩けば、越後国府に着くことになります。そして何より、山越えが少なくて済みます(難所の「米山」という場所はありますが)。
日蓮聖人には佐渡で多くの弟子・信者ができましたが、同時に念仏衆等の強い反発も生みました。
幕府じきじきの赦免とはいえ、「日蓮を島から出すな、鎌倉に生きて還すな」という不穏な動きは、帰路の各地にあったといいます。
日蓮聖人が想定外に早く、しかも当初の予定と違う場所に上陸されたのは、何ものかに護られた結果だと思います。
日蓮聖人着岸のご霊跡が柏崎にあるそうなので、訪問しました。
大きなお題目の法塔があります。
「本化宗祖勧請之霊地」
日蓮聖人が何かを勧請された場所でもあるようです。
多くの講中たちの想いが詰まった法塔です。
お?すご!
参詣者用の駐車場、大型車も停められる!それも柏崎市の駐車場になってるぞ。
結構な観光地になってるのかな。
案内どおり行ってみると・・・
うわ~!景色がいい!!
結構な高さがあるから、港の内と外で波がこんなに違うっていうのがよくわかるな~
番神堂です。
日蓮宗ポータルサイトによると、番神堂(妙行寺)は宗門史跡に指定されています。
番神堂は明治時代に焼失してしまいましたが、その後とても立派に再建されました。
日蓮聖人が無事、上陸できたことを神様に感謝して、三十番神を勧請してお祀りしたことが、番神堂のルーツです。
日蓮宗のお寺を巡っていると、妙見様、庚申、鬼子母神、清正公、七面大明神など、いろんな時代からの様々な信仰がみられますが、三十番神も沢山のお寺でお祀りされていました。
でもこんな立派なお堂は初めて!
1日に熱田神宮から始まって、30日の吉備大明神まで、日本中の神様が毎日日替わりで我々をお護りして下さっている、という信仰のようです。特に法華経を守護して下さる神々だそうですよ!
31日は・・・どうなるのかな?
昔も今も、初詣の参拝客がメチャクチャ多いそうで、沢山の警備員とお札やお守りを売る学生の手を借りて、毎年みんな総出で対応するそうです。ご苦労様です!
このお堂、彫刻が秀逸!地元越後の彫刻師達が腕を振るった逸品揃いです。
四方を精緻な彫刻が取り囲んでおり、劣化しないように周囲をガラスで保護されています。
・・・これに近い風景をどこかで見たことあるな・・・そう、柴又帝釈天だ!
こんなに立派なお堂を造り上げた棟梁のことは、地元の民謡にも謳われています。
「〽新町宗吉大手柄~」
お堂の裏側に廻ると、日蓮聖人のご尊像が建っています。
番神堂を訪問時、急な通り雨があり、雨に濡れたお祖師様でした。
着岸された時も、潮に濡れていらしたのかもしれないな、なんて考えながら合掌しました。
ご尊像の視線の先を歩いて行くと・・・
ここから着岸の霊地が望めるようです。
下にある黒い岩、塔がある辺りに着岸されたそうです。リアル~!
今はこんなに立派で平穏な境内ですが、11年前の中越沖地震では相当な被害を受けたそうです。
画像右側の卒塔婆は、今年催された法要で慰霊と復興を祈願されたものです。
震源はこのすぐ近くで、15人が犠牲となりました。ご冥福をお祈りします。
柏崎には原発があります。とにかく原発で事故がなくて良かった・・・。
番神って、地名にもなってるんですね!地域密着型ご霊跡!!
日蓮聖人はこのあと、西へ向かいます。米山を超えなくてはなりません。
・・・う~、大変、日蓮聖人、タフだなぁ・・・