日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

寺泊山法福寺(長岡市寺泊)

2018-10-28 18:03:35 | 旅行

寺泊の海岸通り、いわゆる市場通りは、いつ訪問しても人でごった返しています。
目の前にトイレ付きの大きな駐車場が完備されているので、遠方からの買い物客がバンバンやって来ます。
昔から北前船の寄港地として活況を呈していたそうですが、現在まで盛況を維持し続けるのは大変な事だったでしょうね!


市場通りから一本山側の通りに、「聚感園」という場所があります。

ここ寺泊は古くから佐渡への玄関口となってきました。
また、数多くの人が佐渡に流される前に、この町で風待ち逗留をしたようです。



順徳天皇も寺泊に数ヶ月滞在されたようです。



この場所にあった五十嵐家の屋敷に、行宮をしつらえたそうです。
現在はその跡が整備され、公園になっています。

・・・とすると・・・

6月に訪問した甲斐市の金櫻神社

金櫻神社には甲州金峰山の神様がお祀りされている場所です。



順徳天皇は佐渡に流される直前、甲州の金峰山の神様に捧げ物をするため、勅使を遣わせました。
確か寺泊から、勅使を遣わせたという話でした。まさに現在の聚感園の場所じゃないかな?

更に言えば、順徳天皇にお仕えしていた若き日の阿仏房も、この近くに逗留していたはずです。リアルだ~!



白い輿に捧げ物を入れ、それを担いで山中に運ぼうとしましたが、白輿は大きく重いために、途中のお寺に預けたそうです。
のちにそのお寺は日蓮聖人によって教化され、順徳院山常説寺になったのです。

思わぬところでいろいろリンクしてきますね~!


聚感園から目と鼻の先に、日蓮聖人ご開山のお寺があります。

法福寺です。
境内は丘の上のようです。階段を上ってゆきます。



階段を上り下りする壇信徒さん達を、松が優しく守ってくれているようです。



上り切ると海が見えます!気持ちいい~!



本堂です。
余計な色彩のない、素朴な風合いです。



山号は地名そのまま、寺泊山です。
このお寺の歴史は古く、奈良時代に修験者が開創したそうで、のちに法華堂という天台宗のお寺になりました。



1271年10月下旬、日蓮聖人が風待ちのため石川右衛門尉吉廣公の屋敷に逗留された際、法華堂の住職が日蓮聖人と法論を交わしました。
結果、住職は日蓮聖人の教えに帰依し、その場でお弟子さんになったそうです。
日蓮聖人から「日伝」の法名を頂き、お寺も改宗して「法福寺」と改めました。
日蓮聖人ご開山、二祖を日朗上人、三祖を日像上人とされたそうですよ。



いつもいつも思うのですが、その場で相手の信仰をそっくり変えてしまうって、スゴくないですか?どんなお話を交わして、キメの一言は何だったのか、再現VTRでもあったら是非見てみたいほどです。


そう、今思い出した!日印上人はもともと越後・寺泊の出身でしたよね。幼名は摩訶一丸です。

「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも摩訶一丸が描かれています。

日蓮聖人が佐渡に渡る直前、寺泊で日蓮聖人にお会いし、弟子になりたいと申し出たそうです。
当時8才ですよ~!僕が8才の時なんて、ハナ垂らしながらザリガニ釣ってましたよ!



本堂の彫刻がまた精緻で見応えあり!とても技術の高い職人さんの仕事と思われます。



幼稚園を併設しているお寺なんですね!子供たちは海の見える幼稚園でのびのび育っていることでしょう!



寺泊祖師堂や硯の井戸、獅子吠えの日蓮聖人像などは、全て法福寺で維持・管理して下さっているようです。
お上人をはじめ、お檀家さんのご尽力に心から感謝します。



さて、この地で一週間、風待ちをされた日蓮聖人は、10月27日に佐渡に向けて船出されました。

・・・実はここからもうひと波乱あったようです。次回を待て!