日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

吉祥山日朝寺(上越市寺町)

2018-11-01 22:52:39 | 旅行

佐渡から柏崎に着岸された日蓮聖人は、難所の米山峠を越えてゆかれました。



無事、峠越えを果たし、柿崎で休憩されたようです。
(↑画像は柿崎の妙蓮寺)


そして一気に歩を進め、越後国府(現在の上越市)に到着しました。

奥に見える山が米山です。修験道の行場でもあったそうですよ。



高田藩の城下町計画の名残りでしょうか、現在のJR高田駅の西側には夥しい数の寺院が集まっています。



地名も寺町というそうです。ちなみに各寺院とも広い駐車場を設けていないので、付近の寺町駐車場(無料)を利用するのが良いと思います。



この寺町に、日蓮聖人の逸話が残るご霊跡があります。



日朝寺です。
「大毘沙門天王」って刻まれてますね。



ああ、こういう説明が一番簡潔でわかりやすい!
「文永十一年三月十六日 高祖大士 自佐州 歸子相之鎌倉中路 天出迎之霊地」
「佐州」は佐渡のこと、「歸」は帰の旧字のようです。



山門です。
太い木材を用いた、重厚な造りです。



本堂です。
赤い帽子を載せたようなお堂です。



この部分、「大棟(おおむね)」って言うんですよね!こちらのような寄せ棟造りでも、チョコっと大棟が付いてます。


わ~、ここにも由緒が簡潔に書かれてる。

「文永十一年 彌生半出迎福天」
・・・彌生半・・・?とにかく福天がお出迎えしてくれたんだね。



「歸倉日蓮大菩薩御止宿霊場」
お~、お祖師様はこちらにご一泊されたんですね!



本堂の隣に、とても立派なお堂がありました。
毘沙門堂だと思われます。

このお寺には日蓮聖人と毘沙門天にまつわるお話が残っているそうです。



日蓮聖人が越後国府の町に入られたときに、子供が目の前に現れ、日蓮聖人の荷物を持ってくれたそうです。
そして吉祥房というお寺に案内したといいます。



お寺に入ると、その子供の姿は見えなくなってしまったそうです。



みんなで探し回りました(子供と荷物の行方がわかんなくなっちゃったんですからね!)。
そしたら毘沙門天をお祀りしてある場所に、日蓮聖人の荷物と、子供の泥の足跡が残っていたそうです。



子供は佐渡からの難路をやって来る日蓮聖人を待っていた毘沙門天の化身に違いない、ということなりました。
のちに法塔にも刻まれているように「出迎え毘沙門天」と呼ばれ、越後国府の界隈では大変な信仰を集めたそうです。



お寺は真言宗でしたが、住職はこの晩を境に改宗して吉祥阿闍梨日朝上人となり、お寺も吉祥山日朝寺と改めました。



越後の戦国武将・上杉謙信の軍旗が「毘」であるのは有名な話ですが、実は謙信も日朝寺の出迎え毘沙門天を深く信仰していたからなのです。



上杉謙信の居城・春日山城の中にも、毘沙門堂が設けられ、出迎え毘沙門天の複製をお祀りしていたそうです。確か日朝寺の毘沙門天を修復した時に出た木片を胎内に納めているんじゃなかったかな?
現在の城跡にも、毘沙門堂が再現されていましたよ!

上杉家が会津に移封され、更に関ヶ原で西軍に付いたせいで米沢に移された際には、日朝寺も共に移転しちゃったのだそうです。
だから米沢市には今も日朝寺(日蓮宗)が現存します。



じゃあ、今上越市にある日朝寺は・・・?


日蓮聖人が依知から佐渡へ向かう途次、海沿いの村で住民に乞われて掘った井戸(出雲崎と寺泊の間にあります)

この「お手堀りの御井戸」は江戸時代に村田妙法寺の20世、日鋭上人が再興されたご霊跡と聞きました。

上越の日朝寺は、この日鋭上人が力を尽くして再建したのだそうですよ。感謝、ただ感謝です。



ちなみに日鋭上人の御廟は御井戸近くの妙本寺にあります。



日鋭上人は村田妙法寺の貫首を退いたあと、ここ妙本寺に隠居されたそうです。そして62才の時、強い思いを持って自ら土中に埋まりました。土の中でも読経を続け、そして遷化されたといいます。
・・・言葉が見つかりません。合掌。


9月の日蓮宗新聞に妙本寺が紹介されていたのを思い出しました。

妙本寺は久田地区の方々に護持されてきたお寺で、護持を担当した住民が亡くなると妙本寺内に埋葬してきたそうです。
今年それら遺骨を合葬墓に納骨し、同時に日鋭上人を奉る観音様を建立した、という記事でした。日鋭上人のマインドが静かに、しかし確実に継承されているのですね!



出迎え毘沙門天のお導きで越後国府にご一泊された日蓮聖人は、翌日、鎌倉に向けて歩き出しました。
恐らく往路と同じ道を辿りながら「三月二十六日に鎌倉へ入りぬ」(光日房御書)ということになるのです。




夏の佐渡、そして秋の越後と、日蓮聖人の歩まれた軌跡を辿りました。

今まで日蓮聖人のご生涯を綴った本を何冊も読みましたが、活字の上で想像していたお祖師様の旅路と、実際に訪れた現場とでは大きな違いがあります。特に数ある法難の中でも最も遠く、最も寒く、しかも海の向こうに行かなければならない佐渡法難のご霊跡は、驚かされることばかりでした。

往復を含む過酷な法難の日々、日蓮聖人も必死だったし、お弟子信者達も必死だった。更にはのちの時代になって戦争や飢饉に翻弄されても必死でご霊跡を守った方々、荒廃しかかったご霊跡を復興させようと必死に尽力した方々・・・みんな必死で信仰を守ってきたんだな~と改めて思いました。

越後のお寺の方は、ご首題をお願いすると必ず、本堂に招いてくれました。そして必ず、お話をしてくれました。これは佐渡でも、不思議なくらい、例外なく、そうでした。
日蓮聖人がこの地に残された心を、偉大な先師達と同じく脈々と継いで下さっている・・・そう感じました。日蓮聖人と出会う旅ができた、と本当に満足しています。