佐渡・経島の岩上にお祀りされていた日朗上人像
日蓮聖人のもとへ、一刻も早く赦免の知らせをお届けしたいと上人自ら佐渡に渡った、その威徳を讃えたご尊像だと思います。
首に赦免状を掛けて読経しているお像は「師孝第一」の日朗上人らしさが表現されており、印象的でした。
日蓮聖人が龍ノ口の法難から佐渡に流されている間、日朗上人はここ鎌倉・長谷の宿谷光則邸の裏手にある土牢に収監されていたと記憶しています。
(現在は行時山光則寺の境内になっています)
日蓮聖人が依知から佐渡に発つ前日に、牢中の日朗上人に宛てしたためられた「土籠御書」には、島に流されるご自分のことよりも弟子の身を案じる強い思いが込められており、時代を超えて我々の心を打ちます。(↑画像は依知・妙純寺)
このお手紙、そして牢の中での日朗上人のお姿は、監視役の宿谷光則や看守の役人の気持ちに、変化を起こさせたようです。
でなければ日蓮聖人佐渡在島中に日朗上人が越後までやってくるなんて不可能です。
日朗上人が佐渡の日蓮聖人の無事をお祈りしたというご霊跡が出雲崎にあるそうなので、訪問してきました。
出雲崎の海岸近くには「順徳天皇御神霊御上陸地」の碑があります。
正確な由緒はわかりませんが、恐らく佐渡に流され心ならずも島で崩御された順徳天皇の御霊(お位牌なのかな・・・?)が本土に上陸されたことを記念したのでしょう。御霊に寄り添って、若き阿仏房もこの地を歩かれたのでしょうか。
出雲崎は江戸時代、北国街道の宿場町として栄えました。旧道沿いに当時を偲ばせる街並みが続いています。
旧道から山側に上がったところに、善勝寺はあります。
お寺の前には「おけさ発祥の地」の碑があります。
源平の合戦に参じ二度と戻らなかった息子達が、勇敢な死を遂げたと知らされた尼僧の母が、嬉しさのあまり袈裟法衣のままこの地で唄い踊ったのがルーツのようですよ!
善勝寺の本堂です。
江戸時代の建築だそうです。時間によってしか生み出すことの出来ない渋みが滲み出ています。
彫刻も精緻で見応えがあります。優秀な職人さんの手によるものでしょう。
山号は大覚山です。
日朗上人はこの丘に登り、海の向こうで理不尽な流刑に耐えている日蓮聖人のご無事を祈ったそうです。
丘の上にあった釈迦堂を、のちに日朗上人の直弟子である日善上人が改宗させて開いたお寺が善勝寺のルーツです。
日朗上人を開山と仰ぎ、自らは二祖になっているようです。
先ほどの土籠御書の画像は依知の妙純寺ですが、実は妙純寺を開いたのも日善上人です。
日善上人のお姿は「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも見られます。九老僧なんですね!
このお寺、ヤギを飼っているんですよ~!とっても人懐こく、僕が「メェ~」と鳴くと「メェ~」と返してくれます!
一説によると、日朗上人は(捕らわれの身でありながら)何度も佐渡に渡っていた、とも言われています。
「お師匠さま」を慕うその執念は、我々とは次元が違い過ぎますね・・・。少なくとも僕はこれまで50年の人生で、何の分野においてもこれほどのカリスマに出会ったことがありません。
現代では無理なのかなぁ・・・。
日蓮聖人のもとへ、一刻も早く赦免の知らせをお届けしたいと上人自ら佐渡に渡った、その威徳を讃えたご尊像だと思います。
首に赦免状を掛けて読経しているお像は「師孝第一」の日朗上人らしさが表現されており、印象的でした。
日蓮聖人が龍ノ口の法難から佐渡に流されている間、日朗上人はここ鎌倉・長谷の宿谷光則邸の裏手にある土牢に収監されていたと記憶しています。
(現在は行時山光則寺の境内になっています)
日蓮聖人が依知から佐渡に発つ前日に、牢中の日朗上人に宛てしたためられた「土籠御書」には、島に流されるご自分のことよりも弟子の身を案じる強い思いが込められており、時代を超えて我々の心を打ちます。(↑画像は依知・妙純寺)
このお手紙、そして牢の中での日朗上人のお姿は、監視役の宿谷光則や看守の役人の気持ちに、変化を起こさせたようです。
でなければ日蓮聖人佐渡在島中に日朗上人が越後までやってくるなんて不可能です。
日朗上人が佐渡の日蓮聖人の無事をお祈りしたというご霊跡が出雲崎にあるそうなので、訪問してきました。
出雲崎の海岸近くには「順徳天皇御神霊御上陸地」の碑があります。
正確な由緒はわかりませんが、恐らく佐渡に流され心ならずも島で崩御された順徳天皇の御霊(お位牌なのかな・・・?)が本土に上陸されたことを記念したのでしょう。御霊に寄り添って、若き阿仏房もこの地を歩かれたのでしょうか。
出雲崎は江戸時代、北国街道の宿場町として栄えました。旧道沿いに当時を偲ばせる街並みが続いています。
旧道から山側に上がったところに、善勝寺はあります。
お寺の前には「おけさ発祥の地」の碑があります。
源平の合戦に参じ二度と戻らなかった息子達が、勇敢な死を遂げたと知らされた尼僧の母が、嬉しさのあまり袈裟法衣のままこの地で唄い踊ったのがルーツのようですよ!
善勝寺の本堂です。
江戸時代の建築だそうです。時間によってしか生み出すことの出来ない渋みが滲み出ています。
彫刻も精緻で見応えがあります。優秀な職人さんの手によるものでしょう。
山号は大覚山です。
日朗上人はこの丘に登り、海の向こうで理不尽な流刑に耐えている日蓮聖人のご無事を祈ったそうです。
丘の上にあった釈迦堂を、のちに日朗上人の直弟子である日善上人が改宗させて開いたお寺が善勝寺のルーツです。
日朗上人を開山と仰ぎ、自らは二祖になっているようです。
先ほどの土籠御書の画像は依知の妙純寺ですが、実は妙純寺を開いたのも日善上人です。
日善上人のお姿は「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも見られます。九老僧なんですね!
このお寺、ヤギを飼っているんですよ~!とっても人懐こく、僕が「メェ~」と鳴くと「メェ~」と返してくれます!
一説によると、日朗上人は(捕らわれの身でありながら)何度も佐渡に渡っていた、とも言われています。
「お師匠さま」を慕うその執念は、我々とは次元が違い過ぎますね・・・。少なくとも僕はこれまで50年の人生で、何の分野においてもこれほどのカリスマに出会ったことがありません。
現代では無理なのかなぁ・・・。