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-今日の独言- センバツの甲子園
WBCでの王ジャパン優勝で湧き上がったかと思えば、高校野球の春のセンバツがもう始まっている。出場校32校のうち初出場が12校というせいか初めて眼にするような校名が多いのに少し驚かされる。センバツにしろ夏の大会にしろ、高校野球のTV中継なぞもう長い間ろくに見たことがないから、出場校一覧を眺めても、どの学校が強いのやら前評判のほども知らずまったく見当がつかない。
そういえば「甲子園」というのはなにも高校野球にかぎらず、いろんな催しに冠せられるようになって久しいようだ。高校生たちによる全国規模の競合ものならなんでも「~甲子園」とネーミングされる。これもいつ頃からの流行りなのかは寡聞にしてよく知らないが、そういう風潮がやたらひろがっていくなかで、本家本元・高校野球の甲子園が相対的に色褪せてきたようにも思われる。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<春-28>
笛の音は澄みぬなれども吹く風になべても霞む春の空かな
藤原高遠
大弐高遠集。
天暦3年(949)-長和2年(1013)、清慎公藤原実頼の孫、参議斉敏の子、藤原公任とは従兄弟。管弦にもすぐれ、一条天皇の笛の師であったという故事が枕草子に覗える。
邦雄曰く、朧夜に銀線を引くように、笛の音が澄みわたる。春歌にはめずらしい趣向である。道長の女彰子が一条帝後宮に入る祝儀の屏風歌として詠まれた。家集400余首に秀作も少なくはない。勅撰入集は27首にのぼり、死後一世紀を経た後拾遺集に最も多い。
あかなくの心をおきて見し世よりいくとせ春のあけぼのの空
下冷泉政為
碧玉集、春、春曙。
文安2年(1445)-大永3年(1523)、藤原氏北家長家流。御子左家の末裔。権大納言持為の子、子に為孝。足利義政より政の字を贈られ政為に改名したという。
邦雄曰く、春に飽かぬ心、幾年を閲しても惜春の心は変わらず余波は尽きぬ。「見し世」と「見ぬ世」、過去と未生以前を意味する、簡潔で含蓄の多い歌言葉だ。下句、殊に第四句も「見し」を省いてただならぬ余情を醸す。冷泉家の歌風を伝える碧玉集は三玉集の一つ。上冷泉為廣・三条西実隆とともに15世紀の風潮を示し、彼の作は殊に鮮烈な調べをもつ、と。
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