
―温故一葉― カナディアンファームのみなさまへ
前略
昨日、当方の忘れ物、宅配便にて受け取りましてございます。
大変お手数をかけ、また早々にお手配いただき、誠に恐縮の至りにて、心よりお礼申し上げます。
それにしても、手作りの壮大な木の家の数々、大自然に調和した偉容ともいいうる風景には感嘆しきり、驚きと溜め息とがとめどなく、心洗われ胸躍る、またと味わえぬ滞在の三時間弱、まことに貴重な時間を過ごさせていただきました。
ふとTVの番組で見かけ、ネットのサイトを訪ねれば、さまざま想像の羽はひろがり、折しも穂高や上高地方面へ小旅行の計画を立てていたところ、これ幸い、是非にも立ち寄るべしと、足を伸ばして復路をとったのでしたが、其方カナディアンファームは、幼な児にとっても、親たち大人にとっても、まこと快き別天地、心の解放区でありました。
すでに四半世紀の歳月をかけて今日の偉容を呈するに至ったこの解放区が、人々の輪の、ますますのひろがりとともに、多くの人々の心のふるさととして、ホットな火を灯しつづけられることを、遠く大阪の市街地、殺伐としたコンクリートジャングルより、心込め祈念しております。
どうもありがとうございました。
2008. 08. 21 / 林田 鉄・純子拝
旅の3日目、多分はせやん王国カナディアンファームのレストランでだったろう、幼な児が小さなポシェットを置き忘れた。車が高速に入ったところで気がついたから、いまさら引き返すわけにも行かず、高価なものでなくごくありきたりのキャラクターものなのだが、向こう様も処分に困るだろうと、電話を掛けてご足労ながら着払いで自宅宛送付を依頼した。
翌日には早々に宅配便で届いた、とそんな次第で上記の如く一枚の礼状となった。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「梅が香の巻」-29
又このはるも済ぬ牢人
法印の湯治を送る花ざかり 芭蕉
次男曰く、春三句続。名残ノ折の表十一句目、本来は月の定座だが花の座としている-定座は裏五句目-。
ここまでくると、この両吟興行の狙いがようやくみえる。野坡が表替と居直ったのも、芭蕉が、女房の親子を振舞えと助け船を出したのも、どうやら合意のうえのようだ。
「又このはるも済ぬ牢人」、じつは野坡自身の詫言だと考えればよい。先生から撰集の役目を仰せつかりながらいまだに新風工夫の目処が立たぬ、と嘆いている。それに対する芭蕉の答は、法印の花見湯治の留守居でもしていればよい-留守居には留守居の花見がある-、だ。焦ることはない、と慰めている。
これは、花の座に「花の下」-連・俳宗匠の名誉号-をうまくひっかけて、そのうちきみにも「花ざかり」がくるということを含にした、鼓舞激励のことばらしい。下五を「花時分」と作るわけにはゆかぬだろう。
とはいえ無着、無住の俳諧師が、仮にも己を「法印」になぞらえて笑いのたねにしたとも思えない。句には誰ぞの俤がありそうだが、とするとこの「牢人」は、さしづめ修行時代の宗因か。
西山宗因が京に上り主家再興のために尽力しながら、かたわら公儀「花の下」里村家に出入して連歌師となる修行を積んだのは、寛永10年から正保初年にかけての約十年間である。
「先師常に曰く、上に宗因なくむば、我々が徘徊、今以て貞徳が涎をねぶるべし」という去来抄のことばも思合せて、そう考える、と。
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