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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」
―世間虚仮― Soulful Days-15- ある朝突然に
今朝、すでに返本期限が過ぎてしまっていた李禹煥の「時の震え」-みすず書房刊-、60年代末から現代美術における「もの派」を理論的に主導してきた著者が折節に書きとめたごく短いエッセイ群の集成本なのだが、これを走り読みしていると思わず眼を釘付けにされる箇所に出会した。
「ある朝突然に」と題された一章は、16歳になった高校生の娘が自転車で通学途上、自動車に撥ねられる事故に遭うという、まさにタイトルどおりの不幸事、その顛末について綴っている。
あらましはこうだ。
朝7時、近所のおばさんから「お宅のお嬢さんが倒れています」という電話を受け、彼と妻がすぐさま現場へと駆けつければ、娘は地面に叩きつけられた蛙のように投げ出されている。強く頭を打ったようで、髪の毛は血塗れ、耳からも口からも赤い液体が溢れていて、すでに意識はなかった。
救急車で運ばれ救急治療が施されたのだが、CT検査では、頭蓋骨が大きくひび割れし、潰れた脳は腫れと酷い内出血で何処が何だか判別がつかない。医師は「最善は尽しますが72時間持つかな」と言った、という。
その夕刻、娘は少しの間だけ意識が還ったらしく、辛そうに呻きだした。妻が大声で名を呼び「しっかり、頑張るのよ、パパとママが傍に付いてるから大丈夫よ」と叫んだら、なんとかすかな声で「二人そこにいても何も出来ないじゃないか、‥誰にも出来ない‥」と。彼と妻は思わず呆然と立ち尽くすばかり。
娘はそれきり再び昏睡状態に陥った。二人はまる4日の間、眠りつづける娘のベッドの傍を離れなかった。
そして5日目の朝を迎えたが、若い生命力なのか、それとも医学の威力なのか、いくらか眼を開けるようになり、さらに7日目からは、確実に回復の兆しが見えはじめた。誰よりも医師が喜んで、自分の腕自慢と若い生命の再生力の凄さを称えながら、「光が見えてきましたよ」と、初めて明るい顔をした。
これが奇蹟というものだろうか。
意識が還って娘が真っ先に口にした言葉が、「わたしの御守り持ってきて」の一言だった。カトリックの学校だから、つねに身に着けているべきマリアのメダイユのことだとすぐ判り、「いますぐ取ってきてあげる」と、妻は羽が生えたように病室を飛び出していった。
日頃はませた文学少女のちょっぴり懐疑派だったはずの彼女、神とか宗教には強い抵抗感を抱いていた女の子が、机の引き出し奥深くにしまってあるらしいマリアを探すとは‥。
「神なんか信じていなかったんじゃないのか?」と、娘につい口を滑らせると、「じゃ、パパがわたしを助けたとでもいうの?」と,きっぱりとした口調で返されてしまった。
この瞬間、父と娘は、本来の他人同士、隔たりのある別なる存在に、還り得たのだった。
今日はRYOUKOの五七日、午後からは満中陰の法要を行った。それも概ね無事終わった、たったひとつどうにも不快事が起こってしまったけれど、これもまた我が身の不徳ゆえ避けがたき事‥。
その日の早朝、かような一文が我が眼に飛び込んでくるとはなんたる廻り合わせ。文中に見るかぎり、彼女の場合は幸いにして脳機能の後遺障害もなかったのではないか。察するに20年余り以前の事であろうが、結果において彼我の違いはあれど、奇蹟の降り来たった彼女の僥倖を慶びつつも、ひととき泣き濡れた私だった。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「炭俵の巻」-32
いがきして誰ともしらぬ人の像
泥にこゝろのきよき芹の根 重五
芹-せり-
次男曰く、打越に「地-つち-」とありまた「泥」と云ったところが気にかかるが、浄域に小流れを作り季を春-芹-と持たせた、あしらいの付である。
「何事のおはしますをば」を自ずと思ったか、「かつすすぐ沢の小芹の根を白み漬げに物をおもはずもがな」-山家集・恋-を下に敷いた作りのようだ、と。
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