
Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」
―四方のたより― 忙中閑あり
数年前に港区で借りていた事務所を引き払って以来、お水取りの頃、2月末頃からこの月末あたりまで、例年きまって私の手内職が繁忙を極める時期なのだが、そんな最中にDance Cafeの企画を入れたものだから、いつもよりきつくなると覚悟はしていたし、早めに着手すべしと心懸けたつもりだった。
ところがそんな場合にかぎって好事魔多し、手内職といってもいわゆる事務屋の仕事で、パソコン相手の明け暮れなのだが、昨年暮れにそれまで使っていたメカが突然ダウンして新機種に入れ替えた際、XPからVistaにしたのがここに至って災い、この仕事に最も要になるソフトがまともに動いてくれないことが迂闊にもいざとなって判明、しばし立ち往生といった始末なのである。
もちろんただ手を拱いていたわけではない。すぐに安上がりのXP導入機購入の手配はしたし、かたわら現状で可能な仕事は手を尽くしてやってはいる。この3日ほどなどずっと朝方まで寝ずで没頭してもきた。お蔭でまだ宵のうちというのに、疲労と睡魔で些か呆としながら、これを綴っている。肝心の新機は明日にしか揃わないし、やれることはやったしで、身から出た錆、おのれの不覚からとはいえ、ここにきて手待ちの状態だ。
忙中閑ありとくれば読書になぞ勤しめばよいようなものだが、今夜はそれほどの気力が湧こう筈もなし、ただぐっすりと眠るしかあるまい。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「花見の巻」-27
仮の持佛にむかふ念仏
中なかに土間に居れば蚤もなし 曲水
次男曰く、「仮の持佛」から「土間に居-すわ-れば」を引出し、観相の付としている。前句苦しいときの神頼みに対する冷かしと読んでもよい。
サイコロを拝んでも霊験は怪しいものだが、蚤に責められたら土間に逃げればよい、というのが含ませた意だ。「中なかに」は「むしろ」、予想とは反対の結果になることを表す副詞である。
蚤は「毛吹草」以下に晩夏の季とする。兼三夏、と。
