
―世間虚仮― インフル休校
水際作戦も功を奏さず、メキシコ発の新型インフルエンザはとうとう国内での感染が蔓延しはじめたか、大阪府と兵庫県は学校封鎖に踏み切った。
大阪府は府下の中高全校を今週いっぱい休校の措置、大阪市では中高ばかりか小学校も幼稚園も。
降って湧いたような緊急措置で、帰ってきた子を迎える羽目になったこちらは、突然一週間の子守を押し付けられた格好で些か狼狽気味で、はてさて困った、毎日どうやって過ごしたものか思案投げ首である。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「灰汁桶の巻」-28
うそつきに自慢いはせて遊ぶらん
又も大事の鮓を取出す 去来
次男曰く、句意ならびに前句とのつながりは説くまでもないが、虚には相応の実が要る、と読ませる合せ技に俳がある。
話を聞く側の伸ばしと見てもよし、ほらふきの向付と読んでもよい人情二句だが、とっておきの嘘を聞かせる-聞いてやる-ためにとっておきの実をふるまう、と笑わせる「又も大事の」のがうまい。「鮓」は熟-なれ-鮓で三夏の季、前句の「自慢」を移して秘蔵としたあしらいである。
芭蕉の「夕月夜岡の萱ねの御廟守る」は、天晴れな恋離れだが、凄々たる趣は蔽うべくもない。続くはこびも詞の縁を持回って、自ずと凝りを生じた。これは、もとをただせば、去来が仕掛けて野水が扶けた思い種の転合が過ぎたからだ。「うそつきに自慢いはせて遊ぶらん」「又も大事の鮓を取出す」は、はこびの凝りをほぐし、流れを変えるための自賠の苦心だ、というところがみそである。
まず野水がほら話にすりかえ気塞ぎを崩せば、去来がくつろぐ体の作りで実情を取り戻している。身から出た、この錆落しも俳になる。ここまで読むと、「うそつき」の取り出しは鉄気水の渋抜きの工夫だった、ということにも気がつく、と。
