―表象の森― 神の出遊
遊とは、この隠れたる神の出遊をいうのが原義である。それは彷徨する神を意味した。
遊、その字形は、旗をもつ人の形にしるされているが、旗は氏族の標識であり、氏族の霊の宿るもの。
旗を掲げて行動するは、その氏族神とともに行動することであり、あるいは氏族神そのものの出行とも考えられる。それが遊であり、遊とは神の出行である。
旗棹上部に、吹き流しとして添えられているものを、偃遊-えんゆう-という。わが国の「ひれ」というものに近いと思われるが、神の宿るところはこの吹き流しの部分にあったようだ。中国では旒-リュウ-という。この垂れ衣に、日月交竜、熊虎鳥隼亀蛇などの画文を加えた。
ひれは領巾、肩衣としるすように、肩や襟元に着ける長いきれである。もとより呪符として用いるもので、松浦佐用姫の領巾麾-ひれふり-の伝説-佐用姫が、朝命を奉じて海を越えて使する佐提比古-サデヒコ-との別れを惜しんで山に登り、離れゆく船を望んで、領巾を脱ぎこれを麾-まね-いた-も呪布としての信仰にその運命を托したことを示している。
松浦懸佐用姫の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつをらむ -万葉集868
海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫 -万葉集874
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「灰汁桶の巻」-36
糸桜腹いつぱいに咲にけり
春は三月曙のそら 野水
次男曰く、挙句。段々と白んでくる空の景色に目を付けたところ、枝垂れ桜の花の色にも、裾拡がりの風情にもよく映る。
匂の花から起す春は二句続でよい。巡では去来に当るが、花の座を譲り、入替って野水がつとめている、と。
「灰汁桶の巻」全句
灰汁桶の雫やみけりきりぎりす 凡兆 -秋 初折-一ノ折-表
あぶらかすりて宵寝する秋 芭蕉 -秋
新畳敷ならしたる月かげに 野水 -秋・月
ならべて嬉し十のさかづき 去来 -雑
千代経べき物を様々子日して 芭蕉 -春
鶯の音にたびら雪降る 凡兆 -春
乗出して肱に余る春の駒 去来 -春 初折-一ノ折-裏
摩耶が高根に雲のかゝれる 野水 -雑
ゆふめしにかますご喰へば風薫る 凡兆 -夏
蛭の口処をかきて気味よき 芭蕉 -夏
ものおもひけふは忘れて休む日に 野水 -雑
迎せはしき殿よりのふみ 去来 -雑
金鍔と人によばるゝ身のやすさ 芭蕉 -雑
あつ風呂ずきの宵々の月 凡兆 -秋・月
町内の秋も更行明やしき 去来 -秋
何を見るにも露ばかり也 野水 -秋
花とちる身は西念が衣着て 芭蕉 -春・花
木曽の酢茎に春もくれつゝ 凡兆 -春
かへるやら山陰伝ふ四十から 野水 -雑・春 名残折-二ノ折-表
柴さす家のむねをからげる 去来 -雑
冬空のあれに成たる北颪 凡兆 -冬
旅の馳走に有明しをく 芭蕉 -雑
すさまじき女の智慧もはかなくて 去来 -雑・秋
何おもひ草狼のなく 野水 -秋
夕月夜岡の萱ねの御廟守る 芭蕉 -秋・月
人もわすれしあかそぶの水 凡兆 -雑
うそつきに自慢いはせて遊ぶらん 野水 -雑
又も大事の鮓を取出す 去来 -夏
堤より田の青やぎていさぎよき 凡兆 -夏
加茂のやしろは能き社なり 芭蕉 -雑
物うりの尻声高く名乗すて 去来 -雑 名残折-二ノ折-裏
雨のやどりの無常迅速 野水 -雑
昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ 芭蕉 -雑
しよろしよろ水に藺のそよぐらん 凡兆 -雑
糸桜腹いつぱいに咲にけり 去来 -春・花
春は三月曙のそら 野水 -春
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