山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

トンネルをぬけるより塚があつた

2010-05-04 23:58:05 | 文化・芸術
Db07050910091

-日々余話- 丹後半島ひとめぐり

昨日と今日、夕日ケ浦の民宿に1泊しての丹後半島めぐり。
早朝に発てば日帰りだってできる丹後半島へは過去にも幾たびか来ている。日本三景の天橋立は素通りしてひとまず舟屋の町こと伊根町へ、

此処には懐かしい想い出がある。20歳の夏だから大学の2回生、高校の演劇部の合宿が此処で行われたのだが、たしかその前半だけOBとして参加した。現役の女性部員の田舎がこの舟屋の町だというので、その縁を頼ってのものだった。往きは宮津から船でこの舟屋の町に渡ったのだが、舟屋の群が建ち並ぶ桟橋に着いた時の光景は今でも記憶に残る。

その懐かしい光景をまざまざと蘇らせたくなって、舟屋めぐりの遊覧船に乗ってみた。所要時間は30分位だったが、ぐっと舟屋の近くまで寄せてくれるのかと期待したのにみごとに当てが外れて、ちょっぴり落胆。
このあたりを車を走らせていて気がついたのだが、舟屋の集落一帯が平田と称されているのには驚かされた、というのも件の女子部員が平田姓だったからだ。

05041
Photo/伊根町の舟屋

経ヶ岬付近の展望台で車を停め、海や岬を見ながら暫時休憩。
次に立ち寄ったのが間人の港、港を一望できるブルータンゴという喫茶店で軽い昼食タイム。

05044
Photo/間人の港

鳴き砂の琴引浜は、以前にも立ち寄ったことがあるので今回はパス。さらに西へと車を走らせて五色浜へ-、岩場の磯が日本海の荒波に浸食され生まれた自然の造型。子どもにはこういう所がいい、結構時間持ちがした。

05045
Photo/五色浜

そして、まだ時間が早いが、夕日ケ浦の宿へ。此処で泊るのは初めてだが、来てみて気がついたのは、嘗ては浜詰海岸と呼ばれていたのが、80年代、新しい温泉の発掘を機にこれを夕日ケ浦温泉と名づけて、夕陽の美しい温泉場としてブームとなってその呼称のほうが全国に知られるようになった、ということ。

その日本海に沈む夕陽は、ちょうど食事時と重なって見ることは叶わなかったが、とっぷりと暮れてから、浜辺を散策した。夜は早く寝た、ひさしぶりにたっぷりと寝たので、早朝の散歩が清々しかった。
宿を出たのは9時半頃か、久美浜の内海を反時計廻りにぐるりと走って、海辺のレストランでのんびりとモーニング珈琲。

05042
Photo/小天橋を望む久見浜湾

そして関西花の寺7番札所とかの如意寺に-、名の知れたミツバツツジはもう見られなかったが、レンゲツツジや九輪草が綺麗だった。

05046
Photo/如意寺境内の片隅にある石塔

出石へと向かう途中で、豊岡のコウノトリの郷に立ち寄った。公開ケージでは14.5羽のコウノトリの姿が見られた。文化館では写真や資料が豊富に展示されており、子どもが楽しめるコーナーもあり、意外と時間を過ごせる。

05047
Photo/ケージのなかのコウノトリたち

兵庫県の竹野町や丹後半島へ来た時の、帰路の昼食処は出石が定番となったのはいつの頃からか、もうかれこれ7.8回にはなるだろう。相変わらず休日の人では凄い、次から次へと訪れては客待ちの列が並ぶが、回転も速いもので15分位で席に着けた。呼込みの小父さんに聞いたが、界隈には大小45軒の店が建ち並んで過当競争もいいとこ、休日はどの店も繁盛で結構だが、平日はさっぱりで大変なんだとか。どの店に寄ろうと850円也均一の定価なのがいい、5杯の皿そばを平らげて仕上げにそば湯を飲むとちょうど頃合いの満腹感だ。おかげで車を走らせて30分もすると必ずといっていいほど眠気に襲われる。

05043
Photo/出石のシンボル辰鼓楼

帰りの中国道は、宝塚西のトンネル付近から12キロの渋滞だったが、これを脱けるのに1時間を要しなかったのは幸い。阪高の池田線はすいすいと流れて、4時半過ぎには無事ご帰還。

―山頭火の一句― 行乞記再び -49-
2月10日、まだ風雨がつづいてゐるけれど出立する、途中千々岩で泊るつもりだつたが、宿いふ宿で断られつづけたので、一杯元気でここまで来た、行程5里、小浜町、永喜屋。

千々岩は橘中佐の出生地、海を見遙かす景勝台に銅像が建立されてゐる。
或る店頭で、井上前蔵相が暗殺された新聞記事を読んだ、日本人は激し易くて困る。‥

此宿は評判がよくない、朝も晩も塩辛い豆腐汁を食べさせる、しかし夜具は割合に清潔だし-敷布も枕掛も洗濯したばかりのをくれた-、それに、温泉に行けて相客がないのがよい、たつた一人で湯に入つて来て、のんきに読んでゐられる。

ここの湯は熱くて量も多い、浴びて心地よく、飲んでもうまい、すべて本田家の個人所有である。
海も山も家も、すべてが温泉中心である、雲仙を背景としてゐる、海の青さ、湯烟の白さ。
凍豆腐ばかり見せつけられる、さすがに雲仙名物だ、外に湯せんべい。

※句作なし、表題句は2月8日付所収の句、去来芒塚と註あり

橘中佐こと橘周太-1865~1904-は日露戦争の遼陽の会戦で戦死、以後軍神と崇められた。現在の長崎県雲仙市千々岩町に生れた。橘家は奈良時代の橘諸兄の子孫とされ、楠木正成と同族と伝えられる。

050402
Photo/橘中佐の銅像

050401
Photo/長崎県の千々岩海岸

050403
Photo/今年の2月オープンしたという日本一長い小浜町の足湯


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-