山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

こんなにうまい水があふれている

2004-11-05 11:06:33 | 文化・芸術
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学校に行けないネパールの貧しい子らのために

車椅子の詩人、岸本康弘の見果てぬ夢

松葉杖を唯一の友として
日本中をさすらい、世界中をさすらった、その果てに
なお燃え尽きない、生命の火の、その末期の住処として
世界の最高峰ヒマラヤの山々に抱かれた、ネパールの町ポカラに
貧困の子らの未来を紡ぐ、学校を建てようと


車椅子の詩人・岸本康弘氏の、この稀有な発心から、1997年に開校したネパール・ポカラの「きしもと学舎」は、全国各地から寄せられる暖かい支援のひろがりのなかで、三年前(2001)の春、ネパール政府公認の小学校となり、その名も「ネパール岸本学校」へと変身を遂げました。

ところが、ご記憶の方もいらっしゃるでしょうが2001年6月に起こった国王一家殺害事件に象徴されるように、以後の政局はまことに不安定で治安も悪化、人民戦争を標榜する反政府組織マオイストたちの行動はテロ化してきており、外務省が指定する危険区域も拡大する傾向にあり、鎮静化の兆しが見られない状況で、旅行者は激減しています。
観光産業に頼る経済は長年強いインフレ状況にあり、貧困層はますますひろがり、国土全体としても最貧国ネパールへと落ち込みつつあるなかで、ネパールの岸本学校は、岸本康弘自身の強い想いから、貧困の子どもらに完全無償で教育の機会を提供してきているのですが、現在のようなネパール情勢では、日本の支援者らとの交流の輪を広げていくことも困難で、学校の運営維持そのものも危うくなりつつあります。

岸本康弘のこの営為がボランティア活動と云うべきか否かは、ここで論じる気は毛頭ありませんが、先のイラクにおける日本人拘束事件や銃撃事件で非業の死を遂げた記者にみられるように、ボランティア活動のその最も先鋭的なところでは、つねにぬきさしならない生命を賭した闘いの場であることを、肝に銘じておきたいと思います。

因みに私は、詩人岸本康弘との私的な機縁から、ポカラの学舎設立開校の当時より、日本でのきしもと学舎の会事務局を担当し、現在に至っております。

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