山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

白露の消えにし人の秋待つと‥‥

2005-11-21 15:36:30 | 文化・芸術
050826-011-1-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-
出口探しのむずかしさ

 29日のDanceCafeに向けて先週の日曜から続けて杉谷君のピアノ演奏と共に即興をしているのだが、その昨日の稽古場に、養護学校に勤める友人が自閉症の女子生徒を伴なってやって来た。聞けば、この少女はピアノの演奏が好きで以前はよく上手に弾いていたのだが、なぜか最近はさっぱり弾かなくなっているので、我々の稽古での杉谷君の演奏が、彼女にとってなにか刺激にならないかと思ってのことだったらしい。さらには彼女が興にのってその場で演奏でもはじめれば、その演奏技量や才能のほどを杉谷君に診断してもらえれば、との思惑もあったらしいのだが、ことは自閉症の少女であるから見事にその淡い期待は外れてしまった。彼女にピアノの前に座らせ、いつもよく弾いていたという教本を杉谷君に弾いてもらい、彼女にその気を誘い出そうと試みるのだが、いくら試みても空しくその硬い殻は閉ざされたままに終わった。まこと出口探しはそんなに容易なことではないのだ。
 自閉症者で音楽に特別の才能を発揮する人の例は、大江健三郎の子息光氏の場合を引くまでもなく、意外に多いらしいという事実は私も知ってはいるが、では実際にその彼や彼女たちに、どういう場面を与えれば自由に振舞い、その隠れた才を引き出せていけるかは、おそらく個性に応じてあまりにも微妙かつ千差万別で、周囲の人間がその壁を充分に判別すること事態が非常に難しい。彼や彼女自身よりもその家族や周囲が果たさなければならないサポートは想像がつかぬほどに煩瑣なものがあるだろう。彼らの内部に埋もれ眠ったまま発揮されることのない才は夥しいほどにあるにちがいないが、それはなにも自閉症者に限られたことではなく、ヒトの無意識に潜む無辺のひろがりを視野に入れるとすれば、均しく我々のだれにも当て嵌まることであろうけれど‥。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-37>
 来む年も頼めぬうわの空にだに秋風吹けば雁は来にけり
                                 源実朝


金塊和歌集、雑。詞書に、遠き国へ帰れりし人、八月ばかりには帰り参るべき由を申して、九月まで見えざりしかば、彼の人の許に遣わし侍りし。邦雄曰く、実朝には、その時既に満27歳正月の鶴岡八幡宮における悲劇が、はっきりと見えていた。あはれ、「来ぬ年も頼めぬ」とは、彼自らの翌年の命にすら、確信が持てなかったのだろう、と。

 白露の消えにし人の秋待つと常世の雁も鳴きて飛びけり
                                 斎宮女御徽子


斎宮集、誰にいへとか。父・重明親王の喪が明けて後の作とされ、格調高く亡父を偲んだ歌と解される。邦雄曰く、雁は人の知り得ず行き得ぬ常世の国に生まれ、そこから渡っては訪れ、また春になれば還る。唐・天竺の他は別世界、別次元であった、と。

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跡もなき庭の浅茅に結ぼほれ‥‥

2005-11-19 18:09:10 | 文化・芸術
N-040828-082-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-
脳のルビコン

 われわれホモ・サピエンスの起源を探るここ数十年来の考古学はアフリカでの発掘調査を中心にずいぶん進んでいることは、時にニュースで伝えらたりする限りにおいて享受してきたものの、およそその手の知識も思考回路も乏しい私などには、それらの断片を手繰り寄せて全体像を把握することなどできる筈もなく、その努力もついぞしてこなかったが、先月末の新聞書評で内村直之著「われら以外の人類」が紹介されているのに触れ、現時点での総括的な知見を得られるものと思い手にしてみた。著者は朝日新聞社の科学医療部記者で「科学朝日」編集部なども経てきており、その職業柄か、猿人たちから多様なホモ属の系譜まで、わかりやすくまとめられており入門書としては良書といえるだろう。
 ここでわれわれが意外と知らないでいる事実をひとつ紹介しよう。ヒトの脳はとんでもなく贅沢な器官で、高カロリーのブドウ糖しか栄養にせず、体重の2%程度しか占めていないのに、消費するエネルギーは20%にもなるという。さらに新生児にいたっては、身体をあまり動かせないという事情もあるが、60%のエネルギーを脳で消費するというのだ。それほどにわれわれは脳化した動物だという訳だが、その脳の進化のためには、効率的にカロリーを補給できる「肉食」が不可欠条件だったし、数あるホモ属たちのなかで「脳のルビコン」を越え出るのに成功したのがホモ・サピエンスだった、と本書は教えてくれる。勿論、長いあいだの狩猟生活から、やがて農耕主体の定住生活へと変わって現在にいたるわれわれには、すでに肉食は絶対条件ではなくなっているが。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-37>
 跡もなき庭の浅茅に結ぼほれ露の底なる松虫の声  式子内親王

新古今集、秋、百首歌中に。平安末期、後白河院の皇女、以仁王は同母弟。邦雄曰く、第四句「露の底なる」と、魂に透き入るかの調べにて、松虫の音は際立って顕(た)つ。作者の百首歌第一には「月のすむ草の庵を露もれば軒にあらそふ松虫の声」があり、眺めはにぎやかで非凡ながら、「露の底」には及ばない、と。

 ゆく蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ  在原業平

後撰集、秋、題知らず。伊勢物語第四十五段にて、男に恋焦がれ、忍びに忍んでついに儚くなった娘のもとへとその男が駆けつけて、死者への追悼をする件りに添えられた歌である。邦雄曰く、女の死に直接かかわらず、仄かに鎮魂の調べを伝える、と。

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黒髪の別れを惜しみ‥‥

2005-11-18 17:14:42 | 文化・芸術
051023-077-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-
月夜にしか通えぬいにしえの男たち

 引き続き丸谷才一「新々百人一首」から引いての話題。王朝歌人たちの活躍した時代の男女間が妻問い婚であったのは承知だが、男は毎晩のように女の居処へ通えるものではなかったらしく、男が通うのは月夜の晩と決まっていたのだ、という。さてその理由だが、なにも月夜が明るくて安全だろうなどという訳ではなく、当時のなお呪術的な迷信深い信仰心のあらわれのようで、日が落ちきって太陽の隠れてしまった夜ともなると、本来なら忌み籠もっていなければならないが、ほのかに光さす月夜はその月の呪力によって、女の元へと忍んで通うことも許されるものと解されていた、とこれはあくまで著者の推論であるのだが、逆に、新月(=朔)の闇夜ともなれば妖怪変化の魑魅魍魎が跋扈する世界であったことを思えば、充分肯ける説である。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-36>
 鳴けや鳴け蓬が杣のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞ悲しき
                                 曾禰好忠


後拾遺集、秋、題知らず。平安中葉の人、生没年未詳。「きりぎりす」は現在のそれではなく蟋蟀(こおろぎ)と解される。二句の「蓬が杣」は蓬の群生するさまを、蟋蟀から見て、薪用に植林された杣の林に見立てたのである。邦雄曰く、爽快な初句切れ、用法の天衣無縫さ、傍若無人な嘆声はひときわ意表をつき心の琴線にも触れる。王朝秋歌の中の一奇観だろう、と。

 黒髪の別れを惜しみきりぎりす枕の下にみだれ鳴くかな
                                 待賢門院堀河


待賢門院堀河集、枕の下の蛬(こおろぎ)。後朝(きぬぎぬ)の恨み哀しみをきりぎりすの鳴き声に託した晩秋のあわれ。女の息を殺した嗚咽が耳に響く。邦雄曰く、二句までにつづめにつづめた的確な表現も快い。闇に眼を見開いて枕の下、否底の、細々と途絶えがちな虫の音を聞く姿が顕(た)ってくる、と。

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夜もすがらひとり深山の‥‥

2005-11-17 17:12:46 | 文化・芸術
N-040828-017-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

歌枕、知るや知らんや
 またも丸谷才一の「新々百人一首」を引いての話題。室町期の歌人正徹はその歌論書に「吉野山はいづれの国ぞ」と問われれば「ただ花にはよしの、もみじには竜田と読むことと思ひ付きて、読み侍るばかりにて、伊勢の国やらん、日向の国やらん知らず」と応ずるのがいい、と云っているそうな。要するに王朝歌人たちにとって、歌枕として詠まれる各地の名所旧跡の風景は、彼らの心の内にある幻視の空間で、未だ見ぬも委細構わず現実の地図の上にはないも同然なのである。
本書で丸谷は、藤原為家の詠んだ「くちなしの一しほ染のうす紅葉いはでの山はさぞしぐるらん」の解説で、この歌では「いわでの山」が歌枕だが、それが陸奥にあるとも攝津にあるとも説があり、いずれとも明らかでないとし、その考証に深入りするよりも、「いはで」の語が「言わずして」の意に通うせいで、歌の心としては「忍ぶ恋」を詠むのに王朝歌人たちに好まれ用いられたのだ、と教えてくれる。そういえば、初句「くちなしの」は四句・結句と響きあって、一首の見立てが忍ぶ恋に泣き濡れているさまにあることが判然としてくる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-35>

 夜もすがらひとり深山の槙の葉に曇るも澄める有明の月  鴨長明

新古今集、雑、詞書に、和歌所歌合に、深山暁月といふことを。槙の樹々に遮られてはっきりとは見えなかった秋の月が、やがて暁の頃ともなれば処を得て、冴え々々と映え輝く。邦雄曰く、第四句「曇るも澄める」の秀句は時として、作者の真意を曇らす嫌いもあろうか。長明特有の、ねんごろな思い入れを味わうか否かで、評価も分かれる。時間の推移によって「澄める」とは、直ちには考えにくい、と。

 影ひたす波も干潟となる潮に引きのこさるる半天の月  岡江雪

江雪詠草、浦月。戦国期16世紀末、北条家家臣、後に徳川家康に旗本として仕える。邦雄曰く、干潮時の海面に映る中空の月が、次第に干潟に変る潮の上に「引きのこさるる」とは、さすがに嘱目が人の意表をつき、細を穿っているか。表現の細やかさも、いま一歩で煩くなる寸前に止まる。結句「半天の月」がきわだって佳い、と。

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都にて月をあはれと思ひしは‥‥

2005-11-16 18:21:34 | 文化・芸術
051023-063-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

ドサクサ紛れのブッシュ来日
 昨夜から、ブッシュ米大統領が来日して小泉首相と相変わらずの日米蜜月ぶりを世界にアピールしている。そもそも此の度の邦日の日程そのものに大いに胡散臭さを感じている人も多かろう。昨日は紀宮の結婚でマスコミの報道もお目出度いニュースにシフトしているし、大半の国民がその祝賀ムードを享受しているなか、いわばドサクサ紛れに「世界のなかの日米同盟」などと高らかに謳い上げられては、露骨な作為を感じない訳にはいかない。イラク派遣延長も、牛肉輸入再開も、この来日でゴーサインとなる。イラク駐在の自衛隊のみならず、首都東京をはじめ日本の大都市もテロの標的となる可能性を本気で心配しなければならなくなってきたのではないか。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-34>
 都にて月をあはれと思ひしは数にもあらぬ遊(すさ)びなりけり
                                  西行


新古今集、羇旅、題知らず。邦雄曰く、理の当然を叙しているにも拘わらず、意表を衝かれたの思いに立ちすくむ。都における暖衣飽食平穏無事な日々の花鳥風月と、旅から旅への酷薄な環境で見る月は「あはれ」の域を遥かに超える。宮廷歌人たちはこのような「告白」に胸を搏たれ、不世出の、まことの歌人として、西行を認めたのでもあろう、と。

 忘れずも袖訪(と)ふ影か十年(ととせ)あまりよそに忍びし雲の上の月
                                 後土御門天皇


後土御門院御詠草、袖上月。室町末期、在位中に応仁の乱あり戦国の世へと。邦雄曰く、恋歌に数えても、述懐に加えてもよい思いの深さを湛えている。結句の「月」は単なる月ならず、そこには特定の人の面影が添う。文明8(1476)年、帝34歳の八月十五夜、時は応仁の乱も終りの時期であったことを考え合わせると、感慨はひとかたならぬものと察せられる、と。

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