山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

風の音にも何やかや

2010-01-19 23:47:45 | 文化・芸術
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-表象の森- 蒼海-副島種臣-の書

石川九楊の曰く「副島は、紙面を外延しない限定空間として捉え、その中に社会や世界のうごめく姿を書として表出しているように思われる」と。

また曰く「副島の<筆触>は次々と転換し一筋縄ではいかない莫大な情報を盛り込んでいる。中でも「積翠堂」や「洗心亭」の作品にみられるように、とくにきしみや、ねじれをもった筆触と、強い筆触、柔らかな筆触、しかもそれが、書きながら見直され、見直されながら書かれるといった具合に、次々と劇的に展開していく」と。

また曰く「副島は、篆、隷、楷、行、草の各体が相互に混然と入り乱れる書を描き出している。彼が各体に無頓着であったというわけではない。書の歴史的総体、総力、つまり<筆触>の総力、全力を駆使して、「世界」を描出しようと試みているのだ」と。

さらに曰く「副島の書が、近代、現代、戦後の書のステージ-段階-を胚胎し、字画を分裂、微分した果てに<書線>や<描出線>のステージを隠しているにもかかわらず、安定した書として認識されるのは、それらを<筆触>が統合しているからだ。<筆触>とは書の別名に他ならない。強靱な<筆触>=強靱な書性によってまぎれもなく書として統御されているのだ。-略- 副島は古文、篆隷楷行草という東アジア漢字文化圏の書が担ってきた歴史的なすべての手法を結集して、近代、現代の書のステージをいっきに描き出してしまっている。過去、現在、未来、そのすべての書の姿が予言的に凝縮されているのだ」と。

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副島種臣の書「神非守人、人実守神」

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-24-
1月20日、うららか、今日の昨日を考へる、微苦笑する外はない。

すまなかつた、寥平さんにも、彼女にも、私自身にも、-しかし、脱線したのぢやないそれだけまた心苦しい。

苦味生さんから来信、あたたかい、あたたかすぎる、さつそく返信、そして寝る、悪夢はくるなよ。

自分が見え坊だつたことに気付いて、また微苦笑する外なかつた、といふのは、私は先頃より頭部から顔面へかけて痒いものが出来て困つてゐる、それへデイリユウ膏を塗布するのだが、見えない部分よりも見える部分-自分からも他人からも-へ兎角たびたび塗布する。‥

※表題句の外、2句を記す


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日向ぼつこする猫も親子

2010-01-16 23:55:20 | 文化・芸術
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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

-表象の森- つづいて「石川九楊」を読む

図書館からの借本、近代書史論と副題された「書の終焉」-同朋舎刊1990-を、やっと読了。

著者は、戦後-昭和20年頃~40年代半ば-の書について、
この時期に書の表出史が明らかにするところは、書が<字画>であることを止めて<書線>へ転化したことである。言葉=文字を書き留めること、<字画>を書き留める段階を脱して、書は<書線>へと転じようとするのだ。墨象といって最初から文字を書かない作品は別にして、前衛書といっても、そこでは文字が書かれているはずだととして接近すれば、記されている文字を了解できないわけではない。むろんその臨界を突破していて題名や作者の解説なしでは判読できないものも少なくないのだが。「<書線>へ転化した」と書く意味は字画が従来通り<字画>として現れるのではなく、<書線>によって自己自身を表出しようという字画段階、つまり<書線>の編成が字画のような貌立ちで現れるのだという意味だ。

ここで<字画>と呼ぶのは、言葉に奉仕するために自己否定的ベクトルをもった字画、筆画を指し、<書線>と呼ぶのは、言葉に奉仕するよりも自己の存在を拡張しようとする方向を指す。その事実を厳密に言えば、書の歴史的誕生は<字画>とのずれをもつ<書線>の誕生を意味している。だが、現代に至るまでは、この<書線>性は<字画>性の支配下にあり、<字画>に統括されていた。言葉=文字を書いた場に、いくらかの度合<書線>性が貌をのぞかせていたのだ。ところが現代、とくに戦後、表出の尖端は文字を書いた場に同伴した書を、書=<書線>を書き表す場に文字を同伴させるという逆転を実現してしまった。書は<書線>であると短絡的に読み替えることによって、戦前とは較べものにならない多種多様な戦後前衛書は生まれた。

いったん<書線>と読み替えられた字画は、これを<運動>と<色彩>に、結構を-字画構成-を<構成>と読み替える。前後前衛書は、この解体過程を実証する実験作品群を指していると言ってもいい。

さらに、昭和40年代半ば~現在に至る書については、
およそ前衛書、戦後書の方向には、前述の<運動><図形><構成><色彩>への四つの極点に抽象化していくしかない、つまり書は影も形もなくなって、「画像」美術の一つに転化するしかないと潜在的に気づかれ始めた時期が昭和40年-1960年代半ば-頃以降ではないだろうか。60年以降、前衛書は急速に影響力を喪って失速する。書が書であることの臨界状態にあることが意識下で感じられ始めたのではないかと思われる。

書は言葉=<字画>を書くことに同伴して生まれた以上、絶えず<字画>の範疇にひきとどめようという力が根底で働いている。だが、<字画>性を感じさせる書は、その<字画>性のゆえに、濁り、臭気を放ち不徹底なステージ-段階-にとどまる。すでに書の歴史が長い年月をかけて蓄積し、臨界状態に達した<書線>性が一気に崩壊するとはとても考えられない。

現時点において、<字画>性に戻ろうとする営為は、おそらくひとつの一過性のエピソードを線香花火のように残して消え去っていく。なぜなら現在において<字画>性を復権するならば、必ず書として古風な段階に退行し、書として何事であろうとすれば、<書線>性の上に<字画>性を僭称し、偽装するしかないからだ。偽装は必ず剥がれて<書線>性を露出しようとする。<書線>性を否定しようとして再び<字画>性を偽装しようとする。書として見所をもちながら<字画>性を回復しようとすれば、必ずこの堂々めぐりの中に落ちていく。いわば、書としての魅力、書としての価値を押し上げようとすると、書という範疇から食み出していくという書の危険な臨界状態である。書という範疇に踏みとどまれば、それはもはや書の歴史が蓄積してきた書の価値を湛え圧し上げることができないという、いささかミステリアスな倒錯した事態である。

という著者は、本書「近代書史論」を西郷隆盛の書から説き始める。
西郷隆盛の書の見所は、幕末維新の壮大な熱気が伝わってくるような連綿草-次々と文字が連続している草書体の書-の書にある。「山行」の書を見てみよう。どろどろと粘りの強い線は円を圧し潰したような形でぐねぐねと蛇行する。字画は太くなり細くなり、速度は速くなり遅くなる。上から下へ、左から右へ、右から左へと強い摩擦<筆触>で字画が書かれ、はねられ、はらわれていく。書線のかすれは<筆触>の強さを暗示している。字画が綴られ連綿が続けられていく方向や角度は雄壮な変化に富んでいて決して定型的ではない。文字形もまた長く伸び短く縮み、左に傾き右に倒れ、文字の寸法は大きくなり、また小さくなり次々と姿を変えていく。文字の黒々とした印象が強くいつまでも残る。国家や国民の行く手を背負っているという時代の重力の自覚や使命感がこの種の気負った、だが上すべりのない<筆触>の中に歪力を書き込んだ存在感の強い書を作り上げるのだろうか。

西郷隆盛ら明治の元勲たち-大久保利通・木戸孝允・山岡鉄舟・福沢諭吉等-の書が誕生した時、日本書史上において初めて作者の情念が書に描き出された。書の中に情念という名の自我が躍り出たのだ。やや違った意味で、江戸期の僧、良寛や慈雲、白隠、画家・池大雅ら、いわば自由人の書の中にこれらの自我の表出は発芽していたもののいまだ開花には至っていなかった。西郷や大久保らは、その革新的意志や思想や情念をスタイル-書体-として表出することを意識的にか無意識的にか実現した。いわば書の歴史的ステージ-段階-をねじまげたのだ。書は文字をある様式に従って綴るだけのものではなくて、ねじれた<筆触>の中に情念を盛り込むことになった。この事実の中に「維新元勲の書」が大衆に熱っぽく歓迎された理由がある、と。


―山頭火の一句―
「三八九-さんぱく-日記」より-23-
1月19日、けふもよい晴れ、朝湯朝酒、思無邪。

朝湯の人々、すなはち、有閑階級の有閑老人もおもしろい、寒い温かい、あゝあゝあゝの欠伸。

濁酒を飲む、観音像-?-を買ふ、ホウレン草を買ふ。

元寛さんを訪ねて、また好意に触れた、馬酔木さんに逢うて人間のよさに触れた。

※表題句の外、14句を記す


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凩のラヂオをりをりきこえる

2010-01-13 23:47:08 | 文化・芸術
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-日々余話- 寒さにゃ弱い

寒い、寒い、今年一番の冷え込み。
泉北赤坂台に住む妹を訪ねた、その娘-姪-に少しなりともアルバイトになればと思って、岸本康弘君の詩集のデータ化の仕事を持って行ったのだが、家普請の通気がよい所為か、部屋に入っても寒い寒い。大阪市内と比べて2℃も違うまいに、室内の機密性の差は大きいか、今日あたりの冷え込みになってくると、真夏生まれの私などには、動く気力も削がれ気味となる。

今年一番の寒気は、鹿児島あたりにも積雪をもたらしたとかで、列島のあちこちで吹雪による事故を多発せしめている。

そういえば、昨年末から欧州や北米で、また中国でも、記録的な寒波に見舞われているようだが、その原因は北極震動による強い寒気放出というものらしい。

北極振動は気圧の変動により大気の流れが周期的に変化する現象だが、この冬は北極圏の気圧が高く北半球の中緯度地域は低い北極振動指数がマイナスの状態で、北極圏から放出された寒気が中緯度地域に流れて気温が低くなる一方、逆に北極周辺は気温が高い状態が続いている、のだそうな。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-22-

1月18日、晴、きのふもけふもよいお天気だつた、そして私も閉ぢ籠つて読んだり書いたりした。

夕方から散歩、ぶらぶら歩きまはる、目的意識なしに-それが遊びだ-そこに浄土がある、私の三八九がある!
また逢うてまた別れる、逢ふたり別れたり、-それが世間相! そして常住だよ。

ここの家庭はずゐぶんややこしい、寄合世帯ぢやないかと思ふ、爺さんはガリガリ、婆さんはブクブク、息子は変人、娘は足りない、等、等、等、うるさいね。

※表題句の外、5句を記す


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霙ふるポストへ投げ込んだ無心状

2010-01-12 22:02:37 | 文化・芸術
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-表象の森- 石川九楊「一日一書02」

曰く、北魏石刻書の到達点、張猛龍碑の<曜>。横画の間隔が詰まり、長い左はらいの勇壮な字。右上部は石の欠落。

曰く、小野道風の智證大師諡号勅書の<贈>。柔らかい筆先が穏やかに紙面を撫でるように進む婉曲の書きぶりは、女手-平仮名-の書法、つまり訓の姿の流入。

曰く、伝・嵯峨天皇の李僑雑詠残巻の行書体の<樹>。水平運動力を抑制した起筆強・收筆弱の垂直運動力主体で書かれ、形は縦長。

曰く、伝橘逸勢の伊都内親王願文の<深>。構成は王義之風。旁第一筆の強く打ち込まれた起筆は鳥の頭を思わせる雑体書風。日本三筆の風景。

曰く、三蹟・藤原佐理の離洛帖の<旅>。<方>は横画を最初に書き、第一画と第三画は繋ぐ。筆尖を開きひらひらと書き進む。
等、々‥。

まことに、書の表象の森は、その理法多彩にして、読んでいて尽きない愉しみがある。
本書は、'02年の元旦より大晦日までの一年間、京都新聞に連載したものに加筆したもの。
'01年、'02年、'03年と連載は3年に及んで、同工の書が3冊出版されている。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-21-
1月17日、晴、あたたかだつたが、私の身心は何となく寒かつた。

帰途、薬湯に入つてコダハリを洗ひ流す、そして一杯ひつかけて、ぐつすり寝た、もとより夢は悪夢にきまつてゐる、いはば現実の悪夢だ。

今日は一句も出来なかつた、心持が逼迫してゐては句の出来ないのが本当だ、退一歩して、回向返昭の境地に入らなければ、私の句は生れない。

※表題句は16日付記載のなかから


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ぬかるみをきてぬかるみをかへる

2010-01-09 23:56:27 | 文化・芸術
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-日々余話- ウツ、ウツ‥

昨日から鬱々としっぱなし。
まさに身から出た錆、自身の失態から連合い殿にいたくショックを与えてしまったのだから、弁解の余地もなくただしょげかえるしかない。

もう2.3ヶ月も前になるだろう、PCのHard Discに動画の記録がずいぶん溜まり込んできてしまったので、不要ファイルの削除作業をしていたのだが、どうやらその折にBack Fileと勘違いして、彼女の大事な記録、それはこの数年間における琵琶の稽古での師匠のデモテープ集なのだが、そのいっさいを削除するという大ポカをしでかしてしまっていたのだ。

昨日の朝、彼女に必要があって、ある一曲を取り出そうとしたのだが、どこにも見あたらない、そんな騒ぎのなかでやっと件の失態劇に気がついたというわけだ。

自身のミステイクが我が身にのみ降りかかってくる場合は、どんなに痛くとも、最後は諦めがつくものだが‥、
他者に降りかかり痛めつけてしまっては、こいつはどうにも救いようがない、まったくかたなしだ。

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-20-
1月16日、曇、やがて晴、あたたかだつた。

朝、時雨亭さん桂子さんから、三八九会加入のハガキが来た、うれしかつた、一杯やりたいのをこらへて、ゆつくり食べる。‥-略-

不幸はたしかに人を反省せしめる、それが不幸の幸福だ、幸福な人はとかく躓く、不幸はその人を立つて歩かせる!

‥へんてこな一夜だつた、‥酔うて彼女を訪ねた、‥そして、とうとう花園、ぢやない、野菜畑の堰を踰えてしまつた、今まで踰えないですんだのに、しかし早晩、踰える堰、踰えずにはすまされない堰だつたが、‥もう仕方がない、踰えた責任を持つより外はない‥それにしても女はやつぱり弱かつた。‥

※表題句の外、12句を記す


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