里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

入院日記ー22(まとめ)

2009年09月12日 | 日々のつぶやき
入院して、部屋に入ると、旅行で、宿泊するホテルに入ったみたいでした。

部屋は広く、設備良く、窓の外の眺めもいい。

先生、看護師さんたち、皆優しい。

男性の看護師さんも、ちらほらおられる。

以前のように、女性のみの仕事ではなくなってきている。

横の連携がよく取れている。

整形外科、普段かかっている循環器内科、麻酔科、リハビリ科、薬局(薬剤師)、医療福祉相談室、伝道室など。

毎日上げ膳、据え膳で決まった時間にお食事を頂く事が出来ました。

1日780円の食費で、1食260円。見た目は地味な食事ですが、時には、とても病院食とは思えない、はもおとしが出たり、うなぎ丼が出たりした。

毎週ではないが、火曜日の昼食に、木・金・土の昼食メニューを書いた紙が入っていて、AかBのどちらか好きな方を選択するようになっていました。

朝食は、毎日マーガリン以外のものは、すべて残さず食べました。

昼食、夕食は、頑張っておかずはほぼ食べましたが、は、毎回私には量が多すぎて、半分以上残りました。

毎日、決まった時間に、自分で作らなくて3食の食事が頂けることに感謝の気持ちでいっぱいでした。

私の近所と言う看護婦さんをはじめ、多くの看護婦さんが、個室と言う事で、話しやすいのか、病院や、病気に関係ない話などもよくして下さった。

ある時は、話が弾んで、共に笑い転げ、血圧の測定が、出来ず、「深呼吸してやり直し」等と言う時もありました。

午後6時少し前になると、「今から担当になりました○○です。よろしくお願いします」と、看護婦さんが、病室に挨拶に来られた。

「よろしくお願いします」は、こちらが言うセリフですのに。

6時で勤務交代の時間なのでしょう。

手術した日の夜は、何度も看護婦さんのお世話になりました。

「痛い」と言って、痛み止めの座薬、熱が出て氷枕をして貰い、「しんどい」と言って、寝がえりをさせて貰ったり、ベットを起こしてもらったり、戻して貰ったり、「眠れない」と言って、睡眠薬を点滴で入れて貰ったり、何度も看護婦さんの手を煩わせました。

それでも看護婦さんは、優しく対応して下さり、「また、呼んで下さったらいいですからね」と、ナースコールのスイッチがすぐ押せるように、私の手に持たせて、「ここを押して下さいね」と言って、病室を出て行かれた。

手術後、体に付けられていた機器が、ひとつづつはづされていくにつれ、だんだん楽になり、朝から晩までパズル三昧。

息子が「読むか」と言って持って来てくれたA5判の220ページほどの本も2冊読みました。

夜の9時に消灯で、寝ることになっていましたが、「個室の人は何時でもかまいません」と言われていましたので、ふだん家では、寝るのはいつも午前様でしたので、9時に眠るのはとても無理でした。

一応9時になれば、部屋のメインの電気は消して、洗面所と、ベットサイドのスタンドをつけて、早く眠くなれと言う感じで、パズルにふけっていました。

9時の消灯後に、看護婦さんが、10時半、12時過ぎ、3時過ぎと、3回懐中電灯を持って、各病室に回って来られるのですが、私は、まだ寝付いていなくて、入口の方に背を向けて、眠ったふりをしていました。

たまに、思わず、看護婦さんに気付かれて、「起こしてしまった?とか眠れないの?、眠れるお薬出しましょうか」等と言われた時もありました。

入院中に、祇園祭の山鉾巡行や、皆既日食がありました。

これらは、テレビで見ました。

 のまりは、私の事を、覚えていてくれるかなぁとずっと気にしていました。

私が入院してから、「夜まりが、寝ないで、うるさくて困る、お母さんがいないので、情緒不安定になっている見たいや」と、家族の者が、猫のために寝られないとこぼしていた。

退院して、2日ほどは、本当に私かなと言う感じで、少し距離を置いて見ていましたが、やっと3日目くらいから私にすり寄って来るようになりました。

入院中一番助かったのは、 電話が使える事でした。

普通、病院では、携帯の使用は、ダメと思っていましたが、個室の人は個室で、大部屋の人は、指定された場所で使用は出来ることになっていました。

ただし、着信音や、メールのキータッチ音は、消音状態でと言う事で使用は許可されていたのが、ありがたいと思いました。

関わって下さった大勢の方々に心から感謝いたします。

無事に良くなって退院できました。 

手術した結果、最初思っていたほどの状態ではなく、また、内視鏡検査で、関節も何事も起こっていなかった事が解り、痛い目はしましたが、結果的には、良かったと喜んでいます。

最初は、滑液嚢腫と言う事でしたが、退院証明書には、滑液包炎と書かれていました。

入院日記