宝くじよ当たれ!
男のひといき
83歳の私は妻と二人平凡な毎日を送っている。これからどんなに長生きしたとしても、20年とは生きられまい。
ならば、お迎えが来るまで欲を捨て、このまま平々凡々の日を過ごそうと、常日頃から心掛けているつもりだった。
しかし先日郵便局に行ったら、「年末ジャンボ宝くじあります」との広告が窓口に貼ってあり、私と同年代の人が「百枚くれ」と言って買って行った。
私も無意識のうちに小さな声で「30枚」と言って、なけなしの一万円札を出した。
「しまった」と思ったが、後の祭り。第一、宝くじを買うと言う行動が、未だ私の心に欲望が残っていた証拠で、まだまだ修行が足りぬと反省しきりだ。
帰宅して妻に話したら、「当たったこともないのにアホらしい」と、とりつくしまもない。こうなったら、たとえ一万円でもいい、当たって貰わねば私の立場がない。
今私は、宝くじを神棚に供え、毎日しっかり拝んでいる。
大晦日の抽選次第で、亭主としての権威を保てるかどうかの瀬戸際だ。
「神様、欲ではありません。どうか私の願いを聞いて下さい」
男のひといき
83歳の私は妻と二人平凡な毎日を送っている。これからどんなに長生きしたとしても、20年とは生きられまい。
ならば、お迎えが来るまで欲を捨て、このまま平々凡々の日を過ごそうと、常日頃から心掛けているつもりだった。
しかし先日郵便局に行ったら、「年末ジャンボ宝くじあります」との広告が窓口に貼ってあり、私と同年代の人が「百枚くれ」と言って買って行った。
私も無意識のうちに小さな声で「30枚」と言って、なけなしの一万円札を出した。
「しまった」と思ったが、後の祭り。第一、宝くじを買うと言う行動が、未だ私の心に欲望が残っていた証拠で、まだまだ修行が足りぬと反省しきりだ。
帰宅して妻に話したら、「当たったこともないのにアホらしい」と、とりつくしまもない。こうなったら、たとえ一万円でもいい、当たって貰わねば私の立場がない。
今私は、宝くじを神棚に供え、毎日しっかり拝んでいる。
大晦日の抽選次第で、亭主としての権威を保てるかどうかの瀬戸際だ。
「神様、欲ではありません。どうか私の願いを聞いて下さい」