あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

SAY NAR 蒼

2018-08-21 10:37:10 | 日記

俺の愛はお前に届かないことを知っていた。
なぜか、なぜか、なぜか、俺はわかっていた。
俺はお前の闇を愛していたはずなのに。
なのに、なのに、なのに、お前は俺から去っていった。
この胸の奥に、髑髏が住んでるみたいだ。
俺はもう何にも感動できない人間になってしまった。
嗚呼、お前が忘れられない。
お前のエクスタシーが俺をあの場所へと誘う。
エスがタクシーを運転する。
エスがタクシーを運転してお前のいるところへ。
お前の愛によって毒殺されたかった。
お前の愛はpoison。
お前の愛は食虫花。
お前の死はmineral。
お前の死は真空性。
俺はお前の死体を育てよう。
俺に愛されないと死んだお前を育てる。
お前の死体を土と肥料にし、俺は育てよう。
花を。
花を。
花を。
咲く花を。
咲く花を。
咲く花を。

 


一人のビジュアル系バンドのボーカルのHYDE似の男が、そうギター片手に熱唱していた。
真夜中に。
誰かの家の窓の前で。
ぼくはそれを通りがかったときに、偶然見掛けたんだ。
なぜだかはわからないけれど、とても胸の底が熱くなって、感動の涙が気付くとぼくの頬を濡らしていたよ。
その歌は、如何にもビジュアル系バンドの歌って感じで、語尾をセクシーに伸ばすような歌い方だったし美化されたような歌だと想ったけれど、人の心髄を激しく震わせる何かがあった。

ぼくはたった一人の彼のコンサートを斜め45℃後ろの方からずっと観賞していた。
すると突然、そこの家のドアを開けて、禿げ上がった白の薄い肌着とステテコ姿の肥えたおっさんが物凄い形相をして飛び出てきて、「どらぁ!じゃかあしい!ええ加減にせえや、おんどれ!殺すど!」と激憤して叫びながら男の襟首を思いきり掴んで後ろに引き摺った。
驚いたのが、彼はそれでも熱唱をやめなかったことだ。
熱く熱唱しながらおっさんに後ろに引き摺られてそしてサイレンを鳴らしながら到着したパトカーの中から出てきた三人の体格の良い警官にパトカーの中へと彼は熱唱しながら連れ込まれ、そして彼の姿は見えなくなった。

印象的だったのは、その肥った禿のおっさんが、明らかにバカにするような口調で「何がビジュアル系やっ」と吐き捨てるように言って家の中に入っていったことである。
ぼくはあのおっさんは、多分ビジュアル系バンドの人に、とんでもない恨みがあるんやろなと想った。

あとでこの事件の真相をぼくは知ることができた。
彼はビジュアル系バンドのボーカルとしてそこそこ人気のあるアーティストだったのだが、二十年近く愛し続けてきた女が、彼からの愛を信じなくて、他の男との間に子供を作って死んだ。
しかし彼はそれを信じようとしなかった。
その子供はその娘は、実は自分の娘ではないのかと想ったからである。
いや、彼はそれを信じた。
俺に子供がいるとわかったファンは、離れていくかもしれないと懸念した彼女が、そんな嘘を言って俺を護ろうとしたのだと。
彼は彼女の愛を信じ続けた。
現に、その幼い娘は、彼女の死んだあと彼女の父親しか引き取り手がないというではないか。
彼は何度と彼女の父親に自分が実は彼女の娘の父親なのだと確信の内に訴え続けた。
しかし父親はそれを信じようとはせず、しまいにこんなことを言い放った。
「にいちゃん、百歩譲って、あんたさんがあの子のほんまの父親やったとしようやないか。それでもなあ、わしは手渡すことはできひんわ。わしはビジュアル系バンドを遣っている男にあの子を渡すことはできひんな。男が女みたいな格好して、女みたいな化粧して、女みたいな歌い方して、あんたさんはそれでも男か。女みたいに華奢で白い肌して、そんなあんたさんにあの子を護れるはずがあらひんわ。常識を考えてみい、常識を。わしは四十年漁師を遣ってきたが、周りの男全員、あんたさんの百倍は男らしい男やった。男やったら、もっと男らしく生きたらどうなんや。なんやその指輪とイヤリングと首輪は。え?イヤリングやのうてピ、ピアスぅ?知るかあっ。なもん、どうでもええわ。何を装飾品をちゃらちゃらちゃらちゃら着けてるんや、男がみっともない。わしの前にようそんなふざけた格好で来たな、ワレ。何やその目は。何メンチ切ってるんや。しばこか?殴られたい?ワレみたいな人間に絶対に可愛い孫娘を遣れるかぁっ。あほんだら。はよ去んで、女の腐ったような面を二度と見せんでくれ。」

その娘は今年5歳になったという。
彼は自分の娘と信ずる少女に、自分の亡き彼女への愛の歌を聴かせたかったのである。
なんという感動的な話だろう。
この話を知れば、ビジュアル系バンドの書いた歌を馬鹿にする人間など、あの腐ったような性魂のおっさんくらいだろう。

そう言えば 、ぼくは好きなビジュアル系バンドの曲があった。
バンド名も曲名もわからない。
もう二十年前くらいかも知れないが、テレビで何度かそのプロモーションビデオが流れていて、とても幻想的な良い曲だと想った。
確か歌詞が、こういう感じの歌詞だった。

『花は 何処へ行ったの?
美しい(名も無き)娘が 摘んでいた。』

草原の風景のなかに佇む線の細い美しい女性的な青年が歌っている映像だった。(この曲の記憶の真相は定かではないが、ピート・シンガーの「花はどこへ行った」のカバーをしたmodern greyというバンドの「花は何処へ行った」をまたまたカバーした曲だったのかもしれない…音楽はそのままであるような記憶だが、PVとテンポが全然違う。もっと静かで暗い曲だった。それとも自分の見た夢の記憶であったような気がしている…)

花は何処へ行った

懐かしいな。94,95年くらいに聴いていたとしてぼくが13,14歳の頃だ。modern greyの曲は当時よくテレビやラジオで流れていた。
 
ぼくはまた想いだしたのだが、多分2000年か2001年の頃、LUNA SEAが解散したあとにそのギタリストであったINORANという人に惹かれて、彼の写真やインタビューが載っている雑誌を買ってうっとりと眺めていたことがあった。
彼はビジュアル系バンドの中で一番その存在感が、雰囲気がぼくを魅了した。
彼も本当に女性的な繊細さ、いや女性以上に繊細で儚げな美しさのある男性だ。
彼のソロはビジュアル系の音楽では確かなかったと感じた。
GLAYのギタリストのJIROも、radioでレディオヘッドを流したりしていたし、彼らが好きな曲はビジュアル系ではないようだ。

ぼくはこの前書いた記事がビジュアル系みたいだと馬鹿にされたが、一体あの人間はビジュアル系の音楽をどこまで知っているのだろう?
ぼくのblogもほんの少し読んだだけで馬鹿にしてくるような人間だったから、ビジュアル系の音楽もほんの少し聴いただけで判断しているのではないか。

そんな人間に、ぼくは何の魅力も感じない。
そんな人間は何一つ、成功できないだろう。

馬鹿にしたり差別するのなら、その人間をどこまでも知ろうとしなくちゃならない。

何故ならそこにある嫌悪感、差別意識とは、同属嫌悪であるからね。

ぼくはビジュアル系バンド以上のものを表現できているなんて口が避けても言わないし言う必要もない。
でもあの人間は、自分が彼らやぼく以上の人生を生きてそれ以上の表現ができているとでも想っているのだろう。

それが自分自身の価値を下げ続けることだとわかっているのだろうか?

ぼくは自分の表現を読んだ人から涙が溢れたと感動の感想をもらったことが何度かある。
あの人間は、自分にしかできない仕事によって誰かをそんな風に感動させられたことがあるのだろうか。

もしあるのなら、何故それでも他者を馬鹿にし続けるのだろう?

どちらにしろああいう人間は自分にしかできないことを一生懸命に遣り続けるなら、きっと前進できるだろう。

一生懸命に頑張っている人間を一生懸命に頑張っていない人間が馬鹿にする。と中島みゆきも歌っていたではないか。(正しくは「闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう。」である。)

あいつはきっと自分自身と闘い続けて生きていないから人のことを馬鹿にしてばっかりいるのだろう。

俺はどんなに人から俺の表現を馬鹿にされようとも、俺はたった一人で、俺にしかできない表現を頑張って死ぬまで遣り続けてゆく。

お前に馬鹿にされる筋合いなんかないよ。虚無。

お前もお前にしかできないことを死ぬ気で頑張ってくれ。
もうお前には、返信する気も完全に失せたからね。

俺はお前に何を言われようとも、決して倒れない。
神が俺を、支えてくださるから。

 

 

 

 

INORAN - Gravity ( Last Night Live DVD )

 

 この曲も俺は好きだった。実に懐かしい。こんな素晴らしい曲をあいつはきっと馬鹿にするんだろう。

作詞作曲編曲:LUNA SEA

  1. gravity
    INORAN原曲[1]。 映画アナザヘヴン主題歌に抜擢され、同時期にテレビ朝日系で放送されたドラマアナザヘヴン~eclipse~』主題歌にもなった。
    詞はINORANが書いたものにRYUICHIが補作したという。
    このシングル発売前の「START UP GIG 2000」(2000年1月1日、Zepp Tokyo)で新曲として初披露された。
    終幕後、INORANがこの曲を自身のソロライブでセルフカバーしたことがあり、その模様はINORANのライブビデオ/DVD「THE LAST NIGHT」で見る事ができる。INORANは「春に発売されたが、どっちかというと秋っぽい曲」と語っている。

 

 

 


不動明王っ子さんへ

2018-07-26 18:56:15 | 日記
またか。また、余のブログにのっけから、人様に対する敬意の糞も皆無な人間から自棄にネチネチな厭味たらしいコメントが届いたのである。
しかし、今回は、これまでと少し違う。どこが違うかと言うと、今回少し、長文のコメントである。
これまでは人を小馬鹿にしたような短文厭味コメントばかりであった。
この長文ハラスメントコメントの中に、余は余に対する、この人物の執拗な強い執着を見た。

余はとにかく、絶対に負けるわけには行かないので、これからも余に対するハラスメントに、真っ向から闘いを挑んでゆく所存である。

まず、この人物はそのハンドルネームからして、どこかアホっぽい人物である。

・コメントを書いた人
 不動明王っ子

不動明王とは、梵名アチャラナータ(अचलनाथ [acalanātha])、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊である。
この人物は、不動明王マニアであるのか、はたまた自分は不動明王の一人子であるという誇大妄想に取り憑かれた人間であるのだろうか。
どちらにしろ、どこか阿呆な自分を自分で馬鹿にしているかのような自虐的なハンドルネームである。

余は今日も、朝起きたときから落ち込んでいる。またも、6人もの尊き命が、国家によって惨殺されてしまったからである。
人間のすべてを愛する余は、ただただ悲しく、虚しい。
彼らの悲しみがどんなものであるのか、余は知りたかった。
それが知れないままに彼らが此の世を去ってしまったことに、深く虚しさを感じないではいられない。
そしてようやく酒を飲む為に夕方過ぎに起きてパソコンをONにしたら、このコメントだ。
さらに余は悲しくなり、ハートブレイクは、無礼キング♡に、なったのである。
なんと無礼なコメントであろう。
またも、「はじめまして」の挨拶すら言えない戯けた始まりで、敬意が微塵もない。



・コメント
たまに拝見させて貰ってますが
引きこもりの原因が
あまねさん自身の身勝手から生まれたんですね。

文章が幻想と理想像とビジュアルバンドが書いたような詩で美化し過ぎのような
気がしました。

仮にも本当だったとしたら
強烈な体験をされたと
思いますが

10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。



ふざけてるなあ。ほんま。たまにしか覗きに来ないくせに、何を偉そうにネチネチと厭味を連ねているのか。
一人の人間の、死にかけるほどの苦しみを、この人物は「身勝手」としか解釈できないようだ。
例えば一人の人間が人を殺してしまったとき、あらゆる要因がそこには存在している。
たった一人の身勝手で、殺人が起こることはない。
そんなことは少し考えたらわかることである。
しかしほとんどの人間は、それすらも考えようとしない。
そこが人間が生きてゆく上で、一番に大事なことであるのに。
人の苦しみを想像すること。他者の悲しみを想像すること。
それが人間にとって、一番の大切なことである。
他者の苦しみ悲しみを共有、共鳴することこそ、人間の最も深い喜びである。
でもほとんどの人間はそれをしない。それができない。
他者の身勝手さを嫌悪し、責め、自分はそのような身勝手さはないと想って生きている。
自分はちゃんと生きてるのに、あいつは生きていない。ムカつく。
そして人が一生懸命に人と生きてゆく苦痛を共鳴したいと想って書いているブログに浅薄で厭味な感想をネチネチと連ねて送信する。
相手が傷つこうが、なんとも想わない。
何故なら「身勝手」な人間だから。
自らの身勝手さで破滅したような人間を傷つけても、どうだって良い。
敬意?そんなもの必要ないでしょう。身勝手な人間に。
「はじめまして」の挨拶?なんでそんなことを身勝手な人間に対して俺がしなくてはならないのか?
俺は不動明王っ子だぞ。ふざけとったらあかんどこらぁ。どらぁ。
まるで極道である。この自分は、自分がどれほど身勝手な解釈をして身勝手な言い分を言い連ねて来ているかも気付いていない。
言いたいことゆうて、ははは、すっきりしたわ。じゃあな。つって去ってゆく人間じゃねえのぉ?こいつもどうで。
こいつもどうで、人間を傷つけてもなんとも想わない人間なんじゃねえのぉ?
俺はブログで、本名も顔写真も大量に晒しているが、こいつは何一つ個人情報を晒していない。
安全圏から、何をゆうてけつかってこましてやがるんですかぁ?
しかもこの不動明王っ子なる人物、自分の年齢さえも書いておらない。
今時ビジュアルバンドを馬鹿にしたり、時代がおかしくないか?
何故ならこの世界は、美化しすぎているようなもので溢れ返っているではないか。
それに俺は詩を書いたわけじゃないからね。あ、俺っつっちゃったけどぉ。
余はその記事で、詩を書いてないからね。
しかも余は、本当のことを書くと言ったのに、「仮にも本当だったとしたら…」ってどうゆーことですかあ?
この人間はどこまで人を信用できないのか。
本当の体験やゆうてるやんけ。どこに耳憑いてますのぉ?
耳に憑いた目で、読んでましたん?
それならまあ、しょうがないですわなあ。

「10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。」

って勿体無くないだろう?
あなたは、最も愛する恋人から腹や背中を何度と想い切り蹴られてボッコボコにされる経験をしても、十年は引き摺らないんですかね?
ははは、あなたはそうなら、それでいいじゃないですかあ。
なんでそれを余にも、当てはめてくるのですかあ?
あなたの人生じゃない。
余の人生は、余の人生だ。
なんであなたに人生勿体無いとか言われなくちゃならないんですかあ?
言い方が悪いんじゃない、言い方があなたは厭味すぎやしませんかあ?
言い方が、気色悪い。気持ち悪い。なんで人の人生、ちょっとブログ読んだだけで、人生勿体無いと、どの口がゆうてるんですかねえ?
わたしは絶対に、死ぬ迄引き摺りますよ。
本当に人間を愛しているからです。
愛しているのに、殺され掛けたんですからね。
あなたの感覚は、わたしは恐ろしいと感じます。
人が死に物狂いで苦しみ続けて生きてきたことに対して、「勿体無い」とか軽々しく平気で言えるんですからね。

あなたは相当捻くれてますよね。
虚無と良く似ています。
自分はこれこれこれだけの辛い経験を通して生きてきたが、自分はそれでも10年引き籠ることはなく頑張っている。
だのに貴女は何故頑張れないのですか?
貴女にも頑張れるはずじゃないですか。
そうあなたは言いたいわけです。
虚無の場合は、あからさまに働いていない人間に対する差別を向けてきましたが、あなたは「引き籠ることは人生の無駄である」と遠まわしにわたしに言ってるようなもんですよ。
なんでそんなことがあなたにわかるんですかね?
それは人の人生の価値を、浅はかな考えで決め付けてしまっているからです。
人はつらくとも、外に出て生きるべきだ。
多くの人はそれを遣ってるんだ。
あなたも遣るべきだ。
あなたはただの頭でっかちなんだと。
つまり他者を否定して、自分を肯定したいわけです。
そこが虚無と全く同じです。
自分を肯定して、わたしを否定する為にあなたはコメントを書き連ねて来たんです。
あなたの遣っていることが、本当に正しいと想っていますか?
わたしの苦しみが、あなたにも全く届いていないんだと想います。
ほんの幾つかの記事を読んだだけで、これほど偉そうに人にアドバイスしたり、人を馬鹿にするようなコメントを書いてくる人の言うことを、なんでわたしが聴かねばならないのでしょうか?
何故、人が一生懸命に生きていることを、「とにかく頑張れ。あなたの願う人生をがんばれ」と応援できないのでしょうか?
わたしは外に出たところで、何かが変わるわけではありません。
引き籠りを抜けたところで、何かが良くなるわけではありません。
何の根拠もないのに、そのほうが良いとあなたは決め付けています。
他者の人生を、自分の想う人生にしようと躍起になっています。
何故そうなってしまうのか、わかりますか?
これも「投影」です。
すべて「投影」です。
あなたの歩みたくない人生を、わたしが歩み続けているから、あなたにはわたしの人生が許せないのです。
わたしは自分の人生を愛しています。
だからこの今を、元恋人が与えてくれたことに心から感謝していることを記事にも書きました。
あなたにはそれが理解できなかった。
そんなはずはない。とあなたは想っているからです。
わたしが引き籠り10年歴、部屋も片付けられない、掃除もできないほどの鬱状態であるこの今を、在り難い想いで生きていることが、あなたは納得できないからです。
しかしわたしは本当に感謝しています。
この人生の御陰で、自分は完全菜食を続けることができている。
すべてに感謝しよう(感謝したい)という想いで日々苦しくとも喜びを感じて生きていられている。
ただ外に出て真っ当に働いていたなら、引き籠りを抜けたなら、それができていたとは想えません。
わたしは自分の、このわたしだけの人生を、否定したくないのです。
すべてを肯定したいのです。
それはこの世界の、すべてを肯定してゆくことに繋がってゆくからです。
あなたの言っているすべてが、本当に大きなお世話です。
ビジュアルバンドの人たちだって、一生懸命に自分の好きな詩を書いているのです。
あなたに馬鹿にする資格はありません。
人が一生懸命に頑張ってることを馬鹿にするあなたは哀れであると想います。
あなたはあなただけしか歩めない道を生きてゆけばいいじゃないですか。
わたしはあなたの娘でもないのに、なんでそんなことを言われなくてはならないのかわかりません。
何故、人と、あなたと同じようにわたしが生きてゆかなくてはならないのですか?
あなたが自分の人生に本当に満足していたなら、こんなことをいちいちわたしに言う必要はあったのでしょうか?
自分の人生に満足していないから、人の人生が気になるのではないのですか?
あなたはわたしの人生についてとやかく言うより先に、自分のすべてを肯定することに頑張ってみられてはどうでしょうか。
あなたは気が向かないのに、散歩に出たり外に出たりしているからわたしにもそれが良いと想うのでしょうか?
言っておきますが、人のそんな言葉で引き籠りが外に出られるなら、苦労もありません。
あなたのすべての言葉が、厭味でしかありません。
もっと人を、一人の人間をどこまでも深く知ろうとしてください。
すればそんな軽々しい言葉は到底相手に言えるものではありません。
わたしを悲しませる為だけに言ったのであるなら、わたしは確かに深く悲しんでいますし、あなたもこの悲しみが届くようにと願っております。

さようなら。
がんばって生きていってください。

あれから10年

2018-07-24 23:27:53 | 日記
まあこんなこと書いて彼たちが喜ぶことではないのはわかってるが俺が真の引き籠りになった理由を一度くらい詳しく述べておいても良いかなと想っている未だに虎の馬であるその日からちょうど十年目十周年だから今言ってもう二度と話したくない人類が殲滅したらもう言う必要はない誰にも誰一人知る必要はない俺の苦しみを誰が知る必要があるのだろう知りたくもない誰一人脊髄が苦しんでいて脊髄が泣いている幸せは一瞬で終り深い霧のなかで師匠の顔が見えない俺の愛する師匠こないだ7年振りに逢うて来た師匠は何故だかすごく優しかったあんなに優しい笑顔を俺にかけてもらえたことは生涯の財産罪産俺は師匠の笑顔によって罪を産み落とす聴く耳の在る者は聴いて欲しいバームクーヘンとか喰うてへんやろ



脊髄が苦しんでいて
脊髄が泣いている
幸せは一瞬で終り深い霧のなかで師匠の顔が見えない
俺の愛する師匠こないだ7年振りに逢うて来た
師匠は何故だかすごく優しかった



ぼくの師匠は作家の町田康。
同じ日に、ぼくはLEO今井にも会いに行った。
彼も元気そうで、嬉しかった。



LEOにも、不思議な深い縁を感じている。
ちょうど十年前、ぼくの人生にとって決定的な一日が、ちょうど彼の27歳の誕生日だった。
2008年7月24日。
ぼくが真に引き籠りに至る原因の起きた日だった。
あれから10年。
ぼくはその日のことを、在り難く想い返す。
当時の恋人のヤスくんに、心から感謝している。
これは嘘ではなく、本当の話である。
LEOはこんなことを知ると悲しむかもしれないが、
ぼくとヤスくんは本当に数々の修羅を乗り越えてきた恋人同士だった。
ヤスくんと付き合ったのは23,4歳の頃だったと想う。
彼とぼくの音楽の趣味は物凄く近かった。
ヤスくんも繊細なエレクトロニカが好きな人だった。
Yahooチャットの音楽カテにいた彼にぼくが気安く声をかけた。
いわゆるナンパだ。ぼくはでも真剣に生涯を共にできる恋人を探していた。
ヤスくんはぼくの年の二つ下であった。


そいで、無事にヤスくんという男米な男をその気にさせることが出来て、
ヤスくんは千葉から遥々、大阪までぼくに逢いに来てくれた。
初めて駅のなかで逢った瞬間を覚えている。
最初の印象は、「おっとこまえやなぁ」という好印象だった。
竹野内豊と、オリラジのあっちゃんと、関ジャニの錦戸亮に似ている水も滴る好い男であった。
しかし何より良かったのは、その雰囲気であった。
静かで口数が少ないのにぼくを変に落ち着かせる魅力的で不思議な雰囲気に満ちていた。
今想い返しても、ヤスくんは変にその存在自体がセクシーな男であったと想う。
ヤスくんはぼくが生涯で最も長く付き合った男であった。
といっても三年半程で終ってしまったと想う。
自分の人生のなかで一番激しい恋愛だったように想う。
ヤスくんと付き合っているなかに、二度警察沙汰になった。
生活費が苦しいと言えば、月に八万円も仕送りしてくるような優しい男を徐々に狂わせて行ったのはぼくの異常な支配欲、独占欲、嫉妬であったと想う。
ホテルでヤスくんの首をネクタイで締め付け、殺し掛けたあと、ベッドに座ってヤスくんはただ涙を落としていた。
そしてそのあと、ぼくが腕を切ろうとして割った手鏡の破片で、彼はトイレでぼくの目の前でざっくりと左腕を切った。
血がどっくどくと吹き出てきて、ヤスくんと一緒に貧血になりながら紙で押さえつけ、病院に一緒に駆けつけた。
携帯も二度壊したが、そんなことがあっても、ヤスくんはぼくを責め立てることをしなかった。
こんな男がこの世界に、どれくらいいるだろうか。
ヤスくんはしかし、時にぶちギレる男であった。
駅で自分の携帯を想い切り地面に投げ付けて携帯を粉砕させたこともあった。
ぼくは人々が奇異の目で見るなか、携帯の破片を無言で拾い集めた。
ヤスくんは酷く純真な男であった。亡き父と行ったことのある十円玉の裏の寺の宇治の平等院に一緒に行ったときは、特にぼくが何でもないと感じる景色に感動し、「すっげえ!!」と走ってって叫んだあとにまた走って戻ってきてキスしてくるような男であった。
あの時、雪が積もっていたのかな。父と一緒に平等院に行った時も雪が積もっていたように想う。
mumやSigur Rós、TarwaterとB.Fleischmannなど、ヤスくんと一緒にライヴに行った。
彼と付き合っていた時期の日記を読むと当時の自分がどんな感覚で生きていたかなんとなく感じてもらえるかと想います。
http://madaminuharu.blog31.fc2.com/blog-date-200706.html
特にある晴れた春の午後なんかは詳しく書いています。
ヤスくんの実家に、当時3ヶ月ほど暮らしていました。
彼の何年か前に生まれたヤスくんの姉にあたるお母さんの子供が、生まれて間もなく亡くなったことをずっと苦しんで来たからか、ヤスくんのお母さんも静かでヤスくんと雰囲気が似ている人でした。
わたしを娘のように感じてくれてたからか、わたしはヤスくんのお母さんも悲しませて泣かせてしまった。
わたしが大阪の実家に居た頃に職場で後仕事をしていたヤスくんに姉からのメールを装って、「こず恵は数時間前に自ら命を断ちました。」と嘘のメールを送ったことがあった。
ヤスくんは和食料理店で働いていて、夜遅くに後仕事を任されていて、そのときも職場は彼一人だった。
そのメールを読んだ彼は厨房で一人で荒れて茶碗やボウルなどが全部引っ繰り返った床にくずおれて母親の携帯に泣きながら電話した。
普段は滅多に話さない、母親のことを「あの人」と呼ぶほど冷たい関係であったのに、こんな時はやっぱり母親に救いを彼は求めたのだとわたしは後で想った。
今想いだしたが、当時の彼のメールアドレスはHoodというアーティストのアルバムタイトルの「Cold House」だった。
このアドレス名がヤスくんが自分の家庭に対して感じていた最も的確な印象だと感じた。
ヤスくんとの想いでは語り切れないが、別離と自分の人生にとっても決定的なことが起きてしまったのは2008年の7月のことである。
当時からわたしは鬱が酷く、その年の4月頃に埼玉の寮つきの仕事を辞めて、実家に戻ることも働く気力もなく、途方に暮れていたわたしを助けたのはたかしさんという男性であった。
たかしさんはわたしと一切の関係を持つことを求めなかったが、自分の結婚の為の資金をわたしの為に使ってレオパレスを千葉で借りてくれた。
そしてその頃、わたしは一人でたかしさんの借りてくれたレオパレスに一人で住み、無料で観れるようになっていた衛星の音楽チャンネルを日頃からぼんやりと観て過ごしていた。
そこにわたしと同学年であるLEO今井の「TAXI」が流れた瞬間、「UUUUS!!!」っつって衝撃を受け、鬱なのになんだかものすごいパワーを貰った気がして、わたしはLEO今井のことが気になってしかたなくなった。
そしてヤスくんがわたしの住むレオパレスに来たときに、一緒にLEO今井のPVを観て(最初に観たのは「TokyoLights 2(東京電燈其二)」だったと想う)、ヤスくんもLEOの音楽を気に入ったようで近々逗子の砂浜のライヴハウスでライヴがあるから、一緒に行こうかという話になって、確かヤスくんがチケットを買ってくれたと想う。
しかし7月18日当日、ヤスくんは予定があるから早くに帰ると言ったにも関わらず仕事を任されて断りきれず、先に一人で向っといてとメールが来たが、わたしはどうしても一緒に向かいたいと言ってヤスくんを待ち、急いでヤスくんと車と電車で駆けつけたときは既にLEOのライヴは終った後だった。
非常に残念でがっくりと肩を落とし、酒飲んでヤスくんと逗子の黄昏る海辺にいた。
するとLEOが、砂浜に普通にひょっこらと姿を現し、ここで声を掛けなければ多分後悔すると想い、わたしとヤスくんは酒の力も借りて勇気を振り絞ってLEOに声を掛けた。
LEOはいきなり知らん人間に気安く声を掛けられびっくりしていたが、駆けつけたがライヴに間に合わなかった旨を残念そうな顔で告げると彼は丁寧に謝罪をしてくれた。
そして次のライヴはどこどこである。とLEOから聴いて、ヤスくんと一緒に「絶対に行きます!」とLEOに告げたのだ。
だが残念なことに、そのライヴにヤスくんと一緒に行くことはできなかった。
なんでかというと、そのたった6日後、十年前の7月24日に、決定的なことが起こってしまったからである。
あまり詳しく話したくないのだが、察してもらいたいと想う。
これまで何度と、普通では浮気にはならない程度の些細な事柄で、自分はその都度絶望して、破壊的行動に出てヤスくんを苦しめてきた。
その朝も、わたしは彼の携帯を見て、携帯をぶっ壊した。
これまでヤスくんはずっとずっと我慢してきたが、とうとうヤスくんも壊れてしまった。
苦しいことに、わたしはその日、今まで一番激しい暴力というものを、彼から受けた。
恐ろしかったことは、腹を想い切り何度と蹴られたことである。
腹が痛くてのた打ち回り、痛い痛い痛いと叫び、マジで死ぬか、殺されるかと想った。
しかし想い返せば彼の実家に住んでいたときは首を変な声が出るまで締め付けられたこともあった。
それでも今回は、何かが決定的に違うとわたしは想った。
ヤスくんは謝ることなく、仕事へ向った。
一人絶望的にレオパレスの部屋に残されたわたしは想いだすのだった。
うわ、今日って、そういやLEOの誕生日やんけ。
なんでよりによって…この日なの…
わたしはそれからいつも、その日を想い返しては想うのだった。
あの日の絶望が、わたしが真の引き籠りになる決定的な原因であり、あの日はLEOの誕生日だった。
彼との不思議な運命的な縁を感じずにはおれない。

ヤスくんと正式に別れた(わたしから振った)のは、確かその年の11月か12月であった。
わたしはここ(千葉のレオパレス)を出て、たかしさんの近くに住むとメールを送った。
その日、ヤスくんは仕事帰りに何度もチャイムを鳴らし、メールに「何してるの?」と入れた。
でもわたしは寝ていて、出なかったし、起きていても出るつもりはなかった。
ヤスくんは、わたしと別れた数年後に電話で話したとき、最近鬱っぽいと話していた。
店長になって前以上に働き尽くめ(当時からブラックな労働時間であった)で過労からもあるかもしれないが、わたしとの過去も原因であるかもしれない。
(決定的なことがあった後も、Old Splendifoliaのライヴに一緒に行ったことを想いだす。ボーカルのJana Plewaにライヴ後「ビューティフルボイス」と感動を拙い英語で伝え、笑顔でサインをしてもらった。)

LEOには絶対に聴かせられないダークで落ち込ませるようなわたしの過去の話であるが、(LEOには内緒で)
良かったら最後まで読んでくださったそこの貴方。

最後にこの曲を、良かったら、どうぞ。
ヤスくんと初めて観た、彼の想いでの曲です。
もう一度言うが、こないだ、町田康師匠に会いに行った同じ日に、LEOのライヴにも行って、二人とも七年振りに会いに行けました。
本当に、心が浄化されるような心の熱く震える日でした。






LEO今井 - TokyoLights 2(東京電燈其二)
















さようなら。

2018-06-23 02:59:05 | 日記
虚無、一日おまえの返事を待ったけれども、おまえからの返事はなかった。
俺はコメントで述べたとおり、おまえたった一人の為に、二年ちょっと続けてきたこのブログをやめることにする。
それがおまえの望みなんやろ。
俺がここで働かずに自由に俺のたった一つの喜びである表現をし続けていくことがおまえにとって鬱陶しかったんやろ。
俺の唯一の居場所を、おまえは奪いたかったんだよな。
だから今まで散々、匿名や、名前をとっかえひっかえして、俺を騙して影で嘲笑ってきたんやろ。
俺はブログというもんを、多分24歳ころからずっと遣ってきたが、こんなに、これほど悪質な嫌がらせをされたのは初めてだよ。
俺がおまえに出会っていなければ、姉の猫は死ななかったのかもしれないと今でも想っている。
こんなに虚しい気持ちになったのは久々な気がする。
俺は今日、俺の人生で幸福だったときって、最後がいつやろうと想いだしていた。
あの時も、あの時も、あの時も、俺は幸福ではなかった。
すべてを打ち消していって、俺が最後に「ああ、幸せやな」と感じたのは多分14歳かそこらの時だ。
でも俺はその頃ちょうど、兄が持っていたエロマンガ雑誌の、レイプシーンの描画が頭から離れず、幸せやなと想った瞬間に、そのレイプシーンの映像が脳内に浮かび上がるという強迫観念があった。

俺がたぶん最後に「幸せやな」と感じた瞬間は14歳くらいの時であり、お父さんと、お兄ちゃんと、三人で楽しく話していたときだったと想う。
ただお父さんとお兄ちゃんと三人で、楽しく話している、それだけで俺は幸せやなと感じた。
でも次の瞬間には、それは穢れた俺の欲望に、汚されて無くなった。

俺はもうその頃から、苦しみが喜びよりずっと上回る人生を生きてきた。
だからこんな人間になってしまったのだろうか。
絶望的な気持ちで居る。
このブログでしか繋がれない人たちがきっと何人も居る。
でもそのすべてを、おまえの為に喪わなければならない。
おまえが俺と真剣に向き合おうとはしてくれんかったから。
俺はおまえの為にすべてを喪ってやる。
明日からどう生きてゆくか。何も考えていない。
おまえは俺から表現を、俺のすべてを奪いたかったんだ。
俺が死んでも、おまえは悲しまない。
俺もおまえが死んだところで、たぶん特に悲しくは無い。
精々最期まで、生きていけたらそれでいいんじゃないか。
俺もおまえも、それでいいんじゃないか。

おまえが俺に齎したものとはなんなのか。
そんなことはわからない。人間に理解できるもんではないだろう。
でも今は絶望的であり、みんなと別れることがとてつもなく寂しく、本当に虚しいばかりだ。

ひとつのブログとは、ひとつの空間であり、ひとつの世界であると感じている。
俺はそのひとつひとつの世界と別れてきた。

俺の所為で、更新しなくなった大切な人たちのブログも幾つかある。
俺の為に、終った世界だ。

今、クロゴキブリちゃんとまた遭遇して、さっき作った手作り虫捕り網で捕まえようとしたんだが、隙間に入ってって無理やった。
捕まえて外へ逃がす、ただそれだけなのに、ゴキちゃんはものすごい恐怖して逃げる。
俺はゴキちゃんが気持ち悪いという理由からこれほど恐れているが、ゴキちゃんは俺に殺されると想って怖れて脅えて暮らしている。
人間とは、本当に愚かやな。

俺が死んでもおまえは知ることができないし、おまえが死んでも俺は知ることができない。
ネット上だけの関係は、俺は本当に寂しいと想っているよ。
でも今までネットで知り合って互いに信頼を築き、相手が住所を教えてくれて手紙の遣り取りをすることのできた人もいた。
おまえとはそうはなれなかったことが残念だ。

俺は本当はこのブログをやめたくはない。
今まで俺の書いた物語を賛美してくれた人はナオさんとおまえだけだった。
二年続けて、二人の人間に物語を書く事を応援してもらえたこと、俺は十分だと想っている。
新しく他でブログを遣るときは、二年続けて誰一人からも応援されないことを覚悟して遣る。
ブログを新しく遣り始めても、嫌がらせしてくる人間に教えることはない。
おまえとは此処で終わりだ。

俺がどんな想いで、今日一日おまえからの返事を待っていたか、わかるか。
俺はほとんど今日寝ていた。
すると初めて、俺に会ってすぐに片言で「孤独?」と尋ねてきた男性が夢に現れてね。
なんか親しく話して楽しい感じの夢やった。
彼とも何か他と違う縁を感じていたのだが、彼もおまえとよく似ていて俺のむかつく嫌がらせを何度と繰り返してくるような人やった為、仕方なく関係を断った。
でもこうして離れた後も、夢に出てくるっていうのはやっぱり縁が深い人なんやろなと想ったよ。
おまえの顔を知ることができたなら、おまえも俺の夢に出てくるのかもしれない。
いや顔を知らなくとも、その人だと感じる夢はあった。

俺もそのうち死ぬし、おまえもいつの日か死ぬ。
でも死んでも続くと俺は感覚的に確信している。
だから遣り残したことがない限り、死を恐れることはない。
寧ろ大きな羽ばたきであって、この世界には存在しない希望を死後にいだいている。
俺は死後、今よりずっと苦しむだろうと想っている。
でもそれはずっと続かない。
いつかには解放され、そしてまた新たに深い苦しみを自ら求め始めるだろう。
それが俺の希望であり、この世界に、希望は無い。
俺の愛する家族は、今でもこの世界に生きているが、希望がないんだ。
兄も姉も、俺に言った。「お兄ちゃんも(お姉ちゃんも)希望なんてないよ」と。
俺の家族は、お父さんが死んだその日から、希望を喪ってしまったんだ。
苦しみや悲しみよりも、喜びが勝るということはない。
お父さんやお母さんに会えるその日まで、この世界に希望はなくていいんだ。

俺がどういう顔をして毎日を生きているか、おまえに想像できるだろうか。
本当に毎日、亡霊のような顔で生きている。
いつ見ても、生きていないような顔をしている。
表現の世界は、此方側にあるものではなく、彼方側に在るものなんだ。
俺の魂も此方側には居場所が無くて、彼方側に居場所が在るから、表現しか喜びがなくなったのだと想う。
此方側から彼方側を覗くと、彼方側は幻想の世界だが、彼方側から此方側を覗くと、此方側が幻想の世界であるんだ。
俺の魂は、もうとっくに、彼方側へ往っちまっている。
だから俺の表現に、何か反感を持たれることが、俺にとって不本意で仕方ない。
幻想の世界とは、存在しない世界ということだ。
俺は存在しない世界に生きている。
おまえが真剣に表現を遣ったとき、俺がおまえの表現に真剣に反感を覚えることはないと想う。
それは表現とはそれを遣った瞬間に、それがフィクション(架空のもの、仮の構造物、虚構、創作物)として存在していることを俺はわかっていて、フィクションに反感を覚える自分自身がフィクションであると感じている為、俺は反感を覚えたとしても、最終的におまえの表現のすべてを受け容れることができるだろうと想う。
でもそんなことをいちいち表現の前に説明してたらおもんないやろ。
みんなそれを現実だと感じるから面白いんだ。
俺が表現する全ては嘘なんだと言って表現しても、面白くない。
俺にとってはこの世界でフィクション(表現)だけが、現実なんだ。
現実に感じられているからこそ、表現にだけ喜びを感じる。
でも表現はすべて、架空のものであり、仮の構造物であり、虚構であり、創作物であることを俺はわかっている。

俺の表現において、そこにある面白さ、喜びにも度合いがある。
俺が最も面白くて喜びを深く感じるのは「物語」だ。
でもそれ以外でも、俺は「嘘」である自分を自由に表現することが面白い。
俺の嘘を表現しているのではなく、嘘である俺という存在の全てを表現しようとしている。

最近知り合った深く縁の感じる男性から、ブログを読んで様々なキャラがそこに存在していることから、一体どれが”本当のこず恵ちゃん”なのか。と訊かれたとき、俺は本当にわからなかった。
どれも本当の俺ではないと感じた。
俺は”本当のわたし”を、表現できたと感じられたときは一度も無い。

俺が町田康の「告白」を生涯のバイブルとするのも、読んでもらえればわかってもらえるかと想う。
本当に悲しい話で、悲しくてならないから何より美しくて、読んだ後もずっと、俺を感動させ続け、心髄を何より震わせ続けている小説だ。

俺はこのブログをやめたあとも、他で表現を死ぬ迄遣っていくつもりだが、おまえに俺の表現を読ませられないことは、本当に残念だ。
でもおまえの嫌がらせは、本当に悪質な為、俺はおまえに構っていると命が幾つあっても足りないと感じる。
だからといって、おまえという存在をブロックしてまで、このブログを遣り続けたいとは想っていない。
誰もが自由にコメントを書き込めるから、ブログという世界は素晴らしいんだ。
例え嫌がらせのコメントであっても、俺を騙そうとするものではなくて、真剣な嫌がらせであって、相手の苦しみが伝わってくるものであるなら、俺はむしろ嬉しかったのかもしれない。
でもおまえのコメントは、おまえの苦しみが伝わって来ず、その為、俺はずっと虚しかった。
おまえは俺を苦しめて笑っていて、俺一人だけが空回りし続けているような気分だ。
堪え難いものがあった。
おまえの嫌がらせは。
俺はこのブログをやめることが、まるで愛する我が子たちと離れ離れになるような気持ちで悲しくてたまらない。
おまえの俺と真剣に向き合う返事が来ることを俺は待っていた。
でもその返事は、とうとう来なかった。
俺が此処から完全にいなくなることを、おまえは望んでるんだよな。
おまえの望みを、俺は叶えてやろう。

俺は此処から、この世界から、今日を最期に、消えるよ。

今まで俺のブログを真剣に読んでくださった方々、ありがとうございました。
御元気で。
さようなら。






















「ぼくらはここにいてもいいんだ」

2018-06-05 19:51:06 | 日記
 
Good Timing
皆様こんにちは。変人で狂人の枠に78%入りかけていそう(?)だと想われている可能性が79%あっても可笑しくない悲喜交々理宙(ヒキコモゴモリチュウ)のあまねです。またの名を、自動生......
 

 

今晩は。このブログも始めて2年と2日が経ちました。

先月からずっと堕ちているので更新が最近は少ないですが生きています。

記事を読み返すと去年の6月4日は「エホバの証人の男性と結婚したい」などと宣言していますが、ぜんぜん行動に移せてへんやん。

情けなくもなるし悲しくもなるが、そうやってそうやってずっと自分自身と自分の人生に不満を持ち続けて死んで逝けたらええな、ええな、ええな、れえな、れれな、じけな、みずな、うまいよな。

本当に、一所懸命に独りでこつこつと孤独にこのブログで「表現」を遣ってきたのに、見ず知らずの人に厭がらせされた挙句、死に掛けたら「死ぬな」と言われ錯綜な苦しみに苦しめられて日々凹みつつ世を呪って生きています。

もうええ加減、全員、幸せになったらどうなんだ。っていう気持ちが、最高の諦めであって、絶望の全宇宙存在の幸福を祈る俺と言う絶望の境地に至る。みたいなアルバムでもあるのかな、とこのレディオヘッドの「A Moon Shaped Pool」を聴いてて感じないでもないって言えてる身にもなれよ、死ぬな。

息路とはイワン、バッテン、死ぬ菜。

これは青山真治監督の映画「ユリイカ」の役所広司がゆうた印象的な台詞である。(正確には「生きろとは言わん、ばってん、死ぬな」である)

うわ、役所広司もうお父さんの享年の62歳や。

お父さんは時代劇が好きで、役所広司が主人公の「八丁堀捕物ばなし(1993年~1996年)」とか一緒に観てたなあ。懐かしいなあ。って想いますね。わたしがまだ12歳~15歳とかで、お父さんは52歳~55歳とかの頃です。

これに出てた根津甚八もいかりや長介も死んでもうたんやなあって想って寂しくなりますね。

なんかもう、嗚呼みんな死んで逝くんやん、もうええやん。ってなりますね。

レディオヘッドの「A Moon Shaped Pool」を聴いてるとね。なんかもう、みんな死んで逝く。死んで逝くから美しくて、愛する人を喪った人もいつか悲しいままに死んで逝く、それが人間のこの上ない美しさである。

だからもう、ぼくは歌うしかないんだで。って言ってるみたいに想えてきて、悲しいけど、あっ、いいんだ、こうして悲しみにうちひしがられたまま何一つ乗り越えられず何一つ良い想い出に出来なくともいいんだ。

どんなに苦しくとも生きて逝きたい。それで十分だよ、そうだろう?

「ぼく(きみ)はここにいてもいいんだ」ってことを歌いたかったんだ。っていつか若い頃のトム・ヨークがゆうていた。

生涯の支障、失敬、我が愛する生涯の師匠である町田康も「生の肯定」という本(まだ今日読み始めたばかり)でも結句、それを表現しようとしている。

レディオヘッドの「A Moon Shaped Pool」は、やっぱ何遍聴いても、一回アルバムを聴き終わって、また、最初から聴こうとは想えないほど、寂しく、悲しいアルバムだ。

音楽は、音を楽しむと書くけれども、決してそんなことはなく、悲しくて寂しくて溜まらない曲を録音してぼくたちに聴かせて「共鳴」することを求めてくれたトム・ヨークに、心の底なしの真っ暗な深淵からも。

ぼくは共鳴しつづけて、感謝し続けている。

 

 

 

True Love Waits - Radiohead [A Moon Shaped Pool 2016] from PLK on Vimeo.

 

 

 


2025の予知夢

2018-05-17 16:22:00 | 日記

建物のなかの一つのドアを開けると資本主義に賛成する若者たちが大勢、静かに椅子に座って資本主義の素晴らしさを語る人間の講演を熱心に聴いている。

わたしは彼らの前で資本主義が如何に間違っているかを話した。

若者たちは皆一斉にこちらに首を曲げて静かに聴いている。

講演をしていた男がわたしのほうへ余裕をかましながらも迷惑そうな笑顔で近寄り、何故か手に持っていた汚れた歯ブラシをわたしに渡した。

わたしはそれを受け取ってもなお話をやめなかった。

演壇に歩き寄るとわたしは汚れた歯ブラシを台の上に置き、最後にわたしは叫んだ。

「わたしの姉も兄も働き詰めで今にも過労死しかけている。気をつけろ!」

 

場面は変わってわたしは野外の階段を上ると、そこには一滴の水滴の跡があった。

そこに姉と姉の息子が来て、姉はわたしにこう言った。

「なんでおまえもここに来たんや」

わたしは振り向くとそこには一面の水の涸れた地が広がっていた。

ここは少し前までは、広い湖だった。

「真水が足りない…海の水はまだあれほどあっても、真水が全然足りない……」

 

 

 

 

そんな夢を、今日見た。

 

 

 

 

 

 

2025年までに世界の3分の2が水不足に 国連食糧農業機関

人口増で、水不足さらに深刻に

世界中で手に入る新鮮な水は肉食のために使われている

あと25年で「30億人分の水が足りない」状況になることを報告したウィキリークスがリリースした機密文書 : 原因は世界中で進行し続ける過度な肉食

バーチャルウォーター~水を死肉に与え日本は滅亡へ向かうか~

 

 

 

 


おまえとは死んでもセックスしたくない

2018-05-02 07:54:37 | 日記



俺だってこんなこと全然おもんないよ。ただおまえが迷惑だからやってるんだよ。
おまえは自分が迷惑行為をやっておきながらなんでそんな偉そうなんだ。
で、人がその悪質な迷惑行為で死に掛けたら「死ぬなよ」ってどこまで知能の悪い人間なんだ。
確かにおまえは知能が悪い。たぶん6,7歳児くらいの知能だろう。
だからこんな面白くもないことをおまえは面白がって何遍もしてくる。
考えたら子供ってたちが悪いな。
もうおまえは面白いことを言ってこれないし迷惑だからそのうちブロックされるのがおちやぞ。
おまえはこれだけ迷惑行為をし続けながら問題は俺のほうにあるんだと棚上げ主義なんだな。
まあそんな人間はこの世に溢れ返っている。
っていうか、タイトルが「悔しい」って、おまえは悔しいから負け犬の遠吠えしかできないのか。
それで「鼻くそに対抗するなや」の「鼻くそ」はおまえ自身なのか?
俺は別に対抗してるんじゃなくて、迷惑だからやめてくれってゆうてんねん。
で、何をゆうたらやめてくれるのかって一生懸命に遣ってんねん。
おまえはある日、自分の家に帰って来て、おまえが俺に送ったのと同じような言葉だけが書かれた差出人不明の手紙が何通と入ってて、毎日のように入ってたら気持ち悪いやろ?
相手は何の恨みで遣ってるかもわからんし、どんな人間かもまったくわからない。
でも何故か相手は自分のことを知っているようだ。気色の悪いにも程があるやろ。
だからやめてくれって何遍もゆうてんねん。
おまえはこれが楽しいんか知らんが、俺は苦しいんだよ、動悸がおさまらないほどに。
それだけおまえと違って、女性の心は繊細だということだ。
繊細で脆く、弱い女である俺という女に対して、おまえみたいな野蛮な蛮人が、
言葉のレイプを行い続けていることがわかりませんか?
言葉の強姦行為をやめろ。
おまえは自分が遣ってる行為がどれだけ汚くあくどい行為かまだわかってない。
だから悔しいとか、ビックリ、とかゆうてんねん。
なにがばかあまね、じゃぁの。やねん。おまえは一人の女を甚振り散々レイプてストレスを解消させたら自分が何者であったかも言わずに俺は関係ないからねという顔して去っていく強姦魔性犯罪者と同じか。
ふざけとったらほんま痛い目合うぞ。
おまえのその業は絶対におまえから離れないからね。
おまえが死んでもおまえにいつ報いを与えるかとずっとおまえを監視しているからな。
俺はおまえの御陰で死にかけているから、おまえも俺の御陰でこの先死にかけるだろう。
これがおまえに対する預言だ。
わかったか。
本当に恐ろしいのは、これからだ。
覚悟して、生きとけ。

それからおまえ、俺に振られた男やろ。
悦べ。おまえとは死んでもセックスしたくない。
さようなら。


















きれぎれの叫び

2018-05-01 14:11:16 | 日記
ここんとこ、毎日のように動悸が激しく、目が覚めた瞬間から動悸に苦しめられている。
今朝も目が覚めて、動悸が苦しく、起きて何度か豆乳や水を飲んだのだけれども、
動悸が一向に治まらないどころか、激しくなってきて、脳から何かプチプチという嫌な音が
何度も聞えてくる始末で、これはマジで、突然死するかもしれん。
そう不安が頂点に達し、ようやく、市役所に電話を掛けた。
ケースワーカーの人に電話を掛け直してもらい、事の旨を伝えた。
そしたらば、検査のための病院に着いて行く事はできるけれども、
月曜日とかになると言われ、そんなに不安なら、救急車を呼ぶのが良いと言われた。
わたしはその前に、一応姉に連絡してみると言って、電話を切った。
姉とはもう、何ヶ月と仲直りが出来ない状態で、電話しても取って貰えないと想ったが、
一応電話して、留守電に入ったので切って、
スカイプのチャットから動悸がずっと治まらないのだが救急車を呼んだほうが良いだろうか
お姉ちゃんは車で病院に連れてって貰えないか。という旨を伝えた。
するとすぐに電話が掛かってきた。
姉は「救急車を呼びなさい」の一点張りで、何か、電話を掛けたこと自体迷惑そうに聞えた。
ほな、そうするわ。とわたしは言ったが、悲しみが爆発し、
「こずがどうなってもええん?」と泣きながら涙声で叫ぶように言った。
「こずが死んでもどうでもええん?」と言っても、
「わたしはそれどころやない。おまえを助ける余裕が今はない」という言葉を冷たく言われ、
わたしはさらに怒りの悲しみが爆発し、「今でもこずがお父さん殺したんやて想ってるん?」と
マジで大声で泣き叫んだ。
泣きながら叫んだので、言葉をちゃんと発せておらず、
姉は「なんてゆうてんのか全然わからん」と何度も言って困っていた。
わたしは何度も泣き叫び、ようやく伝わったようで、
姉は「そんなこと今なんの関係もない」と言った。
わたしはこの言葉にさらにブチギレて、それまでよりもさらに大声で泣き叫んだ。
「お姉ちゃんのその言葉(わたしのせいで父は死んだと何度と言われた言葉)でこずはずっと苦しいねん!!!」
その瞬間、電話が切れた。
わたしは自分でも吃驚したが、そのあと、やけにすっきりとし、動悸までもが、落ち着いたのであった。
そして人間というのは、やはり感情の限界に来て、感情が爆発すると、泣き叫ぶのだなとこれまで何度も
泣き叫んだ過去を想いだし、泣き叫んだのは2010年以来やな、と追懐した。
2010年、当時の恋人との喧嘩で、夜中にわたしの5階の部屋から自分のノートパソコンを下へ放り投げ、
さらには洗濯物が掛かっていた物干し竿も下へ放り投げ、それを二人で拾いに行ったとき、
彼は一緒に下まで下りてくれたものの、自分一人で拾ってきなさいとちょっと父親みたいに言った為、
わたしは悲しみが爆発し、まるで幼児のようになって「厭だーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
と泣き叫んだのである。
あのときも自分でも吃驚した。叫びながら、おいおいと自分で想いながら叫んでいたのである。
そしてあの時も、すっきりした感覚になったことを覚えている。
人間とは、泣き叫ぶことが、一気にそのストレスを解放できるようである。
しかし中には、どれほど泣き叫んでも苦しみが変わらないことも過去にあった。
ちなみにその一度は処女を失った夜のことである。
そのときなんかの苦しみに比べたら、まあしれているということである。
ここのところ、ずっと寝たきりな感じであったが、叫んだ後はこうして椅子に座って今これを打ち込んでいるのだから、
気力も上げる効果があるのかもしれない。
これからは意図的に、泣き叫んでみる、ということも遣ってみようかなと考える。
で、まだ脳内のプチプチ音は聞えてくるのだが、動悸はマシのようである。
ただもう死は、そこまで遣って来ているかもしれぬ。
それほど脳内のプチプチ音と動悸の連日は、死を予感させるものなのである。
これは完全に、精神的ストレスから来ていると考えられる。
俺の最近の最大のストレスは、何者かわからん奴の、嫌がらせ的な悪質コメントである。
おい、わかってんのか、おまえ、俺がおまえのストレスによってほんまに死んだら、
突然死の場合、俺の飼ってるうさぎのみちたは餓死することになる。
おまえは俺とみちたを殺したその罪を、負って生きるということになんねんぞ。
わかってんのか?俺のブログにふざけたコメントをする人間は、命懸けでコメントしてこい。
おまえのその罪は、おまえも殺すかもしれない。
それほど俺は、きれぎれな状態で生きている。
因果応報(因果律の法則)を、忘れるな。







その後の姉とのスカイプ



どないやねん。
人間が、わからない。














虚無へ

2018-04-30 11:33:42 | 日記


虚無、おはよう。
おまえはやっとハンドルネームをつけてきてくれたんだな。
大きな成長だ。おめでとう。
しかし良いハンドルネームだな。おまえの名前にぴったしじゃないか。
おまえは本当の虚無だから、こんなアホなことしか俺に言って来れないんだ。
「モナ御託」ってなんやねん。おまえは人に解る言葉で送ってくることもできんのか。
しかも「おまい」っておまえは2ちゃんねらーか。
あーなんか想像つくな、おまえは多分モテない30代の童貞男で嫌々仕事を頑張っているが、
それでも誰一人、自分を褒めてくれないし、愛してくれなくて孤独の限界に来て、
2ちゃんだけでは飽き足らず、ぶろぐ村の引き籠り女性ブログを片っ端から覗き、
俺のことを見下しているはずの女たちを逆に見下すことで自身を護ろうとし、
優越感をほんのちょぴっとだけ感じることで、ちょっと嬉しくなってほくそ笑んで
ほっとして寝る。ということがやめられなくなってしまった。
その引き籠り女性のなかでも一番むかのつく女「あまね」、なんやこいつ。
働きもせんで偉そうなことばっかりゆうとるで。自分は表現者だと気取って肉食者たちを
見下し非難し続けている。
おまえは自分があまねに見下された気持ちになって憤慨し、震える手と魂から俺のブログに
嫌がらせコメントを連投するようになった。
ははは、結構こたえてるみたいやわ。俺のコメントに余計に精神不安定となり、
酒浸り、あまねは毎日動機と不整脈で苦しんでいる。
やったあ!コメントしてきた甲斐もある。こんな女たちは滅ぼさねばならないのだ。
この世から。そう、俺は虚無だから、こんなことしかできないんだ。
悲しくて本当に残念だが、俺は虚無だから、
おまいにどう言われ様と、おまいをどう苦しめようと、
止める気はない。
本当に、残念だ。
虚無、おまいは自分の鏡に向かって言ってること、わかってるやろ?
なんぼアホやゆうても、そこまでのアホやない。
ふざけるな。あまね。俺はそこまでのアホやない。
そうだ、俺はたしかぁに、俺の鏡に向かってコメントしてるわ。
あー情けな。悲しい。こんな虚しいこと。やめたい。でもやめられなくて、つらい。
助けてくれ。あまね。なんで俺を振ったんだ。俺がなんとも想わん女に、
ここまで執着して嫌がらせし続けるわけないですやん。
なんでわかってくれへんの?なんで俺に優しくしてくれへんの。
俺だって表現者になってみたいんだよ。でもなかなかなれないことが残念だ。
でも俺だって頑張れば表現者になれる。あんなおもんない仕事やめて、自分の好きなことして
生きていけたなら、どんなにかせいせいするやろう。
国の制度を利用して生きることの何がいけないのか?
あんなおもんない仕事を遣って生きろという国がおかしいねん。
だって俺は国の奴隷として、家畜として生まれてきたわけやないもん。
みんな好きなことして生きたらええねん。それができん世界やから、犯罪、殺人、自殺、虐め、
最悪なことばっかし起きてるやんか。
学校に行くことが正しい、人様の為に自分の遣りたいことを我慢して生きるのが正しい、
働かざる者生きる価値なし、働かざる者は何一つ好き勝手な表現をしてはならない。
そんな社会やから、いつまで経っても進化無し。
資本主義社会によって、環境破壊は留まることを知らず、
一日150種~200種の生物が絶滅して行ってる。
人類も間違いなく、この資本主義社会によって、絶滅する。
虚無やな。何の為にここまで、文明を築き上げてきたんやろな。
何の為にあんなおもろない仕事続けて頑張って生きて、最後は絶滅。
死後の世界、無し。俺たちは消滅するのか。
あーあ、こんなことになるなら、俺もあまねみたいに自分の本当に好きなこと遣って
生きて死んだほうが良かったな。
あいつは正しかった。俺に何言われても、自分の本当に遣りたい表現だけ遣って死に腐った。
人間っちゅうのんは、本当に遣りたいことを遣ってるときが一番輝いている。
遣りたいことを遣らないで他者の為に遣ってるとかゆうても、なんも輝いてない。
自分自身を欺き、自分自身に逆らって生きてるだけやん。
それでええんか人類。絶滅すんねんぞ。
虚無、俺は絶対に虚無には陥らない。
それは俺が本当に遣りたいことだけ遣って生きて死ぬと誓ったからだ。
虚無は自分が本当に遣りたいことだけ遣って生きていないから虚無なんだ。
虚無、おまえからおもろいと言われても俺は何も嬉しくない。
俺はおまえの何倍と表現のおもしろさをわかっている。
だからおまえみたいに、人様の為とか嘘つきながら、働く気は死ぬ迄ない。
嫉妬をするな。おまえは俺みたいに本当に遣りたいことを遣って生きようとも想っていない。
こんな虚しいことを、いつまでし続けるつもりなんだ。
死ぬ迄か。おまえはそれで良くてもなあ、おまえが虚しいがために毎日おまえの食欲を満たすために
拷問にかけられて殺され食べられる家畜のことを想うと、良くないんだよ。
おまえは本当の虚無だから、自分のことしか考えられないんだ。
おまえがなんで虚無かっていうと、おまえが本当に遣りたいことだけを遣って生きていないからだ。
俺は本当に遣りたいことだけ遣って生きて死ぬと決めたから、他者の苦痛を思い遣り、
自分の欲を断つことに成功したんだよ。
虚無、俺よりおまえの生き方が正しいわけないやろう。
おまえは虚無なために、俺に妬みこんな愚かなことをし続けることしかできないのか。
ほんまに遣りたいことだけ遣って生きてくれ。
もしほとんどの人間がそうなるなら、世界は変わるんだよ。
ほんまに遣りたいことを遣って生きることは人間の一番の喜びなんだ。
それができるなら、おまえみたいに人のブログにいちいち相手を非難したり傷つけようとしたりする言葉を書き込んだりする卑小な行為はしない。
全部おまえが、本当に遣りたいことを遣って生きるのを諦め、本当に遣りたくもないことを我慢し続けて遣って生きているからだ。
だから残念だと感じるのは、ずっと俺のほうなんだよ。
わかったか。虚無。
おまえも本当に遣りたいことだけを遣って生きて、肉喰うな。
それから俺は堕落してるんじゃなくて、苦しくて感受性が深すぎて繊細なあまりに精神を病んでるだけだ。
大体人のブログに嫌がらせコメントを連投してくる時点で、おまえの堕落度は凄まじいやろ。
少なくともおまえよりは堕落していない。俺は全世界の存在がとにかく本当の幸福へ向うようにと
日々祈って応援し続けて生きているんだよ。
おまえそれが出来ていないがために、こんな愚かなことを俺に対してし続けてきていることがわからんのか。
ほんまの”堕落”とは、動物たちの苦しみを省みようとすることなく己れの欲に負けて大量殺戮することも正しいと嘯くことだ。
でも俺のこの記事の言葉の全てが、ほんまに虚しい。
おまえが虚しいばっかりに、俺もほんまに虚しいよ。
わかったか、そうやって虚無は、伝染して、絶滅へ向ってゆくんだよ。
おまえはそのまま死ねば良い。
俺もこのまま死ぬから。

本当の虚無とは、もう二度と、戻れない場所だ。




























わたしはあなたの御飯じゃない。

2018-04-25 21:41:08 | 日記
よく若くない女性を、"賞味期限切れ"と表現する人を見掛けるが、考えれば考えるほど、嫌な気持ちになる。
女性とはその人にとって、食べ物や飲み物であるのだろうか。
その人は自分の母親も、年を取ると賞味期限切れと感じるのだろうか。
その人は、人肉食者であるのだろうか。
佐川一政さんが言うのなら、良いが、人肉食者でない人間が、女性を賞味期限切れと呼ぶのは本当に厭な気持ちになる。
その人は女性を食べるために殺し、解体してその肉を喰らうのであらうか。
多分違うだろう。でも妄想の中では遣っている可能性はある。
何にしても、厭な気持ちになる。
でもその人は、そんなことを考えずに発言しているのかも知れない。
しかし賞味期限という言葉は、食べ物や飲み物に対して、それが美味しく食べられる期限という意味の言葉である。
その人は女性の死体を、食べたことがあるのだろうか。
もしくは女性の死体を、食べたいと想っているのだろうか。
その人にとって、わたしは家畜としか観てもらえていないのだろうか。
わたしはあなたの御飯じゃない。
そう、わたしは貴様に謂いたい。
胃痛い。貴様のアホで下らないコメントのことを考えると。
死ねや。とは謂わないが、肉を喰らうな。殺されたくないのなら。
しかし肉を喰らうのなら、貴様は殺されるだろう。
それは貴様が喰うてきたのは、家畜として生まれてきた人間であるからだ。
"わたしはあなたの御飯じゃない"
その言葉は、貴様の来世の言葉である。
貴様は来世、家畜として生まれて来、俺に生きたまま解体され、殺されて食べる運命であるならば、その時に、俺は確かに貴様の俺に言った言葉を、貴様に返してやろう。
この肉は、既に腐敗している。
"賞味期限切れ"であるから、俺は食べたくない。
それにこれは、人間ではないか。
豚という人間の死体を、食べて死んだ人間だ。
人間が人間を殺し、食べ続けている世界であるため、女性を賞味期限切れだと表現する輩がいるんだよ。
動物の世界では女性も男性も、子供も老人も、殺されたその死体を賞味期限切れだと棄てられている世界だということが、貴様にはわからないか。
貴様は必ず、いつの日か賞味期限切れだと言われ、廃棄されるだろう。
それが貴様の俺に言った言葉に対する責任というものだからだ。
でも俺は、貴様(人間である家畜)を食べ物として見ることをやめ、貴様を殺し続けることをやめたんだ。
貴様はいつまで人間を食べ物として見続けるのか。
俺がこれを書いている間にも、家畜という人間が食べ物として殺され続けている。
貴様の未来が、今、在る。
でもほとんどの人がまだ、人間を食べている。
人間の死体を、みんな食べ続け、美味しいと微笑み合っている。
貴様は眠気眼で人間の死体を食べている。
死体ばっかり喰うて、皆、脳内にウジ虫が湧いている。
貴様の遣っていることは悪魔崇拝の宗教だってこと、ええ加減気付きさらせ。
貴様の腹ン中、死体が腐乱している。
貴様は俺にとって賞味期限切れどころか、腐乱死体だよ。
ええ加減、気付きさらせ。
人間を食べ続ける肉食者たち。















「世界は悲しみで満ち溢れている」

2018-04-16 16:29:36 | 日記

わたしは2015年の9月から、Vegan(完全菜食者)ですが、だからといって”健康”であるはずはありませんよ。

今年で、引き籠りになって10年目です。

もうここ三年近く、ゴミ棄てやゲオオンラインで借りたレンタルのDVDを徒歩3分のポストに返しに行く以外はほぼ、外へ出ない日々を送っています。

おまけに酒飲みで、お酒を飲まずに寝る日は少ないです。

歯を磨くのも酷く億劫なほどの慢性的な鬱症状があるので、しっかりとした自炊が出来る日も少ないです。

どうしてもVegan対応のインスタント食品や、冷凍食品に頼りがちな食生活です。

それから、わたしは”食べる”ということ自体に、罪悪感を感じて生きてきました。

これも2003年に自分のせいで父を死なせてしまったという想いが関係していると想います。

わたしは自分自身を、脳内で顔面を至近距離からショットガンで何度と射殺処刑しても、赦せないほどに自分自身を誰より憎み続けています。

食べること自体が、苦痛なのです。どんなに美味しいVegan料理を食べても、心の底から美味しいと感じることが出来ません。

だからできる限り食べないで生きてゆきたいのですが、そう想えば想うほど、食べたくなり、過食して、日々罪悪感に苦しみもがいています。

わたしのこの病は、確かに”死に至る病”であると感じています。

わたしは”健康”に生きることが苦痛なのです。人と笑い合うことが苦痛なのです。楽しいと一瞬でも感じることが苦痛なのです。

Veganにさえなれば誰もが健康になれるのかという安易な考えは棄ててください。

ただ統計では肉食者よりはだいぶ死亡率が低下した結果が出ています。

ベジタリアンは長生き 肉の食べ過ぎは体に悪い

この結果を、無視はしないでください。あなた自身の問題です。

わたしはセルフェイさんの仰った「世界は悲しみで満ち溢れている」という言葉を何度と想いだし、涙が出そうです。

もうずっと、ずっと、わたしはそんな世界に生きてきたからです。

最愛の父が生きているときから、わたしの住む世界は、耐え難い悲しみで満ち溢れていました。

一人でわたしを育ててくれた父のことを、本当に愛していたからです。

愛は、人を悲しみの底に突き落とすのは何故でしょうか。

神が愛であり、愛は神であると感じます。

神は人を悲しみの底へ突き落とし、神は人を悲しみの底から救いあげる。

愛は人を苦しみの底へ突き落とし、愛は人を苦しみの底から救いあげる。

Amaneは神に問うた。

「わたしたちは、人も、動物も、悲しみと苦しみの底へ突き落としてきました。

 わたしたちは、あなたのように、彼らを悲しみと苦しみの底から救いあげることはできますか。」

「どのような”犠牲”によって。」

 

 

 

 

 

 

 

Young Magic - "Default Memory" (official audio)

 

 

 

 

 

 

 

 


どうすんのよ、俺!?

2018-04-06 18:37:43 | 日記

 

 

どうやら、まだ今月、6日だというのに、俺の使える残金が、167円となってしまった。

信じられないことだが、いや、こんなことは生まれて初めてだが、どうやら真実であるようだ。

なので、俺は、この一ヶ月間、血を吐く想いで、断食に決する覚悟で、生き延びて、見せようぞ!

うらーばっかー、あほう、おんどれ、おんどりを、愛してる。

食べるものより、酒を選んだ女、此処に在り。

あっちきはァ、食べ物より酒を選んだ女でェござんす。

酒だけでェ、この一月を、生き延びるという挑戦をしたいでありんす。

観てて、おっくんなっせぇ。我が愛する地球生命体よ!

生き延びるったら生き延びる。死ぬるったら死ぬる。

るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる。

生きるか死ぬか?瀬戸際のどん底の魑魅魍魎たちよ。

果ては屋外のがんもどき。あの日観た、溜り醤油。

黒、かった。何よりも。俺を、映してた。夜。に。

おまえと、生きて。

 

 

 

 

 

 

 


余は、雄鶏を、飼いたいん。

2018-03-28 19:52:03 | 日記

余はも、かれこれ、慢性的為る鬱症状を、十九の頃から抱えており、ええっと、今年で、十七年になるぅ。

だので、働く気がこれ一切、湧かず、生活保護費だけで生活して、早、九年。
このマンションには、2009年の11月頃から確か住んでいる。
溶質6.5畳の1Kのこのマンションは、壁が隣人の”うがいをする声”がもろに聞えるくらいの薄さという生活の苦を除外するならば、けっこー、良い物件なのである。

閑静な住宅地、レンガ造り風の外装、高級感漂うオートロック、余が入った頃、管理費と水道費含め4万7千円の家賃、これでも値下げ中であったが、今では空き部屋は家賃4万3千円とかまで下がっていた。
なんですか?この値下げ。
余は、ひっじょーーーーーーーーに、口惜しい。
だって、余の隣は、事故物件なんですよ。余がここに引っ越して2年ちょっと後に、隣の方が自死をしなすったんです。
マジで、激烈にショックで、未だに余のトラウマとして息づいている。
だのに、なんで余の部屋の家賃が4万7千円で、他の部屋は隣の事故物件合わせて皆、4万3千にまで、値下げしてるんですかー?
すっごく、管理会社に、一言、何かを言いたくなる余の心理は、きっとあなたにもあると想う。

で、それだからってわけではないんやけれども、余はこの度、劇的に、他の都市へ、引っ越したいという衝動を抑えきれなくなったので、近い将来、絶対的に他の都市へ引っ越すことになると想う。

詳しくは申せないが、都道府県も変わると想う。
その為に、市役所に引っ越したい旨を酒を入れて電話口で情けない泣き言を入れつつ、懇願したのであるが、これを市役所側は、引越し費用を出すに値しない引越し理由で在るとして、即、却下なされた。

余は悲しみに打ちのめされ、毎晩、酒に酔い痴れた。
何故なら、引っ越したい理由とは、徒(ただ)ならぬ自己の魂の奥深くから湧き出て止める術を持たぬ「雄鶏(おんどり)を飼って、愛でて生きたい」という切実為らない理由からであった為である。
雄鶏を飼いたい理由も、並大抵の理由でなく、切なる切なき我が愛なる欲情と、恋に似た、胸を熱くさせるきゅんきゅんでじんじんでごんごんな理由からである。

余は人生を懸けて、「雄鶏が飼いたい」と言っていてるのである。
これを即、5分かそこらの相談で即却下されたる余の口惜しき無念に、めげそうにもなるけれども、余は諦める術も知らないで。

市役所に引越し費用を払って戴けないのであるならば、自分で貯めて引越しすれば良い話。
余は半年以上かけてでも、自分で貯めて、絶対に雄鶏を飼える環境の古い一軒家に、引っ越すと近い将来の目標を立てた。

余は我が人生を、懸け、絶対に雄鶏を飼って生涯懸けて育てることを。
我が愛するリチャード(雄鶏の名前)へ。
夢のなかで、約束したような、気ィがするのであった。

 

 

 

我が愛するリチャード

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余のオンライン家計簿うきうき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


婚活女たちよ、気をつけろ!!!

2018-03-23 17:00:31 | 日記

悲しいことに、つい先日タップルで知り合ったばかりの23歳の糞ガキから、このような言葉を最後に吐かれました。

これが、彼奴等(きゃつら)の手口だ!!!!

憶えて置いてください、世の出会い系サイトで真剣に結婚相手を求める女たち!!!

このようなアホナ男はすぐに、ブロックしましょう!!!

 

 


Aim a Gun

2018-03-05 11:05:22 | 日記
楽しい夢を見ていた気がするよ。
その世界ではだれ一人殺されないんだ。
おれもだれ一人、殺す必要はなかった。
楽しかったよ、すごく。
現実ではどんなに楽しくとも、そこは阿鼻叫喚地獄の上にある。
だれ一人、地獄を経験していない零点一秒間もこの世界には無い。
存在の断末魔の悲鳴が、引切り無しに鳴り響き続けている世界だ。
この世界に、空か死か、発狂か、夢以外に逃げ道はない。
この世界には息を着く瞬間もない。
堕胎が行なわれない零点一秒間が存在しない。
家畜が殺されない零点一秒間が存在しない。
朝目が覚めて、喪失感があったよ。
おれが夢のなかで一緒に楽しく過ごしていた奴らは、全員おれが殺してきた奴らだったと想いだしたんだ。
おれは豚のマスクを被って、奴らと楽しく踊っていた。
奴らまるで、幼児かミジンコみたいに無邪気だった。
すっげえ、楽しかったぜ。想いだして、涙が流れた。
なのに目が覚めたら零点一秒間の断末魔の絶叫が頭のなかで鳴り響き続けている。
俺はショットガンを手に取り、照準を定め、銃口を突きつけた。
そこには、豚のマスクを被った男がおれを見ながら立っていた。











しろにじの優しいHotline Miami 🌴 ③