あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

みちたとのお別れ ③

2019-10-31 20:18:59 | 日記
(2013年7月20日午後18時57分撮影のみちた。お気に入りのうさぎのぬいぐるみに顎にある臭腺の匂いを塗りつけているところ。)



10月15日午前4時17分、昨日は暗くなる前から眠ったからよく眠っていた。
何度も目が醒め、汗がぐっしょりで気持ちの悪いなか、夢と現のあいだでまた何度も眠りに入った。
iHerbで買っていたメラトニンと赤ワインの力でこんなに眠りつづけられる。
眠っているあいだ、みちたのことを忘れているのは寂しい。
でも記憶にない夢のなかで、みちたと話しているかもしれない。
動物は、飼い主を危険から、ネガティブなエネルギー、呪いのような念から護る為に、自分が犠牲となって死ぬことがあるようだ。
呪いの念というものは、本人にその気がなくとも相手に飛んで行ってしまうと言われている。
例えば生霊というものも、ほとんどが本人の知らないあいだに相手に憑いてしまうと言われる。
だからちょっとしたことでも相手にムカついて、相手に悪いことが起きるように一瞬でも願えば途端に自分の生霊が相手を苦しめてしまうこともあるから、人間を恨むとは、とても業が深いことなのである。
何故ならその業は、必ず自分のところへと帰ってくるから。
相手を呪えば相手が苦しみ、その為に自分も苦しむことになる。
わたしはヴィーガンになってから、自分の訴えは揺るぎないものになった。
因果応報、因果律の法則、作用反作用の法則だ。
人類に耐え難い苦痛、地獄と拷問の苦痛が存在するのは、人類が動物たちに同じ耐え難い苦痛と地獄と拷問を経験させ続けていることが一番の原因にあると確信に至った。
だからずっとずっと、それをネット上で訴えつづけて来た。
相手への行為は、必ず自分のところに帰ってくる。
肉や畜産物や魚介を食べるということは、間接的に動物を大量に殺し続けるということだ。
その行為は、必ずや自分に帰ってきて、相手に与えた同じ苦しみによって、自分が苦しまなくてはならない。
そうするとこの世に地獄と拷問の連鎖が永久につづいて行くことになる。
そんな世界に生きてゆくことは、たとえ肉体的苦痛がなくとも、精神的な地獄の世界だ。
でもこの訴えをしつづけるとほとんどの肉食者から反感を買い、恨まれ、嫌がらせを受け、迫害される。
ネット上には、わたしを意識下か潜在意識のなかで恨みつづける人間がたくさんいてもおかしくない。
人の不幸を願い、人の不幸を喜べば、必ず自分が不幸になることも知らずに。
みちたはもしかしたら、わたしに降り掛かるそのすべてのネガティブなエネルギー体を自分ひとりで引き受けて、わたしを危険から護る為に死んでしまったのかもしれない。
でもこの訴えを、わたしは死ぬまでやめるつもりはない。
わたしがヴィーガンになったのは、一つの大きな理由として、生きて心臓が動いているうちに解体されて殺される家畜たちが、わたしの父やみちたに見えたからだった。
愛する父やみちたが、どうか来世は家畜などの地獄のなかに殺される動物に生まれ変わってきませんようにと、祈りつづけることはしない。
何故なら、自分の愛する者だけを救ったところで、だれひとり救われない世界だとわかっているから。
祈るなら、すべての生命が救われることを祈りつづける必要がある。
その為に、自分を犠牲にする覚悟で祈れないなら、祈りには、なんの意味もない。
祈りと行動が矛盾していたとしても、すべてが救われるまで自分は決して救われないことを知るなら、祈りには大きな意味があり、力がある。
イエスは、愛することのできる者(自分を愛してくれる者)だけを愛したからといって、なんの報いがあるのか。と言った。
"報い"とは、すべての自分の行動の結果として自分が身に受けるもの。
報いとは、生命にとって生きることの益や価値や意味と同じような意味にある。
みちたや、お父さんやお母さんがどうか救われますようにと祈りつづけたとして、そこには何の意味も価値も益も報いもない。と、イエスは言っている。
善なる者はすべてを救出する為にみずから地獄に向かうが、悪(罪)なる者は地獄から救われたくても地獄に堕ちてしまう。
自分を犠牲にしてでも悪なる者が救われるようにと祈ることができないのなら、祈りには、何の意味もない。
深い罪があっても、善なる者として生きて死ぬことができる。
みちたはもしかしたら、前世で深い業があり、そのカルマの清算の為に、わたしに飼われることを選択したのかもしれない。
前世でみちたは人間で、前世、わたしは動物だったかもしれない。
みちたはわたしを苦しめたかもしれない。
その為、今生ではわたしに苦しめられる一生を送り、わたしは前世で苦しめられたみちたを愛することのできる人生を送ることをみずから願って、ふたりであちらで約束してこの地上にまた生まれてきた。
みちたはこの苦しい一生を送ったことで、やっと深いカルマを清算することができた。
みちたは罪をすべて贖って、真っ白なみちたとなって自分を犠牲にして、わたしを救ってくれたのかもしれない。
みちたは真っ白な仏さまになった。
でもみちたがいなくてわたしがずっと泣いているから、わたしの子宮にいつか宿ってくれるかもしれない。
今生が無理でも次の一生がある。その一生が無理でも、また次の一生がある。
いつか、いつかの人生で、みちたはわたしの息子に生まれ変わり、別の人生では、わたしの夫として生まれ変わってわたしと再会する。
もしかしたらそれは人間の時間軸で考えると過去かもしれない。
アトランティス時代、みちたは人間となって、わたしに出会う。
それが最初の出会いかもしれない。
過去は未来になり、未来を、わたしとみちたは懐かしむ。




(2009年11月6日午後22時4分。みちたはお耳の垂れたロップイヤーという種類のうさぎだけれども、こうして耳を上げてやると、よりうさぎらしくなって、少し女の子っぽくなる。みちたは耳の付け根部分を撫でられるのが大好きだった。その部分は自分で痒くても掻くことができなくて、いつも痒かったのだろう。)





午前5時58分、もうすぐ日の出。
みちたが旅立って、四度、夜が明けて、朝が来た。
嗚呼、まだ4日しか経ってないんだ。
4日前、みちたはまだわたしの側で眠ってくれていたんだ。
まだ、同じ世界にいたんだ。
わたしとみちたは。


お花を買ってきて、みちたの遺灰の横に置いてあげたいな。
煙の少ない御線香もあるといいかな。
みちたの毛が詰められたぬいぐるみをリュックに入れて買いに行こうかな。
携帯用のミニ骨壷は来月にならないと買えないから、何かそれまでみちたの遺灰を入れて持ち運べるケースみたいなやつはないかな。
みちたの遺灰を家でひとりぽっちにさせるのは、なんか淋しい。
わたしはすぐに帰って来るけれど、それまでテーブルの上にぽつんとみちたの遺灰の入ったちいさな骨壷があるのを想像すると何か寂しい。
みちたが生きているときは少しの間みちたをひとり部屋に置いて行くことを寂しいなんてほとんど感じたことはなかったのに。
うさぎの1日は人間の7時間くらい。
7時間くらい、ほったらかしたことは何度もあったと想うし、緊急の出来事で2日か、それ以上ひとりにさせてしまったことも三度ある。
みちたはどんな想いで、その時間ひとりでいたのだろう。
見棄てられたと感じて、ずっとこころで泣いていたかもしれない。
みちたには、わたししかいなかったのに。
わたしだけが、みちたを育ててきた。
何故なんだろう。
何年か前から、2016年よりも多分前から、大きな液晶のパソコンに変えて、その時からパソコンの前に座っているわたしの1日のほとんどの時間、サークルのなかにいるみちたの姿がほとんど見えないようになってしまった。
ずっとずっと、早くデスクの向きを変えたいと想っていたのに、とうとう最後までできなかった。
いま想えば、ひどく簡単なことだったのに。
みちたのサークルの横に積み重ねられる収納ケースを買うか、物を捨てて物を減らしたら、すぐにできることだった。
何故なんだろう…
何故、収納ケースを買わずに、ダイソーで毎月何千円と衝動買いしたり3DSなど買ったりしてしまったんだろう。
何故ホームヘルパーを利用した時に一番最初に、デスクの向きを変えたいと言わなかったんだろう。
他の何よりも、一番に大事なことだったのに。




(2009年11月6日午後22時7分。みちたはこの頃から既に、ふてくされた顔をしている。でも想えば、みちたを何度も撫でたり一緒に遊んでやれた精神状態が安定していた期間はほとんどなかった。みちたはほとんど常に、ひとりでサークルのなかで遊んでいた。それを眺めているだけで、ほっとしていた。)






午前6時58分、食欲があまりないけれど、起きてパスタでも食べて、バッグ二つと、ぬいぐるみ四つを近くのセカンドストリートに売りに行こうかな。
それで電化製品を買い取ってもらえるか訊いてみようか。
その足でダイソーに行こう。徒歩約20分ほどで着く。


昨日、楽天で見たら五万五千円でメモリアルリングをオーダーできるものがあった。
一月一万五千円貯金できたら5ヶ月目には買えそうだ。
早く欲しいから、安いものにしようか。
でも内側からしか遺灰が見えないデザインだった。
そうすると付けたままみちたの遺灰を見ることができない。




(2009年11月6日午後22時8分。みちたにあげるお野菜を入れていたこのお皿も、だいぶ前に捨ててしまった。みちたのサークルはすべて片付けるけれど、みちたが遊んでいたぬいぐるみは洗って置いておこう。)







10月16日午前4時37分。
昨日はリュックにブランケットに包んだみちたの骨壷を連れて、昼過ぎに歩いて20分くらいのダイソーに行って、みちたの写真を飾るフォトフレームと、みちたの骨壷の側に置く花を生ける為の花瓶と、香炉灰と線香と香炉代わりの皿と水を入れるショットグラスと、それらを置くコースターやランチョンマットを買って来た。
スーパーでピンクの薔薇や白い霞草、ピンクや白のガーベラ、青いちいさな花、あと花屋で鉢植えのオレンジ色のガーベラを買った。
帰りにファミリーマートでみちたの写真を5枚プリントアウトして帰って来た。
みちたの写真を形にするのは2015年に数名に初めて送った年賀状以来だった。
みちたの写真を年賀状にしたのは、みちたを覚えておいて欲しいからだった。
みちたが死ぬとき、わたしだけが悲しむのはみちたが可哀想だと想った。
でも実際みちたが死んだとき、そんなことでみちたはちっとも悲しんではいないと感じた。
みちたは寧ろ、わたしを心配して、わたしが悲しみに暮れていることで一緒に悲しんでいるような気がしたからだ。
みちたは仏様になったのだから、わたしだけに悲しまれることを悲しんでなどいない。
みちたはただ、わたしがみちたを喪う深い悲しみのなかでも、頑張って生きてゆけるようにと祈ってくれている気がする。
でもみちたは天使となって、またわたしを助ける為に天から降りて来てくれると信じている。
でもそれまでは、みちたのいない日々を、わたしは存分に悲しみつづける必要がある。
哀しみつづけなくては、みちたはきっと降りて来てはくれないように感じる。




(2019年10月15日午後19時5分。2015年に撮影したみちたの写真をみちたの骨壷の隣に飾る。眠るとき、みちたと並んでいるような気持ちになる。寂しそうな表情に見えるけれども、のちにお線香をあげてくださった訪問看護師のチャーミーさんは良い顔だと言ってくれた。)




今まで、死者の為に、自分の家で何かをしたことは二度しかない。
一度はある若い死刑囚の命日に御線香を焚いた日があった。
もう一度は母の命日に、母の好きな花を生けたことがあった。
でもそれ以外、記憶にはない。
うちはそういったことを何一つしない家だった。
父は母の写真すら飾ることはなかったし、命日にも何一つしなかった。
それはエホバの証人の母の想いを汲んでなのか、父がもともとそういったことに興味もない人だったからか、と考えると両方か、後者の理由が強いかもしれない。
エホバの証人は誕生日も命日も何もしない。その日だけ祝ったり死者を想ったりしたところで、何の意味もないというのが聖書の本来の教えだからだ。
聖書は常に神から生かされていることを祝福し、常に全ての為に祈り続けなさいと教えている。


母が生きていたら、死んだみちたの為にあれこれするのを、そんなことをしなくていい、偶像崇拝になるからやめなさいと言っただろう。
でも生まれて初めて遣ってみて、すごく納得できる。
死者に供える為にあれやこれやと用意したくなるのは、やはり自分が淋しいからなんだと。
みちたの遺骨の隣にみちたの写真を飾り、みちたに供える水を置いて花を生け、線香を焚く。
この空間の側にいると、とても落ち着いて、みちたが安らかでいられるような気がするのは、わたしがそれを前にして安らかでいられるからだ。
みちたは別にそんなことを望んでなどいない。
でもわたしが少しでも安らかな想いになれるなら、みちたは喜んでくれているように感じる。
今日、ダイソーの帰りに縹色の空を見上げて、お空にみちたはいるのかなと想ったら涙が出て、少し泣きながら歩いた。
帰るときは背中に背負っているみちたに「みちた帰ろう。」と声を掛けて、帰ってきたら「みちた、おうち帰ってきたよ。」と声を掛けた。
みちたが生きているときは、滅多に「いってきます。」や「ただいま。」を言わなかったのに。
でも少し元気なときは、言えていた。
言えるくらいの、元気があれば良かった。
でもそれが叶わなかった。
みちたの2015年の写真を今日見て、泣きながらやっぱり寂しそうな顔してるなと想った。
こんな寂しそうな顔をしているうさぎはあんまりいないと想った。
みちたは撫でられるのが本当に大好きだったのに、わたしがサークルのなかに入るだけでいつもブゥブゥと鼻を鳴らして元気よくぐるぐるとわたしの周りを回っていたのに、ほんのたまにしか、みちたに触れる元気もなかったし、たまにしかちゃんと掃除もしてやれなかった。
みちたはわたしが親代わりで、わたしに愛されることをずっとずっと切実に求めていたのに。




(みちたのふわふわな毛を撫でる感触が、今でも蘇ってくる。またいつか、みちたを撫でられる日が来ることを信じている。)




みちたは、人間では90歳を超えているくらいだったかもしれないが、わたしにとってはずっとまだ幼いちいさな子どもだった。
いつでも、わたしに甘えたそうにしていた。
斜頸が悪化して、ふらふらになってまともに歩けない状態になってからも、わたしがサークルのなかに足を踏み入れたら寝ていてもすぐに起きてわたしの足の側に来ようとした。
それでもわたしはみちたに苛立ち、臭くて汚いと感じる瞬間もあった。
そしてそんな自分を、完全に壊れてしまっていると感じて、罪悪感に苛まれ余計鬱になっていた。
鬱の親にネグレクトを受けつづけた子どもはみちたの悲しみと淋しさがわかるのかもしれない。
自分が病気で死に掛けているのに、鬱の親がお酒をたらふく飲んで音楽をガンガンにかけて自分の前で踊っていたらどんな気持ちになるだろう。
でもその親は、自分を愛せないことでずっと自分自身を責めつづけている。
自虐行為と他虐行為は良く同じになる。
みちたを放ったらかしにし続けることで苦しいのはみちただけでなくわたしもだった。
わたしとみちたは、この数年間、共に地獄のなかにいた。
誰からも、助けは得られなかった。
わたしがみちたをちゃんと看ることができるほどに変われるほどの助けは。


みちたを亡くして、まるでわたしは脱け殻になっている。
今のこの自分を、あのときのわたしが知るなら、わたしはどのように変わっていたのか。
みちたは今も、元気にわたしの側にいるのかもしれない。


みちたのサークルのマットを、もっと早く変えてあげれば良かった。
同じマットを、9年近く使っていた。
安いカーペットや敷きパッドにして、毎月でも変えてやれば良かった。
汚れた塩化ビニール製のマットをずっと使っていたから紙魚が大量発生して、その糞も大量でみちたの環境を悪化させていただろう。
でもカーペットに2018年の11月に変えてからは紙魚の姿はほとんど見なくなった。
みちたはとても清潔好きだったのに、猫のトイレの表面にうんちが敷き詰められているような時も多かった。




(2015年5月16日午後14時23分。遺影にこの写真を選んだのは、寂しそうなみちたの顔が、とても切なくて、一番にみちたを表していると感じたからかもしれない。)




午前6時半、みちたが旅立って、5日目の朝が来た。
死んだ動物の魂は、初七日とかは関係なく、飼い主が心配なうちは当分飼い主の側にいるのだという。
でも生まれ変わる為に、ずっと側にいることはできないから、そのうち、天へ帰ってゆく。
そして動物にまた生まれ変わる場合ひとつの類魂とひとつになり、そこからまた分かれて生まれて変わってくる。
だからすべての動物がみちたに想えるのは不思議なことじゃない。
殺される家畜も毛皮にされる動物も動物実験にされる動物もすべてみちたのように感じて苦しいのは、その通りだからなんだ。
すべては、何をしても切ることのできない繋がりで繋がっている。
誰かを愛して、誰かを殺しつづけるなら、それは愛する者を自分の手で殺しつづけていることになる。
だからわたしはもう二度と、動物を殺して得た畜産物や魚介を食べたくはない。
もう二度と、自分の愛する者をこの手で拷問にかけて殺し、そして得たものを、食べてまで生きたくはない。
それは拷問と殺戮の連鎖を、永遠につづけてゆく生き方だ。
自分の為に、みちたが拷問の果てに殺されつづけるという生き方だ。
最早、そのように生きても、"それ"は生きているとは言わない。
生きていることの喜びを、本当の意味で感じることはできない。
みちたはわたしの息子であり、わたしの家族だった。
家族を殺してまで、生きてゆきたくはない。


あと地球は、どれくらい持つのだろう。
1日に多くて200種の種が猛スピードで絶滅して行っている。
あと30年持つかどうかもわからないと言われている。
今から30年後に、終末が訪れるとして、わたしは68歳。
生きているだろうか。
もう食べ物も、水も尽きて、すべての森は灰となり、真っ黒な海が徐々に押し寄せ、光も途絶え、極寒のなか、あとは死を待つだけだ。
今、この時を、懐かしむこともあるのだろうか。
嗚呼、みちたが側にいれば、みちたに食べさせるものも飲ませる水もなく、わたしはみちたとふたりで凍え死ぬか、餓死するか、海に飲み込まれて死ぬ。
それでもひとりより、ふたりでいられて良かったと想える日が来るだろうか。


わたしがヴィーガンになる切っ掛けとなった2012年2月の啓示的な夢のなかで、わたしはみちただけを連れて逃げた。
みちただけを手に抱えて、わたしは必死に走った。
走るのをやめたところには、死が待ち構えていた。
恐ろしい世界のなかを、どれぐらい走っただろう。
わたしは諦めなかった。
そしてわたしとみちたは、気づけば光り輝く世界に包まれていた。
あのときの、神の光と、打ち震える喜びを、今でも憶えている。







(2015年5月16日午後14時25分。この写真もとても気に入っている。窓から入る午後の光が、みちたに降り注がれている。みちたはだいたい、このような請い求めるような目でわたしを見つめてきた。)




10月31日午前7時11分。
みちたに会えた。
みちたは、わたしが目を覚ますと、元気な頃の姿で、わたしの実家の炬燵の右側にいて、わたしを見つめてわたしに何かを伝えたそうにしている。
なのになんてわたしは愚かなのだろう。
わたしはこの奇跡を、残しておきたいと携帯を持って戻ってきたみちたを撮り始める。
でもみちたは、必死に何かを伝えようとしていて、わたしをいざなう。
みちたは心のなかで違うよ違うよとわたしにメッセージを送っているように感じる。
わたしはようやく憶いだす。
みちたは最初に、炬燵のテーブルが洞穴のようになった場所にいて、そこにはみちたが、まるで護るように、同時にわたしに助けを求めるようにちいさなちいさな瀕死の仔猫の側に母猫のようにいる。
わたしはそれを憶いだし、やっと携帯を放って仔猫を抱き上げる。
仔猫は死んでいるように感じて、遅かったか…と悔やみながらもわたしはわたしの今の部屋のキッチン(不思議なことにみちたのいる実家とわたしの今の部屋のキッチンは繋がっている。)に向かい、濡れていたのでタオルでくるんで、別のタオルを探す。
早くあたためてやらねば…するとそこに少し前から飼い始めた白い雌猫がいて、その猫のお乳に仔猫の口元を持って置いてやると仔猫はお乳を飲み始める。
良かった…ほっとしてみちたのいるテレビの部屋にある炬燵の上のリモコンを取り、テレビの時代劇の音量を下げる。
そっと、そっと、わたしはすべての動作を行う。
みちたがいなくなってしまわないように。
みちたは炬燵の左側に寝そべって、もの言いたそうにわたしを見上げる。
そしてわたしに、はっきりとした声で、みちたは言う。
「怒ってる…?」
わたしは途端に泣いて、みちたに返す。
「怒ってへん…怒ってへんよ…。違うねん。みちたのことをほんまに悪い子やなんて、想ったことないよ。」
みちたはほっとした様子で、わたしに撫でられ、みちたが眠りに入る瞬間に、わたしは目を覚ます。
夢か…わたしは夢から覚めて、夢だったことの寂しさと、みちたが死んでから初めて記憶に深く残るみちたの夢を見れたことの喜びを同時に感じ、今日は死者があの世とこの世のあいだに帰って来ると言われているハロウィンの日であることを想いだす。
寝る前に、みちた帰って来てくれるかなと想って眠ったから、みちたは夢というあの世とこの世のあいだの世界に降りて来て、わたしに会いに来てくれたのだろうか。
わたしはみちたの愛おしさに泣きながら、あの白い雌猫と仔猫は一体だれだろうと想う。
仔猫はもしかしたら、2006年に実家で生まれてすぐに死んでしまって、わたしが何時間と泣きつづけたあとに埋葬したはるちゃんかもしれないと想った。
白い雌猫は…実家で飼っていて2015年に旅立ったクロエだろうか…?
わたしは一人で時代劇なんて観ないのに夢では何故か時代劇が流れていた。
時代劇はお父さんが好きで、よく一緒に観ていた。
まさか…お父さんの生まれ変わりが本当にみちただったりして…
みちたは、わたしがみちたのことをずっと怒ってるんだと想っていたのかもしれない。
だから世話をちゃんとしてもらえなくて、ほんのたまにしか撫でてくれないんだと感じていたのかもしれない。
精神があまりに不安定な期間、みちたにいらいらした時も多かった。
そのすべてのわたしの感情を、みちたは感じ取っていたのかもしれない。
でもどんなに苦しい時でも、みちたが本当にいなくなればいいなんて想ったことは一度もなかった。
それとも…みちたの「怒ってる…?」という想いは、わたしのみちたへの想いの投影なのだろうか。
わたしはみちたに赦してもらいたくて、赦してもらわなければ、みちたは帰って来てくれないと感じて、みちたに赦される為に、今のわたしが必死であるからかもしれない。
でもみちたは夢に出て来てくれた。
夢に出てきたみちたは、みちたであるように感じる。
みちたの想いとわたしの想いは、同じであったのかもしれない。
みちたとわたしは、一つであるのだと、言ったものね。
みちた。
夢に出てきてくれて、ありがとう。
みちたに会えて、本当に嬉しいよ。
また、夢に出てきてくれる?
みちたに、何度でも会いたいよ。


もしかして、はるちゃんの生まれ変わりが、みちたなのかな…?