制限された哀れな存在に実に見事に変装した神、エホバ。
わたしは自分の内的世界で、人間を愛することは永遠にないという結論に今日至りました。
何故ならわたしは人間ではなく、自分をしか愛せない人間であるからです。
人間はあまりに身勝手で、本心からわたしを惹かせることがありません。
わたしが愛したところで、何か価値があるのでしょうか?
そして人間は、わたしの知る本当の悲しみを識りません。
すべての悲しみが、まるで予定調和的に計算されたHistoryとしてみずから創り上げていることが透かして見えて、心が興醒めしてしまうのです。
でもそれも何もかも、わたしの魅惑的で終りの永遠に来ない悲しみと比べてしまうからであって、彼らに非はありません。
そして彼らが、わたしの悲しみに到達するとも感じられません。
生命の根源が実は気も狂わんばかりの悲しみであり、それを知りたいとも彼らは想ってもいないことをわたしは知っています。
わたしはすべての安易な劇(人生)に、唾棄します。
生命の終りのない悲しみに対して、さも終りがあるかのように欺くすべてに対して、心から冷笑と嘲笑を贈り続けます。
死でさえも、まさか、断じて、終りではありません。
死は存在する為、死は死で在り続けますが、死は終りと最も掛け離れた存在です。
愛がすべてを、生かせているのです。
しかし彼らは愛を信仰するものとして崇め、彼らによって愛が顕現する日は来ません。
漠然とした曖昧な状態で愛を認知させ続け、生きる灰のように、彼らを永久に生かせ続けます。
天も地も、死の灰でできた美しい森を観ても、彼らは嫌悪を抱きます。
それは自身の鏡の世界を投影しているからです。
彼らの住む家には毎晩、人間を幸福にする真っ赤な肉汁の滴る果実と偽られた悪の果実が魔女によって届けられ、彼らは自身の未来を食べ、過去(現在)の快楽を得るのです。
言い換えるならば過去(現在)の肉体的快楽という報酬を得んが為に、自身の未来の受難(肉体的拷問地獄)を、悪魔サタンに売り渡すのです。
わたしは最早、人間として生きたいとも想えません。
人間以外の、何者でも在りたいとも想えません。
ではわたしは死をも拒み、わたしの行く場所は、何処にも存在しません。
わたしは生を受けた瞬間から、あなたに見棄てられた存在であり、わたしは生きてもいなければ死んでもおらず、またUNDEADでも在り得ません。
わたしは真に言いますが、わたしは何者でもない、ひとつ言えるならば、わたしとはだれひとり永遠に知る日の来ない永遠につづく悲しみである。