あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

エリアの預言

2018-01-07 13:39:43 | 随筆(小説)
おまえらもほんま発狂してるよな。
諦めてんねやろ?
世界が滅亡してゆくことに。
生きてて楽しいか?
生きてて幸福を感じるか?
それは俺の台詞だよ。
生きてても楽しくもないし、幸福なんて感じられることもないから人類滅亡するゆうてんのにおまえは未だに植物中心の食事を選択できないでいる。
それだのに、俺に対し、差別言葉ばっかりゆうてくるおまえは何を遣りたいんだ。
おまえが苦しい社畜で居続けているのは、おまえが苦しい家畜を殺し続けて食べているからじゃないのか?
調子のええ虫のええことばっかりほざくなよ。
なんで俺の警告をみんなみんな無視するんだ。
無視するなら、せめてこう言い残してくれ。
「俺は好きで苦しんでいる。俺は未来に家畜のように拷問を受けて殺される覚悟で食べ続けている。人類が植物中心の食事を選択せずに地球が滅亡しようと全く構わない」と。
そしたら俺の気も晴れるよ。
俺が毎日苦しいのは、人々が「自分は苦しみたくない。自分は家畜のように拷問を受けて殺されたくはない。地球が滅亡するのは嫌だ」と言いながら植物中心の食事を選択しようともしないことなんだよ。
お子ちゃまか、お前らは。
お前らは赤ちゃんなのか。
間違いなく、そんなに虫の良いことを言えるということは、お前らは赤ちゃんだ。
だから俺は毎日、毎日、赤ちゃんたちに対して、憤怒しているということになる。
だので、俺はとうとう、発狂してしまったようだ。
発狂しないために、賢者は瞑想を心掛けているのではあるまいか。
まず、呼吸というものに、集中しよう。
嗚呼ああああああああああっ、嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼オア愛っっっ。俺は呼吸しているのか?
何故、俺は呼吸しているのか。苦しい。俺は呼吸している。苦しい。俺の動悸が激しくなってくる。俺は俺のなかの神を感じるほど俺は苦しくなってどうすればいいのかわからなくなるるるるるるるるる、はらわたが、煮えている。俺のはらわたが、俺の頭蓋鍋🍲のなかで、ぐつぐつと煮えて、もう使い物にならない。俺が俺の煮えたはらわたを喰うたところで、俺のはらわたがないからこれを消化することもできず、俺の内部で腐敗して、その腐敗した俺のはらわたを俺の身体が喰うて、俺がますます腐り果ててワヤになるだけ。だから、このはらわたをどうすればええかを俺は考えなくてはならないので考えたら、一つは下水に流すという選択がある。俺の総ての呪いの念の詰まったはらわたを、下水に流すとどうなるか?下水はやがて、浄水され、川に流れ、海に流れ、海の水はやがて蒸発して雲を作り、雨や雪となって森林、水源林に降り注ぎ、そして地表に流れ地下に浸み込んだりしながら川に流れてその水がダムや湖に溜められ、浄水され、人類の飲料水として人類の体内に吸収される。ということは、俺の総ての呪いの念が、人類総ての体内に吸収され、人類総てが、俺の総ての呪いの念を吸収してしまった瞬間に、はらわたが煮えくり返りそうな呪いの念に絶えず苦しめられてそのうち発狂し、人類は自分の頭蓋鍋🍲で煮た自分のはらわたを、これを一体どうすればええのかと苦心して世界を睨み付けたあげく、やはり、下水に流すことを選択する。と、どうなるか?下水はやがて、浄水され、川に流れ、海に流れ、海の水はやがて蒸発して雲を作り、雨や雪となって森林、水源林に降り注ぎ、そして地表に流れ地下に浸み込んだりしながら川に流れてその水がダムや湖に溜められ、浄水され、人類の飲料水として人類の体内に吸収される。すると、どうなるか?人類は俺の総ての呪いの念を己れの体内に吸収し、人類のはらわたは瞬時、煮え繰り返る。人類は、我が頭蓋鍋🍲のなかで煮込んだ我がはらわたを、見詰めている。これを、俺はどうするべきか?一つは、下水に流すという選択がある。しかし、おい、ええ加減にせえ。なんでその選択しかないんや。なんでその選択を繰り返してくる必要があったのであろうか?それは一つ、人間が、阿呆やから。それは一つ、人間が赤ちゃん並みに、幼稚であるから。俺たちは、もう散々、同じことを繰り返してきた。自分のはらわたを、自分の頭蓋鍋で煮て、延々とそのはらわたを、自分のなかに吸収してきたじゃあ、ないですか。ただ、同じことを繰り返してきたが、見ての通り、俺たちは、未だに赤ちゃんだ。よく考えてみよう。下水に流す。それは一番楽な方法だからだ。人類の選択する一番楽な方法は人類を成長させなかった。俺たちは、これ以上、この絶望に暮れる地獄の負の連鎖を繰り返すなら滅ぼされる運命にある、まあそういうことであろう。この世界は、最早、観るに堪えない世界だ。流れ作業を延々とさせるために、俺はこの長編小説を、書き始めたわけじゃない。なんでこんな小説になってきてんねやろ?まるで人類のほとんどが、機械のように自分で物を考えたり、自分で善悪を追求したりせずに、人間を真に幸福にさせない大衆の固定観念に洗脳されて人類が利己主義であることを肯定しながら生きている。(例えば肉食は世界が弱肉強食の世界であるから当然だという諦めの観念など)戦争や原発には反対するのに、死刑制度や堕胎や畜産業の大量生産などの大量殺戮には無関心の人々が何故これほど多いのか。この小説の作者は俺なのだから、俺の小説世界のなかの人類を救えるのは俺だけである。そうだ、救世主メシアを、この腐敗してしまった俺の小説世界地上に、降り立たせよう。
名前は、「エリア」。彼は、神の独り子(ひとりご)である。

そうして、この地上に、人類を救うため、エリアは打ち堕とされた。
エリアは、すくすくと元気に成長していき、やがて30歳のときに、洗礼を受け、人類を救うためにどのような受難をも堪えることを神に誓った。
神は、エリアに預言を与えた。
「御前は人類が、自らのはらわたを、自らの頭蓋鍋のなかで煮込み、それをまたしても下水に流して、それを吸収する。という地獄の連鎖を絶つための、新たなる選択を人類に我が身を犠牲にし、与えることができるだろう。それは、近いうちに与えられる御前の血と肉による選択である。」
エリアは、光る雲の透きまにそれを見、恍惚なる喜びと共に、貧血を起こすほどの絶望の想いにいだかれた。
エリアはそれでも、神に感謝の祈りを捧げました。
「あなたのみこころのままに、わたしは、生贄の仔羊となります。わたしはどのように残酷に殺されても構いません。あなたのみこころの通りに、わたしが殺されるように」
エリアはこのとき、恍惚なる絶望の喜びに、一瞬、昇天しかけたが、頭をぶんぶんと振り、「いけない、いけない」と言って、ちょっと携帯で検索しました。
[はらわた 頭蓋鍋 選択]で検索してみましたが、そこに、エリアの求める答えは見付かりませんでした。
エリアは、絶望に喘ぎました。
悲しくて、涙を流しました。
すると、その涙が、金になり、エリアは泣きながらその金を、質屋に売りに行き、生活費を得ました。
エリアは、その足で居酒屋へ赴き、カウンター席で酒をあおりました。
そして、怒った酒と、剣を持ち、戦いました。
エリアの剣は、一升瓶を真っぷたつにかち割りました。
エリアは勝利の喜びを、神に伝えるため、砂漠へと走りました。
エリアは何度もつんのめって、顔を砂のなかに埋めて砂を噛みました。
砂を飲み込むと、エリアのはらわたは、とても痛みました。
エリアのはらわたは、憤激しました。
そして、エリアに向かってこう叫びました。
「あなたは何を遣っているのか。あなたが飲み込んだ砂のために、わたしというはらわたは気が狂いそうなほど苦しめられているのである。あなたはその因果によって、あなたの尻の穴も苦しみ、血を観るにふさわしい。あなたの尻の穴が血を見るとき、あなたも真に己れの血を見るであろう」
エリアは、自分のはらわたによる預言を受け、その身と、心とを震わした。
そして、砂を自分は食べるつもりではなかったのだが、こけた勢いで吃驚して、つい飲み込んでしまったのだと言い訳をしたかったが、言い訳をしたところでなんになろう。と想ったので、黙って、砂漠を歩き続けた。
そうして、何日と、エリアは、歩き続けた。
エリアは、滝のような汗を身体中から流し、尻の穴の痛みに堪えた。
そして、エリアはその血を、見た。
預言が真に成就したことを、エリアは神に伝えた。
そして砂漠に倒れ、エリアは続けて神に言った。
「主よ、もうこれ以上、わたしは歩けません。どうか水と食料とを、わたしにお与えください。そして、光があまりに眩しく、目が焼けついて痛くてしかたありません。どうかわたしに身を休める日陰をお与えください。」
すると、見よ。エリアの目の前に、禿鷹が一羽飛んできて、エリアの前に、食べ物なるものを放った。
エリアはそれを見た。
それは見たところ、人間の手のひらであった。
エリアは、神にまた言った。
「天におられますわたしの真の父よ、わたしは人間を食べたくはありません。どうかほかの食べ物をわたしにお与えください。」
すると、見よ。またもや一羽の大きな禿鷹が飛んできて、エリアの目の前に食べ物を放り去って行った。
それは見たところ、どうやら人間の足の先であった。
エリアは、またも神に言った。
「わたしの愛するわたしのたった一人の真の肉親よ、わたしは人間を食べることはできません。どうかほかの食べ物をわたしに食べさせてください。」
すると、見よ。
先程の禿鷹がエリアの前に降り立ち、食べ物をその前に投げつけて鳴いた。
それは見たところ、人間の頭部であった。
エリアは深い悲しみのあまり、咽び泣いた。
すると、神の声が天から響き渡った。
「エリアよ。なぜ御前は泣いているのか。御前はなぜわたしの与えた食べ物を食べないのか。よく見よ。それは、御前の食べられるものである。」
エリアは神の言う通りに、目の前にあるその死体を見詰めた。
すると、見よ。
それまでは自分以外の人間の死体に見えたそれらが、このとき、自分自身の死体であることに気付いたのであった。
エリアは、生唾を喉を鳴らせて飲み込むと、自分の頭部に齧りつき、一心不乱に貪るように食べた。
自分の肉と血によって、エリアの肉体は満たされたように想われた。
しかし、心には、空虚さが満たし、エリアは、途端、不安と恐怖に支配され心を震わした。
エリアはやがて、自分自身に対する寒気を感じ、自分がいつ、自分を殺したかを想いだそうとした。
それは自分が、自分を食べたときであったか。
それとも自分が、自分に食べられたときであったか。
自分を食べたのも自分であれば、食べられたのも自分である。
エリアのはらわたは、憤怒、悲しみ、苦痛、恐怖、不安、絶望、虚無、怨嗟、孤独、それらが自分の死体とどろどろになって、自分の体内に吸収されてゆく感覚のなか、気が狂いそうなほどのた打ち回った。
エリアのはらわたは、発狂し、エリアに預言した。
「十本の、造花、くるくるする、穴の星、点滅す、奇数、姦陰、リック、リック、リック」
己れのはらわたの預言に、エリアは戦慄した。
全く、意味を解せなかったのである。
取り敢えず、エリアは無性に、かんいんしたくなったので、往来へ戻り、かんいんするため、エリアのこれまでほとんど客足のなかったが意地だけで独りで営んできたエリア輸入雑貨店を閑院した。
しかし、念のため、エリアは「閑院」について検索してみると、これが、エリアの勝手に想い込んでいた遣っていた店を閉店するという意味では全くなかったのでエリアは愕然とした。
エリアは、四畳半のマイルームのなかで、布団に横になり、枕は涙でどぼどぼになるほど泣き濡れた。
一体、人類が我がはらわたの煮込んだ我が頭蓋鍋の、その使い道、使い物にならないどころか、呪いの念の詰まったはらわた煮込み頭蓋鍋を、どうしたらいいのか?そのもう一つの選択。
わたしがその選択をし、その選択を人類に与えると神はわたしに預言した。
わたしだけが人類を救うことができると神はわたしに預言した。
エリアは、そういえば、と想いだした。
先程食べた、我が頭蓋内部、あのわたしの頭蓋内に、あったものとは果して我が煮込まれたはらわたであったのではないか?
あのわたしの頭蓋内部は、わたしのはらわたが煮込まれて既に出来上がっていたわたしの頭蓋はらわた煮込み鍋であったのではないだろうか。
エリアは、激しく吐き気を催したが、ここで嘔吐した場合、その自分の頭蓋はらわた煮込み鍋のなかの総ての呪いの念が、人類の飲料水となり人類が吸収することになる。
いや、例え、排水に流さなくとも、燃やしたり埋めたりしたところで気体となり、人類はその気体となった我が頭蓋はらわた煮込み鍋の総ての呪いの念を吸収するであろう。
しかし、待てよ?わたしが、食べた、わたしのはらわた煮込み頭蓋鍋を、わたしは近いうちには排泄せねばなるまい。
っと、ということは、どうしたって、わたしの食べた、我が頭蓋はらわた煮込み鍋の総ての呪いの念を、人類は吸収する羽目になるでやんけざんすばいじゃんけだすがなですよなあっ。
エリアは、失神しかけるほどの衝撃を受け、自分の冒してしまった過ちを、脳内頭蓋鍋のなかで、繰り返し反芻した。
エリアは、あの時、何故、何故、わたしはその食べ物を、わたし自身と見ながらも食べてしまったのかあっ。と想って。
コケプッシャアッパリシャロメンッッッ。とエリアは、つい、自分でも意味の解せぬ言語をつい心の底から叫んでしまったのであった。
エリアは、こうして、半狂乱に一時期陥ったが、後に、エリアの預言の全ては成就し、真の神の子エリアの預言として、現代にも聖なる異端書として語り継がれていると言われている。

だが、エリアが命を懸けて人類に残した選択とは、一体、なんであったのか。
人類は未だにその暗喩を紐解くことに難渋し、人類がエリアの導いた道を選ばないならば、すべては、我が煮込まれ続けたるはらわた煮込み頭蓋鍋の呪いによって、あまねく滅び行かんとするとエリアは預言し、約三千年前に、死ぬことによって、全てを成就した真の神の子、エリア。
我らの真の救い主よ。

そう最後に記し、神はこの六億年くらいかけて紡ぎ続けてきた長編小説を書き終え、ペンを置いた。
そして、深い深い眠りに神は就いた。




















セックス,フェラチオ,アナルセックス,その他の最悪な嗜好者の餌食

2018-01-06 17:05:38 | 日記
御前からの、謝罪の言葉は、まだ無い様だな。
みちたも病気が酷くなって死に掛けてるよ。
俺も昨夜もアナフィラキシーでまた息苦しかったが、全てを呪い苦しかったので酒を飲んで。
音楽を聴きながら、死も恐れず、慰みを受けていた。
姉にもまた積年の怒りをぶちまけて、姉の精神状態もたぶんやばくなってると想う。
返事も来ない。
御前は全くわかってもいなかったな。俺の命懸けて遣ってるブログに適当なコメントを残して去ってゆくことがどういう因果を齎すかってことを。
俺の地獄をそっくり、御前にも見てもらう。
死ねば終りだと想うなよ。
俺は死んでも、御前を赦さない。
俺は同時に、御前を心の底から憐れむ。
ちゃんとしたコメントを、御前のハンドルネームを付けて御前が書いてくれる日まで、御前とはもう二度と口を利かない。
もしそれを御前がしないなら、永遠の別れだ。今生での。
このまま御前がスルーして、みちたが死ぬなら、俺は御前を二度と赦すことはできないだろう。
みちたが死ねば、俺もどうなるんだろうと怖くてしょうがないよ。
いっそのこと、閉鎖病棟に監禁されて薬漬けにされて死にたいよ。
酒と薬でトリップして、全裸で町に走り出せば、閉鎖病棟に拘束してもらえるだろうかと考えている。
御前を心から恨む。俺の苦しみに全く共感してくれなかった御前を。
みちたが死んだら、生活保護を辞退し、ホームレスになり、街へ繰り出て身売りをして暮らすのもええなと想っている。
御前にそれができるか。俺は御前への恨みだけでそれを遣ってもいいよ。
俺が死んでも、誰も”心から”苦しまない。
一日最低一度の身売り、セックス,フェラチオ,アナルセックス、その他の最悪な嗜好者の餌食として暮らし、一日5千円も儲けられたらなんとかホテルか漫喫暮らしが出来るだろう。
俺が梅毒やエイズに罹って死んでも御前は後悔もしないだろう。
でもそんな未来もまだマシで、俺の現実とは、ただこの部屋で近いうちに腐乱死体と化すだけかもしれない。
御前はいつかyahooチャットで俺に言ったよな?
「ききゅの丸焼きwww」って。
俺が丸焼きにされる姿を想像するのがそんなに面白いか?
御前にとって、俺とは家畜同然の存在だったのか。今でも。
でも良く考えてみろ、家畜を何千回何万回と拷問にかけて喰ってきた人間が、何故家畜同然の死に方ができるんだ。
家畜以上の死に方が当然だろう?
一人の人間としての最低の敬意を払えても貰えなかった俺自身への憎悪は、死ぬ迄消えることはないだろう。
俺はこれから破滅へ向かうことを、御前に約束するよ。
発狂してしまったようだ。





















ザ・アナフィラキシーストライキ🐸命を懸けた俺の戦い

2018-01-04 22:24:04 | 日記

ここに、二匹の蛙がいる。

一匹は、俺で、もう一匹は、俺のブログに適当なコメントをしてくる正体不明な人間(たち)である。

まず、俺が言いたいのはあ、おまえと、俺とは、対等な関係ではない。

何故か。それは俺は、自分の顔も本名(こず恵)さえもこのブログに出して、自分の素性も明かし、堂々と俺がどういう人間であるかを包み隠さず露にした上での全発言にともなう全責任を俺が負う覚悟で俺は俺のブログを遣ってる。

それはまさしく、俺の発言によって、誰かが死んだ場合、俺と言う人間は必ずその責任を自ら負う覚悟で遣ってるという意味において、これが命を懸けた俺の人類への真剣なコミュニケーションを行うための場であって、俺がただ言いたいことをゆうてその責任は取らずにとんずらするために遣っているわけではない。

しかし、適当にコメントを書いた後、なんの返事もよこさないおまえという正体不明なる人物は、どういうつもりでその無責任な行いを遣ってるのかあ。こらあ。ふざけとったら、あかんどお。

俺はもはや、ストレスが限界値に来ちまったようで、昨夜から酷い蕁麻疹の苦しみをもうここ10年ぶりほどに味わってるの。

”蕁麻疹”というものを、汝、侮るなかれ。蕁麻疹が出るというのは、アナフィラキシーと言われているが、蕁麻疹とほぼ同時に起きやすい呼吸器官症状というものは、アナフィラキシーショックという急性ショック死を招くほどの危険性があるからである。

俺はその、呼吸困難のアナフィラキシー呼吸器官症状によって、昨夜は酷く息苦しくて、死ぬかも知れんなと想って怖かったん。

 

アナフィラキシーってなあに?


◆アナフィラキシーは命にかかわることも

アナフィラキシーは、発症後、極めて短い時間のうちに全身性にアレルギー症状が出る反応です。

◇きっかけは?

主にアレルゲンを食べる(飲む)、吸い込む

◇どこにあらわれるの?

全身性に複数の臓器(皮膚、粘膜、呼吸器、消化器、循環器など)にあらわれる

このアナフィラキシーによって、血圧の低下や意識障害などを引き起こし、場合によっては生命を脅かす危険な状態になることもあります。この生命に危険な状態をアナフィラキシーショックといいます。


◆症状が出るまでの時間は、アレルゲンによってことなります

アナフィラキシーの特徴のひとつは、短時間で症状があらわれること。

症状が出るまでの時間は、アレルゲンや患者さんによって差があります。

薬物や蜂毒は直接体内に入るため、早く症状が出る傾向があります。

これに対し、食べ物は胃や腸で消化され吸収されるまでに時間がかかるため、症状が出るまで薬物や蜂毒よりは時間がかかることが多いです。

アナフィラキシーが原因で心停止に至った例の、心停止までの平均時間は、薬物で5分、蜂毒が15分、食物では30分といわれます(アナフィラキシーがすべて心停止に至るわけではありません)。

また、アナフィラキシーは、一度おさまった症状が再びあらわれることもあります

 

 

アナフィラキシーの可能性が高い場合

次の3つのうち、いずれかに当てはまる場合は、アナフィラキシーの可能性が高いとされます。

突然(数分~数時間)、皮膚や粘膜の症状があらわれ、さらに、呼吸器系の症状あるいは血圧の低下などのうち少なくとも1つの症状がある場合

抗原と疑われるものに触れる、あるいは食べたり飲んだりした数分~数時間後、次の症状のうち2つ以上が突然あらわれた場合

☆すでに抗原とわかっているものに触れる、あるいは食べたり飲んだりした数分~数時間後、血圧の低下がみられた場合



で、これが、その俺の昨夜撮ったアナフィラキシーな生脚写真である。





どうですか、これ。太腿の裏まで凸凹ですよ。

ここまでの蕁麻疹出たことありますか?え?気持ち悪い?おまえがゆうなあっ。だったらお前の生脚も見せろ。

やったら痒いんですよ。でも痒み止め塗ろうが治まらない痒みなんです。(今朝も起きてリーフレタスサラダと紅茶を摂ったら酷く蕁麻疹だけが出てきましたが、何故か、自然栽培みかんを摂ると引いていきました。)

でもまだ痒みだけならマシじゃないですか。

怖いのは呼吸器官にまで出てショック症状が出ると死ぬ危険性もあるということです。

思い当たる食べ物、飲み物と言えば、一番はスパークリングワインや日本酒ですね。

最近特に赤ワインからスパークリングワインばっかり飲んでいて、添加されている酸化防止剤(亜硫酸塩)を摂り過ぎたことが関係しているのか。

またはワインは残留農薬量が多いと言われているから農薬が関係しているのか。

それとも最近、VEGAN(植物100%)の冷凍ピザやらを毎日摂ってしまったことが関係しているのか。(わたしは完全菜食者です。でも以前肉食だったときにも同じような症状が出ました。)

なんでそう想うかと言うと、わたしが人生初のこの酷いアナフィラキシー症状が出たのは2007年か2008年とかの頃で、

その頃も精神状態が著しく酷かったので結構ワインを飲んでいて、また冷凍食品に頼る毎日だったからです。

その後にわたしはドラッグをODしてね、死の淵を何時間と彷徨い、自分の瞳孔がもんのすごい開いた目を見て戦慄したことがあります。



アナフィラキシーガイドライン




ショック症状を誘発する原因食物の割合が、鶏卵の次に乳製品、その次には小麦となっていますね。

死ぬ危険性のある鶏卵や乳製品は、もう摂る必要はないですよ。摂らなくとも、生きてゆけます。

小麦も遺伝子操作、大量の化学肥料、農薬、輸出の際の殺虫剤、防かび剤などのポストハーベスト(収穫後に使用する農薬)が使用される。などの危険性が高い食物です。
もっと深刻に考えてゆかねばなりませんね。




アナフィラキシーを重篤化、増幅させる因子


このようにアナフィラキシーを重篤化、増幅させる因子に、精神疾患やアルコール、精神的ストレスなどが挙げられています。

俺がこの記事で何を言いたいのかと言うとお、俺の真剣な記事に適当なコメントを書き殴り去り、俺がこうしてその悲憤の持続による著しき精神的ストレスによって汝に、謝罪と誠心誠意の篭った返事を待っているのに未だにスルーし続けているおまえ。

おまえのせいだよ。おまえのせいで俺、ショック死するかもな。マジで。

なんでかっていうと、俺はこんな鬱が酷いからもう病院に行く気力すらないんだよ。

つまり急性ショック症状が出ても、俺は死を待つのみだ。

おまえが俺が死んでも本当に平気でおるというのならば、おまえはこのまま俺の苦しみをスルーし続けたらええやんけ。

俺がおまえに殺されて死ぬだけだ。お前の人間心理を利用した狡猾な遠隔操作による人殺しだ。

俺は絶対に病院に行って薬を貰ったりしないもんね。

俺はお前を試みているんだ。

でも、おまえがちゃんとした返事をよこすつもりがあるなら、俺は病院に行ったり、薬を買ったりしてもええかなって想ってる。(Skypeのほうはブロックさせてもらったけれども)

俺はおまえを試す為に、アナフィラキシーストライキを、我が命懸けて遣ったるど、こらあ。

わかってんのかあ。俺のこの、男魂。男の中の女。女の中の男。の熱きソウル。

で、ここで、最初の写真に戻ろうじゃないですか。


さて、俺は必死んなって、この生きるがために必要な俺のこのブログで命懸けて執筆表現を続けてゆくということを本当に真剣に遣っている。

俺はこの我がブログと言う細い”梢”に、必死にしがみついている上におる蛙でケロロンパ🐸

「おっ、おまえ、だれやねん。おまえなに適当に俺の脚にしがみついてんねん。離れろよ。俺も堕ちるやんけ。おまえのおる境遇に俺を引き連れたいケロかっ。ふざけるなケロよ。ケロッパ・ケローレ。ケロッパ・ケルローレ。俺はこの”梢”にしがみ付きたくて、しがみついてないと俺が生きられんからしがみついてんのお。おまえの生きる場所と、俺の生きる場所は違うのお。はっはなせっケロロンパッパ。おまえはなあ、俺に面と向かって、向き合ってもっと真剣に話してくれよ。それもせずにそうやって、俺を困らせることばっかり幼児みたく遣ってくんのはやめろってゆうてんねん。俺はなんとしてでも、おまえが俺に敬意を払って関わろうとするまで、絶対、相手にしない。から。も、うち、カエル」

お前「へっへっへっへっへ。ケロケロッ🐸」


はたまた、お前が上のカエルで、俺が下のカエルだったなら・・・・・・

「ひっひっひっひっひっひ。お前を俺のおる地獄の世界へ引き摺り落としてやるぅ。うっ。たのしいっ。お前を引き摺りこむことが俺の快楽なんだケロよ。だから、この手を絶対、離さないケロっ。離してたまるかあっ。っくっ、命懸けても、離すものか・・・・・・おまえはそれだけのことを、俺に遣っちゃったんだカエル。ふっふっふっふっふ。堕ちろ。落ちろっ。俺のところへ、堕ちてくるんだっ。こっ、腰が痛え・・・。くうー、もうすぐこの記事を書き始めて2時間だ。こっ腰痛ええええぇっ。はっ、はやく、堕ちろおおおおおおぅ。うっ。俺はお前の御陰で、プチ断食と、断酒中だっ。起きてから、リーフレタスサラダと、小みかんを4つしか食べてない。お前も俺と一緒にプチ断食と断酒しろやっ。ばーか。ばーか。バーカーエールー。とにかく、お前がちゃんとした返事を俺にするまで、この手を決して、離さない。離さないかえるっ。っして、なにを、お前と俺は、エルカっ。」













サイコキラーと魂っくたち

2018-01-03 20:54:30 | 随筆(小説)

2018年。サイコキラー(Psycho Killer)です。

 また、Rajasic(ラジャシャック)を象徴する年で在ります

ラジャシャック(Rajasic)というのは、サーンキヤ学派サーンキヤがくは、梵: साङ्ख्यदर्शनम्、Sāṅkhya-darśana)とは、インド哲学の学派のひとつで、六派哲学の1つに数えられる。 世界の根源として、精神原理であるプルシャ(神我、自己)と物質原理であるプラクリティ(自性、原質)という、2つの究極的実体原理を想定する。) から来ている言葉である。

物質的原理は三つの構成要素トリグナtriguṇa(〈三徳〉)から成る。

その三つとはサットバsattva(〈純質〉),ラジャスrajas(〈激質〉),タマスtamas(〈翳質〉)で,それぞれかかわりあって存在する。

これら3構成要素が平衡状態にあるとき物質的原理は変化しないが,それらのバランスが精神的原理の観察を条件として破れると,物質的原理は変容を開始する。


サトヴィック・ライフについて
● あなたの性格を決めるトリ・グナ

 



ヨーガやアーユルヴェーダの世界では、私たちの性格や気質は次の3つのグナ(=トリ・グナ)という心の基礎となる生命エネルギーの組み合わせで決定すると考えられています。

この原理は聖人君主であっても悪人であっても例外なく同じです。

ポイントはどのグナがどれだけ優位かという比率の問題なのです。
 • サットヴァ(Sattva) = 善性
 • ラジャス(Rajas)= 動性
 • タマス(Tamas) = 暗性



グナは日本語では「徳性」と訳され、言い換えると精神的・心理的特質のことですが、3つのうち「ラジャス」と「タマス」は、増大すると健康を害するという悪い影響力を持っています。


◇ ラジャス気質(Rajasic Prakriti)

一般的に競争心が強く、攻撃的で残忍な面がある。己惚れが強く、自慢が好きで、好色である。怒りが強く、臆病で利己的である。また、二極のことに強く影響を受ける。いつも忙しくしていたい、といった傾向が特徴である。

◇ タマス気質(Tamasic Prakriti)
タマス気質の人は次のような性格的特徴があると説明されています。

一般的に悲観的で、無神論者である。不公正で道徳心が低く、無知かつ愚かである。眠気やだるさを感じていることが多く、精神的活動・肉体的活動を避ける傾向がある。人間関係、社会とのつながりが希薄である。

◇ サットヴァ気質(Sattvic Prakriti)

これら2つに対し、 サットヴァ気質の人は一般的に優しく、寛容で、正直であり、神様あるいは目に見えない世界を信じているとされます。さらに、優れた記憶力、知性、創意工夫の才に溢れ、勇気があり、喜びを分かち合う心、共に悲しむ心が特徴です。そして、二極のことに心が揺れないという特徴があります。

ここでいう“二極のこと”とは、勝ち・負け、損・得、善・悪、喜び・悲しみ、好き・嫌い、etc.といったプラスとマイナスが対立する価値観を指しています。


 




完全に、HTMLエディター形式によって転載できてるんですが、ええのかなこれ(笑)

勝手に無断でパクってきて、怒られるかな?

最近と今の気分の俺は最高にラジャス気質(Rajasic Prakriti)であるようである。

で、このRajasic(ラジャシャック)という状態を完全に描写しているのが

 

タマシックとラジャシックのうつ

Talking Heads  「Psycho killer 」という曲であると知った俺は前から何度か聴いたことのあったが

改めて聴いたみたのであった。歌詞を先に読んだ。この歌詞がね、俺の今の感覚とまったく同じだった。


Psycho killer(こちらのブログ氏の歌詞が最高に良い)

 



 

I can't seem to face up to the facts

 どうも現実に向き合えそうもないな

I'm tense and nervous and I
Can't relax

 神経が張り詰めていてナーバスになってるし、いつまでたってもそれが収まらない

I can't sleep 'cause my bed's on fire

 ベッドが炎のように燃えて寝られやしねぇぞ

Don't touch me I'm a real live wire

  Iに触れるなよ、Iは生きてる有刺鉄線みたいなものだ


Psycho Killer

 サイコキラーだって? (猟奇殺人者)

Qu'est-ce que c'est

 なんだそれは(フランス語)

fa fa fa fa fa fa fa fa fa far better
Run run run run run run run away

 

 ねねねねねねねねねねねねねぇ

 

ににににににににげたほうがいいぜ

 

Psycho Killer

 

 キチガイだからさ
Qu'est-ce que c'est

 

 なんだって?
fa fa fa fa fa fa fa fa fa far better
Run run run run run run run away

You start a conversation you can't even finish it.

 会話を始めるんだけれどそれを終わらせることもできない

You're talkin' a lot, but you're not sayin' anything.

 べらべらまくしたてるが何も言っちゃいない

When I have nothing to say, my lips are sealed.

 何にもいうことが無い時はクチビルに封印をしてるんだ

Say something once, why say it again?

 何か言うのは一度きり、なんで繰り返す?


Psycho Killer,
Qu'est-ce que c'est
fa fa fa fa fa fa fa fa fa far better
Run run run run run run run away
Psycho Killer
Qu'est-ce que c'est
fa fa fa fa fa fa fa fa fa far better
Run run run run run run run away

Ce que j'ai fais, ce soir la

 あの夜なにをしちゃったかな

Ce qu'elle a dit, ce soir la

 あの夜に何を言ったかな

Realisant mon espoir

 Iの希望を現実化させちゃったな

Je me lance, vers la gloire ... OK

 身を投げたんだ、栄光に向かって

We are vain and we are blind
I hate people when they're not polite
 Us(我々)は役立たずのカスで、盲目だ。
ともかくIに礼儀をわきまえないやつは大嫌いなんだ








Talking Heads - Psycho Killer



今はこのトーキングヘッズのサイコキラーが収録されている77年の Talking Heads「77」を聴いているが、このアルバムは全体的にこのラジャス気質(Rajasic Prakriti)

【一般的に競争心が強く、攻撃的で残忍な面がある。己惚れが強く、自慢が好きで、好色である。
怒りが強く、臆病で利己的である。
また、二極のことに強く影響を受ける。いつも忙しくしていたい、といった傾向が特徴である。】

っていう感じのアルバムで、非常に大きな音で聴き続けていると自分のうちのRajasic(ラジャシャック)が癒えてゆくような清々しく浄化してゆくような感覚になって嬉しい。単純に言い表すなら欝を超えて脳内物質が暴走したところにある”躁”の詰まったアルバムだと感じる。

といっても、己れのうちの悲憤が消滅したわけではまったくなく、俺は未だに悲憤に打ち震えている。

なんでかっていうと、ここのところ、連続で俺が悲憤に充ち満ちるような出来事が続いたからである。

一つはものすごく適当なコメントが俺にブログに連続で投稿され、俺が憤激で訴えているにも関わらず謝罪の一つも未だにないことである。

その悲憤が姉にまで向かってしまい、今までで一番の最悪な関係になってもうたわ。おまえらの所為だよ。

おまえらほんま、二人一人か何人か知らんが、覚悟しとけよ?

黒魔術並び白魔術呪術師資格獲得修行を長年続けてきた俺を本気で怒(いか)らせたら、ほんまに痛い目に合うよ?

まず、絶対に俺の可愛い可愛い生霊(いきりょう)ちゃんはおまえちゃんのすぐ隣に既に飛んでってるからね。

俺の呪い、怨念というものはそれだけ強力のパワフルなエネルギーに充ちていて、誰一人、俺の負のエネルギーパワーに勝てる者はいないと俺が言っている。

当然、おまえの夢ンなかに、毎夜と俺は現れて、おまえをとにかく甚振ってやって、ははは、殺してあげるよ、サイコキラーのようにね。

つい、さっきもね、一升瓶を瓶呑みし、

 

(鳥肌実)

こんな感じでふらつきながら近くの警察署に右手に玩具のピストル、左手に一升瓶「自然舞」をぶらぶらさせながら入ってって、口でトーキングヘッズのサイコキラーの「ぱぱぱぱーぱぱぱぱぱーぱァ~べらぁ」と歌いながらニヤニヤして踊っていたら受付のところで即、拘束されたわ、阿呆。

おまえらが、最悪なコメントをしてきてくれた御陰で俺は狂人者扱いされ、事情徴収を受けて帰って来たわ。

事情聴取じゃなくて、ですか?って聴いたけど、「いや、おまえはもう、自浄鳥獣だから事情徴収するわ」って言われて、事情を話すことの手数料としてのを徴収を受けた。

こんな恥辱は、生まれて初めてだ。

俺の、赤黒いぬめぬめのぬるぬるの血潮と熱いどろどろの蒼い涙を流しながら執筆し続けてきた我がブログに、あのような適当で人を小馬鹿にしたような コメントを連続で書かれるなど、俺は人類の、俺に対するリスペクト(Respect、敬意)の無さ加減に、ほんに、絶望の果てを彷徨い続けているよ。

わかってるよ。おまえらは生きる喜びがほぼないんだろね。じゃないとあんなふざけたコメントを人様のブログに書き込めるはずもあるまいに。おまえらはほんま、”灰”みたいに生きてんねやろ?わかってる。知ってるよ。

わかった。ここで灰なおまえらに、ではこの曲を贈るよ。さっきの載せたサイトで紹介されていた曲だ。

Blind Melon - No Rain


Blind Melon - No Rain (C) 1993 CAPITOL RECORDS



All I can say
僕が言えること
Is that my life is pretty plain
僕の人生はすごく平坦だってこと
You don't like my point of view
君は僕の考え方が嫌いだろうけど
You think that I'm insane
君は僕が狂っているって思うだろうけど
It's not sane... it's not sane.
うん、正気じゃない。正気じゃない・・・



ちょうどこんな感じやろ、おまえら。
おまえらはな、狂っている。何度も言うてあげるよ。
おまえらは、Insane(非常識だ)。

歌詞のすべてはこのサイト氏をご覧戴いて。

慰められてくれ。お前らは多分、タマス気質(Tamasic Prakriti)「一般的に悲観的で、無神論者である。不公正で道徳心が低く、無知かつ愚かである。眠気やだるさを感じていることが多く、精神的活動・肉体的活動を避ける傾向がある。人間関係、社会とのつながりが希薄である。」に偏ってんじゃ、ないか。

これを、タマシック(Tamasic)というらしい。
タマを蹴り上げ、タマをシックシックさせたろか。おまえらのタマは上品で落ち着き払っている。おまえらはタマス気質同時にダマス気質じゃねえの?ハンドネームも入れずに人のブログにコメントを投稿するってことは、相手を困惑させることも良しと考えてるような、人を騙して楽しめる奴じゃねえのお?

おまえらの腐りきって両耳の穴から出てきたチンアナゴの先を鼻の下で結ぶみたいな今生の根性を俺が叩き直しておまえらがちゃんと、他者に対してリスペクトできる人間になれるように、俺はますます精進したいなあって想いながら他者の血税で買ったスパークリングワインを飲んで真剣にほくそ笑んでいる。

俺が腹立つならなあ、お前の生霊ちゃんを俺のところに飛ばして来い。

殺し合いだ。血統だ。血と血の、鬩ぎ合い。血流の逆流の脳内活動活性化だ。

俺の生霊は、俺でさえ手に負えないくらい、遣っちゃうから。本気でやっちゅからね。

そこんとこ、覚悟していて。精々生きろや。魂っくたちよ。
















映画「ブルックリン最終出口」へ俺たちは向かっているのか?

2018-01-01 14:55:41 | 映画

元旦の夜明け前に1989年のアメリカ・西ドイツ映画の『ブルックリン最終出口(原題:Last Exit to Brooklyn』を観た。

原作は「レクイエム・フォー・ドリーム」で有名なヒューバート・セルビー・ジュニア(Hubert Selby, Jr)の同名小説。1964年の出版以来、性と暴力の描写の苛烈さで話題を呼び、バージェスらに激賞された大ベストセラー。

監督は「クリスチーネ・F」のウルリッヒ・エーデル(Ulrich Edel)監督。


 

 

 

 

 

 この映画は想像以上のわたし好みの傑作な映画であった。

なんで観たのかというとわたしの好きな女優のジェニファー・ジェイソン・リー(Jennifer Jason Leigh)が輪姦に合う衝撃的作品と言われていたので、それだけでこれは是非観たいと前から想っていてゲオ・オンラインで貸し出して観ました。

 

 

 

 

1952年、ニューヨーク州ブルックリン85番街。

米国中が戦争の勝利に沸きあがるなか、ブルックリンの住民たちは不況に苦しみストライキを続け、町中は性と暴力、ドラッグとアルコール、人間の欲望の暴走に出口の見つからない崩壊寸前の掃き溜めの町と成り果てていた。

そんな町で人間が人間と生きてゆくことの恐怖や切実な日々を痛烈なユーモアを痛ましく漂わせながらも淡々と描いてゆく。

原作者のヒューバート・セルビー・ジュニアはブルックリン出身で当時結核で片肺を切除し、喘息に苦しみ、ホームレスをしながら「ブルックリン最終出口」を書いたという。



(この先、自分の映画の解釈にシーンの解説を交えています。読みづらい方は別々にお読みください・・・)



まず、役者がみんな素晴らしかった。この映画を観て不快な気分や人間の醜さや絶望的なものを感じたという評価が多かったが、わたしはむしろ爽快な感覚でずっと観ることができた。

それが良いのか、どうなのかと言われると、わたしはそう感じさせるこの作品は凄く優れた作品であると感じた。

悲しく痛ましいシーンが多いこの映画が何故そんなに最後まで清々しい映画であるのかというと、人間を素直に正直に描くことで、醜さや絶望を超えるものを表現できるのではないかと感じたのだが、それだけではなく、創り手の人間に対する愛情、人間を見る目が深いからなのかもしれない。





(ジョージェット役に実際にトランスジェンダーであるアレクシス・アークエットが演じています。身体は男性ですが心が女性であった彼女は惜しくも2016年の9月にこの世を去っていることを知りました。とてもセクシーで、これは演技でなく本物のセクシーさだなと魅了されました。苦しんでいる人ほど本当にセクシーなんです。)




絶望のどん底に「ほんのすこしの救い(希望)」が観える作品ではなく、この映画の始まりから最後までの人間たちの必死な有様こそが、すべて人間が生きることの本当の救いであるのだとわたしは感じたのであった。

しかし面白いのが、本当の救いがしっかりと描けているにも関わらず、この映画に出てくる人間たちの出口とは果たしてどこにあるのかと感じる映画なのである。




(レジーナ役(向かって左)のZETTEもすごくセクシーなゲイを演じていました。向かって右はそのレジーナに本気で惚れ込んでしまうハリー役のスティーヴン・ラングもすごく良かった。プライドの高そうな彼だからこそ演じられる哀れで惨めな人間の弱さというものが悲しくも美しく感じました。)




なんでかっていうと、この不況で性や暴力、ドラッグやアルコールの溢れかえるモラル崩壊寸前的な町って、今の時代にもどこにでもあるというか、日本もほとんどの人間たちが”職場”という出口の見えない場所に一体いつまで働き続けなくてはならないのかという絶望的な気持ちでいるように想えるし、ネットを開けば性や暴力で溢れ返っているし、ドラッグを求めて精神科はいつでも予約待ちの状態です。

むしろ、それらをみんなが想う存分発散できない日々を送り続けているほうが出口は遠いんじゃないかと感じたのです。遣りたいことを遣り尽せば、あとはもう底の底まで堕ちていくわけじゃないですか。その絶望感というものが、不十分である状態ほど、ある意味本当に持続し続けるこの映画以上の絶望的な状態なのではないかと。




(スプーク(キャメロン・ジョアン)少年と売春婦トララ。切ない純愛が織り込まれているのですが、なんでしょうねこの映画の純愛さって、あまりに渾身的というか、蓮っ葉な母親に求める息子の愛情みたいな。)




そうすると、この映画の荒廃したどこまでも自暴自棄に陥り自らを破壊せしめようとせずにはおれないような人間たちの姿っていうのは、わたしたちの未来の姿であるんじゃないのかと想うのです。

そこにある苦しみを、発散しないでは生きていけないほど限界に来ている人たちっていうのは、なんとか抑えこんで生きていけている人たちがこのまま行くと、こうなるのではないのかという一つの未来予想的な映画が、この映画であると感じるんです。

それは団体ではなく、個人を見れば、大体がそうなってしまうということがわかると想うんですが、発散も暴力(殺さない程度の)などのモラル崩壊もできなくなったところにあるものと言えば、それこそ最悪なひとつは”自殺”であるし、”殺人”でもあります。それもできなければ閉鎖病棟に送り込まれたりする。




(こうして戦場へ向かう兵士を騙して金を盗む売春婦のトララ役をジェニファー・ジェイソン・リーが演じています。彼女はほんとはとてもうぶな女性だと想うので、男を騙そうが厭味がない。しかも彼女は賢い売春婦であり、それを分る男性が現れるわけですが。賢い女が身体を売るのは相当の理由があるんだと想うから、誠実な男がそんな深いわけの在る売春婦にぐっと来るのはわかる。しかしここでそんなトララと寝るまえに飲んだ暮れてる兵士は、これから戦場へ向かうという恐怖と悲しみを、売春婦と寝ることで誤魔化すことすらできないと言わんばかりにダウンしています。(でも実はトララが薬を飲ませたのかも?)なんにしろ、人をこれから殺す為に戦地へ赴く兵士のストレスとは一体どれほどのストレスなのか。)



でもこのブルックリン85番街は人と人の粗暴さに、それほど違いが見えないんですよね。暴力を受けるほうもほとんどは粗暴で非があるような人たちばかりです。

ドラッグや酒に溺れ続けて生きることも社会のなかで生きる人間として危険なので”非”として忌み嫌われる存在であるのは致し方ないことです。

だからこの映画はむごい暴力や性に乱れた野蛮な人たちと、そうではない人たちに”差別(区別)”というものをほぼ感じられなかったし、純真に生きているはずであろう少年でさえもが、この粗野な部族の一員として上手く融け込んで同化しているように観えたのです。

だから善と悪の区別がまったくできない世界と言える。賢い猿と賢くない猿はおるにはおるが、でもぼくたちって全員猿だよね。そうだな、みたいな諦念が在る清らかな世界なのです。

この遣り切れない時代と場所に生きるみじめな俺たちというどこか強い仲間意識が伝わってきて、それが彼らを救っているとも感じられる。



(そしてわたしを一番感動させたスティーヴ少尉(Frank Military フランク・ミリタリー)です。彼の微妙な表情の演技が本当に素晴らしかった。引き攣らせながらはにかむ表情とか、なかなかこの精妙な表情はそうそうできるもんではないんじゃないかと。真面目で誠実でインテリ系の少尉とさばさばした、でも傷つきやすい繊細で強気な売女(ばいた)の純愛とか、たまりませんな。彼は脚本家らしいが、俳優の才能もある。彼はトララを売春婦としては見なかった。戦地へ出征するまえに彼がトララと出会ったことは、喜びより、むしろ未練を強くするたまらない悲しみであったと想います。)



つまり、この町に生きる人たちすべてが、赤ちゃんから老人まで、巨大な家族のような、相手の責任は自分の責任であると互いに暗黙の了解の上に成り立っているような社会として存在しているように想えたのです。

だからこそ、この映画が最初から最後までわたしに爽快感を与え続ける映画であったのかもしれない。

この映画が描いたものというのは、過去にあった状態でもディストピアでもなく、むしろ現代のどん詰まり的な状態から出口へ向かって進むには、まずは”ここに”行く必要が在るといった理想の未来の状態であるんじゃないのかと。

みんながみんな大して変わらないくらいに傷つき合っている、互いにいっぱいいっぱいである世界っていうのは、例え暴力や乱暴ごとなどがあっても理想の状態のように想えたわけだす。生きることの切実さに欠けるなら理想(平和的な)を強く追い求め続けることもできない。




(果たしてトララとスティーブ少尉の恋はどのような結末を迎えるのでしょうか。まるで母親に甘える幼児みたいだ。。。おばちゃんっぽい化粧だな。。。)




(この不安で寂しそうな表情。素晴らしい表現だ)


(化粧しないほうが絶対若々しくて美しい・・・・・・)





どん底(どの時代にも在る現実)の最終出口を見つけだすには、とにかく堕ちることのできるところまで堕ち続けなくてはならないということを描いてるんじゃないかなあと想った次第です。

で、この映画が未来の理想な状態で、本物の現代の現実っていうのは、「レクイエム・フォー・ドリーム」のほうで原作者は描いているのかどうか?近いうちに「レクイエム・フォー・ドリーム」を早く観たいと想っています。

この「ブルックリン最終出口」は淀川長治が1990年の年間ベストテンの第9位に選んでいる彼も推す傑作なので、映画好きの方は多分観て損はないと想います。

是非、観てみてください。




(追記:トララが輪姦されるシーンですが、彼女は見知った町の連中に姦されて輪姦(まわ)されるわけですが、妙に家族愛とは言いませんが、変な互いの同族愛みたいなものを感じて不快さの起きなかったのは、これは、どうなんだ、っていう・・・輪姦シーンに同族愛を感じるわたしって、大丈夫なのか笑 まあそんな珍しい感覚を感じさせられる稀有な作品であることは確かでした。ちなみに本物の輪姦シーンはブラウン・バニー」で既に鑑賞済みです・・・かなり、不快で苦しいものでした。)




どうでも良いが、この記事を書くのに6時間弱掛かった。