ナット・キング・コールの娘としても知られるナタリー・コールが
昨年の12月31日に65歳で亡くなられた。
私にとっては、最も好きな歌手で2011年の来日公演を聴きに
行っていますし、早すぎる逝去だったので、とても悲しかったです。
では、ナタリー・コールの経歴を振り返りたいと思います。
ナット・キング・コールと、デューク・エリントンの楽団歌手だった
マリア・コールのあいだに生まれ、幼い時から音楽家たちに囲まれて
育った影響もあって、11歳から本格的に歌うようになった。
「ナット・キング・コールの娘」ということでジャズの道を進む
ことが期待されましたが、アレサ・フランクリンやジャニス・
ジョプリンの影響を受け、R&Bやロックに傾倒するようになり、
1975年に『Inseparable』でR&Bシンガーとしてアルバム・デビュー。
デビューアルバムの中の1曲「This Will Be」がヒットし、26歳の
時にグラミー賞の最優秀新人賞などを受賞し「ニュー・アレサ」など
と呼ばれるなどその実力が認められるようになった。
翌1976年にはセカンド・アルバム『Natalie』に収められたディスコ・
タッチの「Mr. Melody」が東京音楽祭でグランプリを受賞。さらに
1977年のサード・アルバム『Unpredictable』からカットされた
ブルージーなバラード・ナンバー「I've Got Love On My Mind」は、
ビルボード・シングル・チャートで5位に輝いた。その後も『Thankful』
(1977年)、『I Love You So』(1979年)とヒット・アルバムを連発する。
しかし、80年代に入るとドラッグに手を出すようになり、かつての勢いを
失っていった。
再び脚光を浴びたのは、1987年に発表したアルバム『Everlasting』に
収録されたブルース・スプリングスティーンのカヴァー「Pink Cadillac」が、
じわじわとチャートに上りスマッシュ・ヒットした事。
このヒットによりアルバム自体もビルボードのR&Bチャートで8位まで上昇。
さらに1989年のアルバム『Good To Be Back』からカットされた
「Miss You Like Crazy」も全米で7位、UKでも2位という大ヒットを記録。
そして極めつけは、これまでコンサート等でも父ナット・キング・コールの
曲のカバーを要求されても断ってきたナタリーが、1991年にリリースした
アルバム『Unforgettable:With Love』。
亡き父親に捧げた本作では、プロデュースにトミー・リピューマやデヴィッド・
フォスターを迎え、アレンジャーにミシェル・ルグラン、ジョニー・マンデル、
マーティ・ペイチといったベテランたちが大集結。
素晴らしいジャズ・ヴォーカル・アルバムに仕上がっており、グラミー賞で
最優秀レコード賞と最優秀トラディショナル・ポップ・パフォーマンス賞、
そしてアルバムは最優秀アルバム賞を獲得し、全米だけで700万枚以上を
売り上げる自身最大のヒット作となりました。
大きな話題を呼んだデュエット曲「Unforgettable」は、父親が40年前に
録音した音源に、レコーディング技術を駆使して斬新なデュエット曲に
蘇らせています。
その後の2006年にはダラス・オースティンをプロデューサーに迎え、
久々にR&B~ソウル色を打ち出した『Leavin’』を発表したほか、
2011年にはトニー・ベネットのグラミー授賞作『Duets II』に参加。
2013年には全曲スペイン語で歌ったラテン・ポップ作品
『Natalie Cole En Espanol』をリリースするといった意欲的な姿勢を
見せていました。
自叙伝の中で過去にドラッグを使用していたことを認めている
ナタリー・コールは、2008年7月にC型肝炎であること、また
腎臓の病気も患っていることを発表し、2009年には腎移植手術を
受けていた。こうした健康事情から、2008年頃からは病気等を理由に
ツアーや公演をキャンセルすることが度々あり、2008年6月の来日公演
では車椅子でステージに上がるなど以前から体調が心配されました。
その後ふたたび元気な姿をステージで披露していたが、2015年10月には
また体調が悪化し、11月と12月に予定していた公演を全てキャンセル。
現地時間で2015年12月31日の夜、ロサンジェルスの病院にて
「長年の健康問題による様々な要因が重なった結果」亡くなったと、
遺族が発表しました。