昔々、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の登場人物テキサス刑事(勝野洋)と共に、事件を解決した名警察犬がおりました。
テキサス刑事は殉職してしまうのですが、そのテキサス刑事の遺影を見上げて、この警察犬
涙を流しながら「ウオーン」と鳴き声をあげるんです。
このシーンを見たのは、私が中学生くらいのこと。さすがの私もこれはやり過ぎではないか、と思いましたね。おそらくは犬に目薬をさして涙を流させたのでしょう。
今なら、「動物虐待だ!」と抗議されかねない案件ですが、それはともかく。
なぜか急にこのことを思い出して、気になったものですから、簡単に調べてみました。
結論から言えば、犬は悲しいときには泣かないが、「嬉し涙」は流す
ようです。
去年の記事ですけれども、こういう研究を真面目にしている大学って、なんだか楽しくて、良いね。
犬の飼い主さんにとっては、まさに「涙モノ」の話だね。
犬と日本人とは、縄文時代からの長いつきあいです。
縄文のころは主に狩猟の際の相棒として、いわゆる使役犬として使われていたらしい。でもそれだけではなかった。
縄文遺跡には、犬を丁寧に埋葬した跡もある一方、なにかの「儀式」の捧げものに使われたとみられる跡や、なかには食用として解体された跡もあるようです。犬と人間との関係は、必ずしも「トモダチ」ということだけでは
なかった。
仏教が入ってきて、国によって肉食が禁じられるまで、日本人は普通に肉を食べていたし、その後も完全に無くなることはなかった。江戸時代の江戸の町には「犬肉」を食べさせる店もあって、いわゆる「外道料理」として、嫌う人もいる反面、愉しみとしている町民もいたことは歴史的事実。
私も犬は大好きです。だからこの歴史的事実には、大変辛いものを感じますが、事実は事実として、受け止めなければいけない。
犬と日本人との関係はとても複雑。食べる奴らもいれば、「家族」として大切に育て、亡くなれば丁寧に埋葬する人たちもいた。「犬塚」という地名が全国にありますが、これは犬を丁寧に埋葬した「塚」がある地だということでしょう。
明治の世となって、海外から動物愛護の精神が移入され、ようやく犬たちの「愛玩用」としての地位が決定された。犬たちにとっては平和の時代がやってきた。
かに思われましたが、
戦時中には犬や猫の毛皮が、軍用として徴用されたという事実もあり、戦後に至ってようやく
ようやく
犬と日本人は
「トモダチ」になれた
といえるのかも、しれない。
飼い主との再会で涙を流してくれる犬たちに、人間はなんと過酷な仕打ちをしてきたことか。犬と人間との関係性ってなにか特別なものがあるような感じがします。
あくまで個人的な感想ですが、もっともっと犬たちを大事に扱いたいな、なんてことを
つらつら思う、今日この頃。